●営業本部で修行 そして経営政策室へ
「企画の勉強をしているならちょっと手伝ってくれ」といわれ、
社員の売上を表彰する制度の大改革プロジェクトに参加することになりました。
これは部を横断するプロジェクトで、各部や関連会社の長が毎月会議をするのです。
表彰制度は、がんばって販売する販売員や店舗を表彰するもので、
上位の人はアメリカやヨーロッパの2週間の研修旅行に行けたり、
国内旅行にいけたりしました。わたしもこれで北海道に2回、と
ヨーロッパに一回、連れて行っていただきました。
改革内容は、これまでの個人へのスポットからチームへスポットをあてるとか、
表彰内容をお金や旅行に加え、名誉も与えるといったもので、
私はそれの議事録係りを任じられました。
初めて体験する会社の偉い人の会議はとても興味深く、
会社で同じフロアのすぐとなりにいる部長たちの、誰と誰が仲がいいとか、
それぞれの思惑が交錯していたりするのがよくわかって、
「家政婦は見た!」ではないですが、好奇心ありありの、
かなり楽しい体験をしました。
会議が終わると私は議事録を作りましたが、せっかく企画書の練習している
ところなので、決定事項を企画書っぽくまとめてみました。
議案、決定事項、討議事項、課題を箇条書きにして四角で囲って見やすくした
くらいのものでしたが、決定したこと、していないことを明確にすると、
会議の進行が早くなると思ったのです。
できた議事録を各出席した役員に見てもらい、OKが出たら、
次の会議の前にみんなに配り、前回の合意事項を承知した上で始まるようにしました。
この手順を行ったことですべての役員と話をできるようになり、
みんなに覚えてもらってかわいがってもらいました。
上司もほんとに前向きで明るい人だったので、「うん いいね! よくやった!」
といつもはげましてくれて、嬉しくて一生懸命やりました。
そうこうする間に、6ヶ月間の勉強の課題も終わり、企画書を学んでいた学校では
全国勝ち抜きのプレゼンテーション大会で大賞をいただきました。
会社に報告したら、社長が一言、「受講料をだしてやれ」といってくださったそうで
あとから受講料を会社からいただきました。
ほんとうにいい会社ですね。
半年でそのプロジェクトは落ち着き、翌年から新しい体制で表彰制度がスタート
しました。
平行して、新人事制度もスタートすべく準備が進んでいました。
職能などを細かく役職別にクリアにし、能力給などの制度を整えるものでした。
私はお店の一般社員から課長までの職能評価の一覧表の制作を担当させてもらう
ことになりました。現場を経験したものとして、どんな能力がそれぞれの階級に応じて必要か、評価の軸をつくるというものです。
あまりにも責任が重いので、かなりびっくりしましたが、
副社長にみてもらいながら、苦労して作りました。
このプロセスで、人事部や会社がどのようなことを考えているのか、
いろいろと教えてもらい、理解することができました。
同じ年の1995年7月、PL法(製造物責任法)の施行があり、
店舗用マニュアルも作りました。
PL法とはなにか、事が起こるのをどのように予防するか、起こってしまった
ときにどう対処するか、というマニュアルで、全店店長が集まる店長会で発表も
させてもらいました。
このころにはExcelもだいぶ慣れ、(まだパワーポイントは入っていませんでした)
なんでも全部Excelで作っていました。
そうこうするうち、会社の仕組みや、社長が考えていることが少しずつわかって
きて、ますます仕事が楽しくなってきました。
そんなときに、役員であり経営政策室の部長が
「君は面白いな。一緒に仕事しないか」と声をかけてくれたのです。
その部長は明るくて頭も良く、ポジティブな人でわたしも大好きだったので、
何の迷いもなく、「あの、ぜひよろしくお願いします」と言いました。
さて前回の話でちょこっとでてきた結婚話ですが、実は企画書の学校に
彼も一緒に行きました。しかし彼は途中でザセツ、二回目も申し込んだものの
またザセツしてしまいました。年齢的にわたしもそうですが、
仕事が忙しくなる時期だったんだと思います。
おたがいの時間と価値観のすれ違いが多くなり、5年付き合った末に、
95年には別れてしまいました。
ひとりの週末、自由なんだとなんともせいせいしたのを覚えています!
