のりひめのひとりごと Monologue of Noriko

2012年からオーストラリアと日本を行き来しています。日常のいろいろを書いてます。

のりひめの過去ばなし13.営業本部で修行 そして経営政策室へ

2011-06-22 18:35:31 | のりひめの過去ばなし
●営業本部で修行 そして経営政策室へ

「企画の勉強をしているならちょっと手伝ってくれ」といわれ、
社員の売上を表彰する制度の大改革プロジェクトに参加することになりました。
これは部を横断するプロジェクトで、各部や関連会社の長が毎月会議をするのです。

 表彰制度は、がんばって販売する販売員や店舗を表彰するもので、
上位の人はアメリカやヨーロッパの2週間の研修旅行に行けたり、
国内旅行にいけたりしました。わたしもこれで北海道に2回、と
ヨーロッパに一回、連れて行っていただきました。

 改革内容は、これまでの個人へのスポットからチームへスポットをあてるとか、
表彰内容をお金や旅行に加え、名誉も与えるといったもので、
私はそれの議事録係りを任じられました。

 初めて体験する会社の偉い人の会議はとても興味深く、
会社で同じフロアのすぐとなりにいる部長たちの、誰と誰が仲がいいとか、
それぞれの思惑が交錯していたりするのがよくわかって、
「家政婦は見た!」ではないですが、好奇心ありありの、
かなり楽しい体験をしました。

 会議が終わると私は議事録を作りましたが、せっかく企画書の練習している
ところなので、決定事項を企画書っぽくまとめてみました。
 議案、決定事項、討議事項、課題を箇条書きにして四角で囲って見やすくした
くらいのものでしたが、決定したこと、していないことを明確にすると、
会議の進行が早くなると思ったのです。

 できた議事録を各出席した役員に見てもらい、OKが出たら、
次の会議の前にみんなに配り、前回の合意事項を承知した上で始まるようにしました。

 この手順を行ったことですべての役員と話をできるようになり、
みんなに覚えてもらってかわいがってもらいました。

 上司もほんとに前向きで明るい人だったので、「うん いいね! よくやった!」
といつもはげましてくれて、嬉しくて一生懸命やりました。

 そうこうする間に、6ヶ月間の勉強の課題も終わり、企画書を学んでいた学校では
全国勝ち抜きのプレゼンテーション大会で大賞をいただきました。
 会社に報告したら、社長が一言、「受講料をだしてやれ」といってくださったそうで
あとから受講料を会社からいただきました。
 ほんとうにいい会社ですね。
 
 半年でそのプロジェクトは落ち着き、翌年から新しい体制で表彰制度がスタート
しました。
 平行して、新人事制度もスタートすべく準備が進んでいました。
職能などを細かく役職別にクリアにし、能力給などの制度を整えるものでした。
私はお店の一般社員から課長までの職能評価の一覧表の制作を担当させてもらう
ことになりました。現場を経験したものとして、どんな能力がそれぞれの階級に応じて必要か、評価の軸をつくるというものです。

 あまりにも責任が重いので、かなりびっくりしましたが、
副社長にみてもらいながら、苦労して作りました。
 このプロセスで、人事部や会社がどのようなことを考えているのか、
いろいろと教えてもらい、理解することができました。

 同じ年の1995年7月、PL法(製造物責任法)の施行があり、
店舗用マニュアルも作りました。
PL法とはなにか、事が起こるのをどのように予防するか、起こってしまった
ときにどう対処するか、というマニュアルで、全店店長が集まる店長会で発表も
させてもらいました。
このころにはExcelもだいぶ慣れ、(まだパワーポイントは入っていませんでした)
なんでも全部Excelで作っていました。

 そうこうするうち、会社の仕組みや、社長が考えていることが少しずつわかって
きて、ますます仕事が楽しくなってきました。

 そんなときに、役員であり経営政策室の部長が
「君は面白いな。一緒に仕事しないか」と声をかけてくれたのです。
その部長は明るくて頭も良く、ポジティブな人でわたしも大好きだったので、
何の迷いもなく、「あの、ぜひよろしくお願いします」と言いました。

