従妹が依頼されて作っていた銅像が完成したというので早速見に行った。
「大木のおいちゃん」と呼んでいた人の胸像。温厚で優しい人だった。
従妹は、ほとんど面識がなかったが、写真を頼りに、この銅像を作り上げた。
似ている。良く似ている。
平面写真のみで、よくこんなに立体的にどの角度から見ても似ているように作ることができたものだと、従妹の才能に感服した。
母に昼食を食べさせて、もう一度この銅像を眺めて帰った。
祝、完成!!!
従妹が依頼されて作っていた銅像が完成したというので早速見に行った。
「大木のおいちゃん」と呼んでいた人の胸像。温厚で優しい人だった。
従妹は、ほとんど面識がなかったが、写真を頼りに、この銅像を作り上げた。
似ている。良く似ている。
平面写真のみで、よくこんなに立体的にどの角度から見ても似ているように作ることができたものだと、従妹の才能に感服した。
母に昼食を食べさせて、もう一度この銅像を眺めて帰った。
祝、完成!!!
裏のコデマリの花が今、丁度満開。
重そうに咲いている分を少し切って玄関の花瓶に生けた。
1輪挿しなど小さな花瓶にはチョクチョク生けるが、この「小鹿田(おんだ)焼き」の花瓶に生けるのは久しぶり。
剣山も使わずにささーっと雑に生ける。
枝を長く切ったのでコデマリがあっちにこっちに好き勝手に広がり倒れる。
無謀家家元の私は「それでいいのよ。『おかれた場所で咲きなさい』(渡辺和子さんの本の題名)」と花に言い聞かせながら生けた。
生けた当初は様にならないかもしれないが、その内、花たちがきっと自力でバランスを整えてくれると信じている。
他力本願流家元と名乗ったほうが良いかな?
家の中の物には定位置を与えないといけない。
しかし新参者の「カメラ」と「ウイッグ」にはまだ定位置を与えていなかった。
家に来てもう1カ月以上たったのだからそろそろ定位置を確保してやらなければ・・・。
だが、どこもここも古参のものが占拠していて隙間が無い。
思案して見つけた空間に、この箱が置かれていた。
娘が小学生の時に彫刻刀で削って作ったオルゴール。
何が彫られているのか?向きはどっち向きに見ればよいのか?くるくる回してみるがすぐには分からなかった。
おそらくこの向きに見ればよいのだろう?朝顔を彫っているのか?いや、どうも瓢箪のようだ。
どんな曲が入っているのだろう。ねじを回すと「ぽろろ~ん」と鳴った。
もう少し強くねじを巻いたら曲が流れた。
♪海よりもー美しい愛があるのをー教えてくれたのはあなたー♪
「ある愛の詩」のメロディーだった。
小学生の娘からの未来に対するメッセージのような気がして少し感傷的になりながらオルゴールを聴いた。
(※このオルゴールは娘の部屋に置いてもらうことにし、そこにウイッグを置くことにした。新しく買ったカメラの定位置はまだ決まらない。先輩カメラも魅力があって引退させるにはまだ早く、そう簡単には席を空けられない)
友達と大分市寒田のギャラリー「風の棲み家」へ型絵染めの作品を見せて頂きに行った。
ここに伺うのは初めて。「ネモフィラ」など、一面お花でおおわれた手入れの行き届いた素敵なお庭。
心地良い風が吹いていて「風の棲み家」という命名がまさにぴったり。
凛として気品ある吉井梢先生がにこやかに迎えて下さった。
アトリエはリフォームされたばかりのようで、真新しく、作品を展示するのにぴったりの空間。
一つ作り上げるのに1カ月以上かかりそうな手の込んだ見事な作品が並んでいた。
素晴らしい!すっきりとした構図、調和のとれた美しい色合い。完全に私好みで魅了された。
ギャラリー内の一室で、お弟子さんの作品の展示販売もされていたので、買わせて頂いた。
私の好きな「あざみの花」が型絵染めされている布バッグ。
手の込んだ作品を格安の値段で頂くことができ恐縮。芸術作品のバッグだ。
↑展示会のパンフレットなどをうちの娘に注文して下さった。いつも温かく支援して下さり心より感謝。
その後、藤の名所「西寒多(ささむた)神社」へ行ってみた。
白藤はもう見頃を過ぎていたが紫の藤は7分咲きくらい。
神社の境内を吹く風がとても爽やか。心身ともに浄化される思いがした。
ツツジも大きく茂り丁度見頃だった。
中学校の同級生が5~6人で今日は同級会園と桜山で作業をすると聞いた。
母に会いに行く用事もあるし、たまには差し入れをと思い、弁当を作って持って行った。
鳥飯やタケノコなどの煮物は夫が作って持たせてくれた。「俺が作ったなんて言うなよ」と言いながら・・・。
感謝感激雨あられ。
桜山の東屋で昼食をとりながら「中学校卒業50周年目の修学旅行」について話し合った。
11月に3泊4日の京都方面への旅行。今のところ参加希望者が25人いるとのこと。
なるべくなら中学校の修学旅行で行った場所を訪れたいところだが、どこどこに行ったのかみんな記憶が定かではない。
特に私は行きは汽車で行ったことさえ忘れていたが他の人の話を聞きながら思い出した。
もっと参加者が増え、楽しい旅行になると良いなと思う。
その後、母の所へ。「私はだあれ?」と尋ねると母、私の名を言う。
「料理が得意だったね。どういう料理が得意だった?」と尋ねると今日は「ない」と答えた。
「巻き寿司やらいなり寿司やらおはぎやら得意だったでしょ。酒まんじゅうもおいしかった。」と私。
母、コクリと頷いた。
夜、この春退職した人のお祝い会。
物腰が柔らかくて芯の強いしっかりした人。
次の仕事が決まっていてもう始動しているようだ。