ある日の シェアリングの中で、アトピーのお子さんをお持ちのお母様のお話がありました。
そのお子さんを、薬でどうにかしようとせずに、なんとかしてあげたいという気持ちでいらっしゃいました。
私も2人の娘(17歳、12歳)がおります。この世界の常識にはまっていない
その2人に無理矢理 何か病名をつけようとすれば「○○症候群」
という名前がつきそうな感じ(笑)
でもね、違うんですよね。
「イヤな事はしません。自身が悦べる生き方だけをしていきます。
やりたい事、やりたい生き方の延長なら、何も苦ではないもの。」
そういった言葉にならない気持ちを、サポートしています。
(本当の自分におまかせして、委ねきっているので、私は何もしていませんが^^)
娘達を見て、わたしが エゴ的思考を使えば いくらでも悲観的になることはできるのかも知れません。
(でも、私が演じさせている この人生という映画の登場人物ですね)
現実である「神と神の子(ハート)」以外は、何もかも幻想という
見方が真実ですが、 急にそう思おうとしたところで悩まれることも多々あるかと思います。
そんな時、もしもよろしければ
「今まで現実と思っていた私の人生って どうも、何もかも幻想らしい。夢を見ているのと同じらしい。
私が映し出している映画らしい。相手にセリフを与えて言わせているらしい。信じられないけれど。。。そうらしい。」
↑
こんな感じでも良いので
自分に「そうなんだって!」と、日々 少しずつでも 教えてあげることを始められると良いだろうな。。と、感じています。
そして、それが腑に落ちるまでは 自身にしても 家族にしても 友人にしても
「足りないところ」を数えるのをやめて
「今 手に入れていること。できていること。感謝に値する事」を数え始めるクセをつけると
凄くいいな~ って思います。(エゴとの隙間を空けるためですね)
幸せや感謝を感じるために 本当は、理由はいらないけれど。。。
(何があっても、無くても、常に至福・悦び・愛というハートのバイブレーションに満ちあふれているのが私たちなので)
例えば、
「頑張らなくても呼吸ができる。頑張らなくても歩ける。頑張らなくても食べられる。飲める。しゃべれる。
お風呂に入れる。トイレに行ける。蛇口をひねればお水が出る。スイッチを押せば電気がつく。
温かいお布団で眠れる。電車に乗れる。風を感じれる。。。。。」
(昨年12月まで 介護施設で働いていましたので これらの一部が全く当たり前じゃない状態の方達と共に
過ごしていました。そして、そういう方たちも、その状況でも、必ず共に光を見いだすことはできます。)
既に受け取っている当たり前の幸せを数えたら、たぶん無限に出てきますよね(笑)
感謝し始めたらきりがないくらいですね!
お子さんについても
「良くしてあげたい。どうにかしてあげたい」
という部分にフォーカスし続けるよりも
彼・彼女の素晴らしい面、できていること、受け取っていることにフォーカスして
「その幸せ・悦びを感じること・感謝すること」 って最大のギフトだなって感じます。
そして、エゴ的思考を明け渡していくほどに、徐々に
「すべてが幻想なんだな~。起きていないんだな~。起きていないことを赦していくんだな~。
本当は肉体じゃないんだな~。私も彼・彼女も完全なスピリットなんだな~。
病気だろうと、そうでなかろうと本当は関係がなくて、 何があっても、無くても 幸せで、悦びそのものだったんだな~。」
って、少しずつ腑に落ちていくのだろうなって
信じています。
エゴって、分離を信じて 足りなさを数える思考パターンがあるので
その思考から少しずつ離れていく、方法のひとつかと思います☆
そのお子さんを、薬でどうにかしようとせずに、なんとかしてあげたいという気持ちでいらっしゃいました。
私も2人の娘(17歳、12歳)がおります。この世界の常識にはまっていない
その2人に無理矢理 何か病名をつけようとすれば「○○症候群」
という名前がつきそうな感じ(笑)
でもね、違うんですよね。
「イヤな事はしません。自身が悦べる生き方だけをしていきます。
やりたい事、やりたい生き方の延長なら、何も苦ではないもの。」
そういった言葉にならない気持ちを、サポートしています。
(本当の自分におまかせして、委ねきっているので、私は何もしていませんが^^)
娘達を見て、わたしが エゴ的思考を使えば いくらでも悲観的になることはできるのかも知れません。
(でも、私が演じさせている この人生という映画の登場人物ですね)
現実である「神と神の子(ハート)」以外は、何もかも幻想という
見方が真実ですが、 急にそう思おうとしたところで悩まれることも多々あるかと思います。
そんな時、もしもよろしければ
「今まで現実と思っていた私の人生って どうも、何もかも幻想らしい。夢を見ているのと同じらしい。
私が映し出している映画らしい。相手にセリフを与えて言わせているらしい。信じられないけれど。。。そうらしい。」
↑
こんな感じでも良いので
自分に「そうなんだって!」と、日々 少しずつでも 教えてあげることを始められると良いだろうな。。と、感じています。
そして、それが腑に落ちるまでは 自身にしても 家族にしても 友人にしても
「足りないところ」を数えるのをやめて
「今 手に入れていること。できていること。感謝に値する事」を数え始めるクセをつけると
凄くいいな~ って思います。(エゴとの隙間を空けるためですね)
幸せや感謝を感じるために 本当は、理由はいらないけれど。。。
(何があっても、無くても、常に至福・悦び・愛というハートのバイブレーションに満ちあふれているのが私たちなので)
例えば、
「頑張らなくても呼吸ができる。頑張らなくても歩ける。頑張らなくても食べられる。飲める。しゃべれる。
お風呂に入れる。トイレに行ける。蛇口をひねればお水が出る。スイッチを押せば電気がつく。
温かいお布団で眠れる。電車に乗れる。風を感じれる。。。。。」
(昨年12月まで 介護施設で働いていましたので これらの一部が全く当たり前じゃない状態の方達と共に
過ごしていました。そして、そういう方たちも、その状況でも、必ず共に光を見いだすことはできます。)
既に受け取っている当たり前の幸せを数えたら、たぶん無限に出てきますよね(笑)
感謝し始めたらきりがないくらいですね!
お子さんについても
「良くしてあげたい。どうにかしてあげたい」
という部分にフォーカスし続けるよりも
彼・彼女の素晴らしい面、できていること、受け取っていることにフォーカスして
「その幸せ・悦びを感じること・感謝すること」 って最大のギフトだなって感じます。
そして、エゴ的思考を明け渡していくほどに、徐々に
「すべてが幻想なんだな~。起きていないんだな~。起きていないことを赦していくんだな~。
本当は肉体じゃないんだな~。私も彼・彼女も完全なスピリットなんだな~。
病気だろうと、そうでなかろうと本当は関係がなくて、 何があっても、無くても 幸せで、悦びそのものだったんだな~。」
って、少しずつ腑に落ちていくのだろうなって
信じています。
エゴって、分離を信じて 足りなさを数える思考パターンがあるので
その思考から少しずつ離れていく、方法のひとつかと思います☆