 さて前回の話でちょこっとでてきた結婚話ですが、実は企画書の学校に
彼も一緒に行きました。しかし彼は途中でザセツ、二回目も申し込んだものの
またザセツしてしまいました。年齢的にわたしもそうですが、
仕事が忙しくなる時期だったんだと思います。
おたがいの時間と価値観のすれ違いが多くなり、5年付き合った末に、
95年には別れてしまいました。
 ひとりの週末、自由なんだとなんともせいせいしたのを覚えています!

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

 次回は ●いよいよマーケティングの仕事へ です

のりひめの過去ばなし12.あこがれの本部へ異動

2011-06-22 18:20:29 | のりひめの過去ばなし
関根典子です(旧姓高野典子)

現在ビジネス書の出版を目指して、
まずはいままでの人生の振り返りをしてみてます。
気が向いたらおつきあいくださいませ♪

コメントなどもいただければうれしいです^^

●あこがれの本部へ異動

写真は、渋谷東急プラザのお店に勤めていたときのわたしです。
きゃ~ はずかし!




 お店には6年つとめていたので、本部はとても新鮮でした。
 9時に始まってぴっちり6時に終わるのです。
 お店は9時45分から店長は通しになることが多いので、20時45分まで、
セール時期は朝の7時から夜の11時とか、
立ちっぱなしで腰も痛くなるし疲れがなかなかとれない仕事です。
本部と店は遠い関係だなあと思っていましたが、仕事環境もきれいでしずかで
まさに圧倒的な環境の違いを感じました。

 お店にずっといたので、本部の人は役員以外あまり知りません。
そこで、営業部長に挨拶するのに、自分で履歴書のような自己紹介書のような
図入りの手書きの一枚のシートを作りました。
 植木等演じるサラリーマンのようなとても明るい上司でしたので、
そのシートをほほえましくみてくれました。
 さらに、私がプライベートの時間を使って企画書の勉強をしたいと
考えていることを言ったら、「応援しているよ!」といってくれました。
 そして「テーマを悩んでいるなら副社長に聞いてごらん」といってくれたのです。
(副社長は営業部長の上司です)

 私はおそるおそる副社長に「こういう勉強をするのですが、テーマは何が
良いでしょう?」とききに行きました。
 副社長は長身細身の人で、イタリア製のほそい革靴を履き、
いつもネクタイとおそろいのポケットチーフをしていて、
ワイングラスを筆記用具を入れてルイ・ヴィトンでデスク周りを統一しているような
おしゃれな人でした。(その後社長になりました。)

 その結果、「じゃあさ、靴の通販のこと考えてくれない?
俺できると思ってるんだけど」と、テーマをもらいました。

ときは1994年。わたしは29歳で、インターネット元年といわれる年の前の年です。
会社ではNECの98ノート(当時はまだWindows3.1 MSDOSの時代です。)を
わたしに一台あてがってくれました。
まだまだパソコン一人一台体制にはほど遠い時代でしたが、
会社としてはちょうどテスト導入の時期でした。

 課題は6ヶ月間かけて作るのですが、なれないEXELを使って企画書を作りました。
とはいえ手書きのほうがなれていたので、場合によって
プリントしたら切り張りし、お得意のスクリーントーンなぞ使っておりました。

 その間何度となく、副社長や営業部長とその話題で話すことができたし、
課題の企画書ができると役員回覧してくれました。
 
 20代最後の年は、仕事もがらっと新しい環境になり、新しい勉強も始め、
結婚しようと思って4年ほど付き合っていた人と、本当に結婚しようかどうしようか
悩んだり、いろいろとぎゅっとつまった年でした。 きゃっ♪

 次回は
 ●営業本部で修行、そして経営政策室へ です。

読んでいただき、ありがとうございました♪