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
次回は ●いよいよマーケティングの仕事へ です
「企画の勉強をしているならちょっと手伝ってくれ」といわれ、
社員の売上を表彰する制度の大改革プロジェクトに参加することになりました。
これは部を横断するプロジェクトで、各部や関連会社の長が毎月会議をするのです。
表彰制度は、がんばって販売する販売員や店舗を表彰するもので、
上位の人はアメリカやヨーロッパの2週間の研修旅行に行けたり、
国内旅行にいけたりしました。わたしもこれで北海道に2回、と
ヨーロッパに一回、連れて行っていただきました。
改革内容は、これまでの個人へのスポットからチームへスポットをあてるとか、
表彰内容をお金や旅行に加え、名誉も与えるといったもので、
私はそれの議事録係りを任じられました。
初めて体験する会社の偉い人の会議はとても興味深く、
会社で同じフロアのすぐとなりにいる部長たちの、誰と誰が仲がいいとか、
それぞれの思惑が交錯していたりするのがよくわかって、
「家政婦は見た!」ではないですが、好奇心ありありの、
かなり楽しい体験をしました。
会議が終わると私は議事録を作りましたが、せっかく企画書の練習している
ところなので、決定事項を企画書っぽくまとめてみました。
議案、決定事項、討議事項、課題を箇条書きにして四角で囲って見やすくした
くらいのものでしたが、決定したこと、していないことを明確にすると、
会議の進行が早くなると思ったのです。
できた議事録を各出席した役員に見てもらい、OKが出たら、
次の会議の前にみんなに配り、前回の合意事項を承知した上で始まるようにしました。
この手順を行ったことですべての役員と話をできるようになり、
みんなに覚えてもらってかわいがってもらいました。
上司もほんとに前向きで明るい人だったので、「うん いいね! よくやった!」
といつもはげましてくれて、嬉しくて一生懸命やりました。
そうこうする間に、6ヶ月間の勉強の課題も終わり、企画書を学んでいた学校では
全国勝ち抜きのプレゼンテーション大会で大賞をいただきました。
会社に報告したら、社長が一言、「受講料をだしてやれ」といってくださったそうで
あとから受講料を会社からいただきました。
ほんとうにいい会社ですね。
半年でそのプロジェクトは落ち着き、翌年から新しい体制で表彰制度がスタート
しました。
平行して、新人事制度もスタートすべく準備が進んでいました。
職能などを細かく役職別にクリアにし、能力給などの制度を整えるものでした。
私はお店の一般社員から課長までの職能評価の一覧表の制作を担当させてもらう
ことになりました。現場を経験したものとして、どんな能力がそれぞれの階級に応じて必要か、評価の軸をつくるというものです。
あまりにも責任が重いので、かなりびっくりしましたが、
副社長にみてもらいながら、苦労して作りました。
このプロセスで、人事部や会社がどのようなことを考えているのか、
いろいろと教えてもらい、理解することができました。
同じ年の1995年7月、PL法(製造物責任法)の施行があり、
店舗用マニュアルも作りました。
PL法とはなにか、事が起こるのをどのように予防するか、起こってしまった
ときにどう対処するか、というマニュアルで、全店店長が集まる店長会で発表も
させてもらいました。
このころにはExcelもだいぶ慣れ、(まだパワーポイントは入っていませんでした)
なんでも全部Excelで作っていました。
そうこうするうち、会社の仕組みや、社長が考えていることが少しずつわかって
きて、ますます仕事が楽しくなってきました。
そんなときに、役員であり経営政策室の部長が
「君は面白いな。一緒に仕事しないか」と声をかけてくれたのです。
その部長は明るくて頭も良く、ポジティブな人でわたしも大好きだったので、
何の迷いもなく、「あの、ぜひよろしくお願いします」と言いました。
さて前回の話でちょこっとでてきた結婚話ですが、実は企画書の学校に
彼も一緒に行きました。しかし彼は途中でザセツ、二回目も申し込んだものの
またザセツしてしまいました。年齢的にわたしもそうですが、
仕事が忙しくなる時期だったんだと思います。
おたがいの時間と価値観のすれ違いが多くなり、5年付き合った末に、
95年には別れてしまいました。
ひとりの週末、自由なんだとなんともせいせいしたのを覚えています!
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
次回は ●いよいよマーケティングの仕事へ です