のりひめのひとりごと Monologue of Noriko

2012年からオーストラリアと日本を行き来しています。日常のいろいろを書いてます。

のりひめの過去ばなし15.販売員教育プロジェクトで全国2位

2011-06-23 08:55:12 | のりひめの過去ばなし
●販売員教育プロジェクトで全国2位

 競争力強化の一環として、販売員トーナメント「超販売員プロジェクト」という
イベントを行うことになりました。
これも部を横断した全社をあげてのプロジェクトで、
全販売員の勝ち抜き戦で優秀な販売員を選抜するというものです。
 どのように予選をして最終段階まで到達するのか、どんな採点方法をするかなど、
企画を担当させてもらいました。

 まず各店でロールプレイングを行い、優秀な販売員を選出、
その後エリアを広げながら2回選抜、12月第一週の土曜日に銀座本店で、
勝ち抜いてきた販売員が実際に販売をして売り上げを競い、最終選考に至るという
ストーリーです。
 12月の第一週の土曜日というのは、一年でブーツが一番売れる日でした。

「君も、本部の人間として出場したほうがいい」と部長にいわれ、
「え~ 自分で考えているのにですか~?」といいながら出場しました。
 最初はロールプレイングでしたので、順調に勝ち進むことができ、
銀座大会まで進みました。 ここまでは、採点基準が頭に入っている私は
有利だとおもいますが、さすがに売上がかかわる銀座大会は無理だろうと思いました。

 しかし、当日初めて来店したお客様と仲良くなり、当時本店で取り扱っていた
グッチの15万円とか5万円とかの靴を購入してくださったのです。
運良く最終選考に残ることができました。

 最終選考は原宿の本社で役員全員の前でのロールプレイングです。
ベテラン販売員によるいじわるな店員が出てきて、対応しなくてはなりません。

 残った十名のなかにわたしが渋谷東急プラザ店長だったときの副店長の女性が
いました。一緒に売り上げ不振に悩んでがんばった戦友でした。

 半分終わったところで休憩があり、経営政策室の部長がわたしの横にこっそりきて、
「やばいよ」といいました。
「どうしたんですか?」
「いまのところ、君が一位だよ」
「あら やばいですね~」

 企画した張本人が優勝しちゃったらやっぱりうまくありません。

 その後後半戦が行われ、最終結果は、静岡の古株の男性社員が一位となり、
わたしは二位になりました。戦友は3位。
 自分が一位にならなくてほっとしたのと、戦友が3位だったのが残念な気持ちと、
でも、二位で10万円賞金をいただいたのが嬉しかったのと、
いろいろな気持ちが交錯しました。
4月にはじまって2月くらいまでかかって、
企画から運営まで取り組みましたので、わたしとしても、初めての大きなボリュームの
プロジェクトでした。

 副社長があとでそば来て、
「おめでとう。一位にならなくて残念だったね。
君の靴の見せかたが一番きれいに見えたよ」と言ってくれました。

 副社長はきっと大変だったねと気遣ってくれたのだと思います。
会社のメイン商品である靴がきれいに見えたといってもらって、
わたしも感激して泣きそうになりました。

 部長も「おつかれさま。俺は誇らしいよ!」といってくれました。


 なんだか部下をねぎらってくれるやっぱりとってもいい会社です。

 ここまでお読みいただきありがとうございます。

 次回は●会社の悩みは適正在庫、そしてゴーストバスターズプロジェクト
 です。

のりひめの過去ばなし14.いよいよマーケティングの仕事へ

2011-06-23 08:40:36 | のりひめの過去ばなし
関根典子です(旧姓高野典子)

現在ビジネス書の出版を目指して、
まずはいままでの人生の振り返りをしてみてます。
気が向いたらおつきあいくださいませ♪

コメントなどもいただければうれしいです^^


●経営政策室へ異動 いよいよマーケティングの仕事へ

 経営政策室は組織図上、社長直下、どこの部とも対等な一種独特のポジションにあり、
役員会のとりしきりを行っていました。

 営業本部に二年在籍したあとに、経営政策室に異動になり、同期の男性とチームに
なりました。ここで、いよいよマーケティングの仕事が始まりました。
経営政策室の部長も、自分の部署を一新したかったようで、経営政策室の方針として、
マーケティングの機能を強化することを大きく打ち出したのです。
 本社に入って3年目、いよいよ「ダイアナへ行こう!」とあの企画書にかいたように、多くのお客様に
競合他社でなく、ダイアナを目指して、名指しできていただくための活動をすることができます。
 競合店と自社のお店をさまざまな面から調査してどこが違うかを研究したり、
新店出店にあたり、通行客数や感性、人の導線の調査をしたりしました。
 名古屋や大阪、銀座や横浜、さまざまなところに出張して調査しました。
あちこちの部署から仕事を受けて動いたり、提案して受注したりする、まるで社内マーケティング会社みたいでした。

 自社の競争力強化の策として、販売力の強化が大きなテーマでした。
まさに2:8の法則で、たくさん売ることができる約二割の社員が約八割の売上を支えていたのです。
そこで、自社の全国の販売員を対象とした販売員教育プロジェクトでトーナメントを実行
することになりました。

 企画書の課題として取り組んでいた靴の通販も、1996年、
日本初の国や森ビルなどが行っていたイーコマースのプロジェクトに参加し、
インターネットで取り組むことになりました。
 1995年はインターネット元年、そこから伊藤譲一さんや千葉麗子さんなどが
インターネットの初期の普及に活躍していた時代です。
 わたしもHTMLを本とくびっぴきで苦労してホームページを作りました。
 ホームページ制作ソフトもまだなかった頃ですね。いまは便利になりました。

 これらの活動は、全店店長会議という年に一回の店長が集まる会議で
報告されました。わたしと同僚の男性と二人でパワーポイントにプロジェクターで、
現在のダイアナがどのようにお客様から見えているかといったプレゼンを
行い、社長や会長がこれについてコメントしました。
こうしたプログラムはこれまでの店長会議にはなかったものでした。

 わたしもあこがれていた企画やマーケティングの仕事をさせてもらい、
ほんとうにわくわくしていました。
 

 続きは●販売員教育プロジェクトで全国二位 です
 読んでいただき、ありがとうございます。