すごかったので、書きたいことが満載なのだけど、、、、
言葉が出てこないなあ。。
いやーーーーー。すごかったよ。
2018年3月合宿&オンラインリトリート
みなさま、ほんとうにありがとうございます
. . . . 本文を読む
私がいるところは、永遠の愛の中なのだけれど
「その永遠の愛を遮断させ続ける必要性がある」
という、何がどうなって
そうなった信念なのかわけがわからなくなった
狂った欲求からの信念で
自分自身を愛から切り離そうとして
ずっと
ただ、
必死になっていた。
なぜ、愛が押し寄せると
苦しいのかというと
それ(遮断)が実現不可能すぎることだから。。。
絶対できないよ。
. . . 本文を読む
2016年3月19日の記事より
「映像(世界)が変わるという概念」
https://blog.goo.ne.jp/noriko1026heart/e/f2aa614176dcbfbbfa10b77b1735868e
フェイスブックでは、よく過去記事をアップしているのですが
今日は、ブログ上で再度ご紹介します。
多分、2015年夏とか秋以降の記事が
だんだん本格的な内容になっているんじゃない . . . 本文を読む
「のりこ」の人生がスタートする前、
母のお腹から産まれた、、
かのような夢見がスタートする前までの記憶と言うかな、、
その明確な記憶と言うか、目的というか、、
それは、ただただ
「全てである私の幸せ=全体の幸せ」が達成される
その、ただ一つの目的があって
今、この時期までの人生のあらゆるドラマ・ストーリーは全部
その目的のためのものであったんだなあ。
ということが
あまりにも明確になった . . . 本文を読む
1〜2週間前から、引用しようと思っていた箇所があった。
今日がタイミングだったのかな。
T-1.Ⅳ.1
闇からの脱出
闇からの脱出には二つの段階がある。
第一は、闇による隠蔽は不可能だという認識である。
この段階は通常、恐れを伴う。
第二は、たとえ可能だとしても、あなたが隠したいようなものは何もないという認識である。
この段階は恐れからの脱出をもたらす。
何も隠さなくてもよいと思うようにな . . . 本文を読む
「覚悟」のようなものが
最終的にモノをいうという感じがする。
ラマナマハルシは、山へ行く途中に手元にあった小銭を全部投げ捨てた
ブラザーロジェは、最後刺殺された
マザーテレサは、イエスが迎えに来る前に悪魔をみた
なんていうかな
受け入れるべき何かと
拒絶すべき何か、、、
の違いがないというか
今月のオンラインリトリートで、デイヴィッドが
サダムフセイン とか ヒトラー . . . 本文を読む
自分を保つためのお金
能力
知識
この世界では、あるに越した事はない
と信じられてきた、これら
どれもこの世界の「私」のプライドを固めるためのアイテムだった
「私」の力。と言う信念
全部、神に返さなければならない
とにかく真理を隠すアイテムだったんだなあ
全部、神に返せば
目的が逆転されたところから
神の目的のために
全てが与えられる。
もともと、 . . . 本文を読む
「不思議だなあ〜」と思うことがたくさんある。
本当に、自分がこの世界に住まう者で、自分の力で生きている。
と「信じる」って、
すごい催眠術力だったなあ。。
と、、、
娘と話していても
マジで信じてるんだな。この子。。と思うことが昨年まで多々あった
(最近は彼女の知覚も転倒し始めたかな?)
この世界のことを、いわゆる今の常識とか言うもの?
を、、
なぜにそこまで、
その思考を信じることに . . . 本文を読む
限界のない幸せって
ぶつかるところもない
幸せを阻む なにか がなにもない
なにもないからこそ無限に幸せが延長している
なにもないから
無だから
その起源ゆえに、愛がある。
. . . . 本文を読む
パラドックスだね~。
落ちれば落ちるほどに、、
上昇してゆく
降参すればするほど
負けを認めれば認めるほど
どんどん引き上げられる
なんの努力なしに
どんどん上昇する
「私」は、どんどん落ちてゆく
そして毎瞬引き上げが続く
パラドックスだな。
落ちきった、と思ったら
そこは完全なる無で
完璧な愛だった
「今」すら、ない。
「ここ」すら、ない。
. . . 本文を読む
「ちょっとだけ妥協」
は、
「完全に妥協」
だった。
「ちょっとだけ自己欺瞞」
は、
「完全に自己欺瞞」
だった。
ほんとうに、
言っている言葉じゃない。
使っている言葉じゃない。
ほんとうに、妥協をやめること。
たとえそれで世界がひっくり返るとしても
ほんとうに、自己欺瞞をやめること。
たとえそれで世界がひっくり返るとしても
妥協満載の自己 . . . 本文を読む
いつだったかな?
1週間くらい前だったと思う。
「私」という知覚者と、この夢の中のすべてが同一だった
というゆるぎない体験があった。
数十秒間だったとおもう。
家も私、道路を走る車も私、車のタイヤも私、そのタイヤの音も私
鳥のさえずりも私、鳥も私、風も私、風の音も私、木々も私、舞っている落ち葉も私
肉体も私、家族も私、世界中の誰もかれもが私、世界のドラマも私、、、、
宇宙も宇宙 . . . 本文を読む
なぜ、わたしたちは
「自分が働き、自分が稼いでいる」
「自分が何かをはたらきかけて、その結果を引き出す」
と、考え信じられるのだろうか?
そこには何もなく、誰もいないのに
この劇場で演じている主人公は
誰だったのか?
そして彼は 何によって生き 養われているのだろうか?
世界に現れているすべては、すでに恩寵だった
わたしは、何もする必要がない
行為のこと . . . 本文を読む