奇跡講座を学ぶというのも、教えるというのも
今までの私たちが知っていると思っているようなコトではない。
奇跡講座を学び、教えるとは
「自分自身の心」が無意識起源で欲して、信じて、思考してきたシステムとは全く反対の
欲求、信仰、思考に逆転するのを許可して受け入れていくことそのものを指していると思う。
自分自身に教えて学ぶのだ。
それは、私たちが知っていると思っている「教え」でもないし「学び」でもなかった。
もちろん、奇跡講座にはたくさんの文字が使われていて多くの言葉が散りばめられている。
読んでいくと抵抗を感じることもあるかもしれないし、喜びや恍惚感を感じるかもしれない。
そうやって読んでいくことや、ワークブックのレッスンを実践していくことは始まりの始まりにすぎない。
「自分が知っていると思ってきたことのすべてを逆転させるのを許可して受け入れる」とは
自分の人生も、命も、自己概念も、思考の仕方も、感じ方も、何を信じるかも放棄して
それらすべてを自分を超えたものへ預けきってしまうことと同じなのだ。
「自分の期待や理想や欲求を超えたところに全託してしまう」とは、口で言うのは簡単だけれども
人生をかけてできるかできないかわからないくらいの壮大なことなのだと思う。
それをするかしないかは、やはり「願望・目的」に依存している。
今まで埋もれてきた正気の願望・目的に、自分自身が一致することを
人生をかけてのぞみ、そこに尽くしていく、、とは まさに、自分のためだったのだと必ず気がつくときがくる。
本当に、私たちは意味のないものを握りしめ続けてきたのだ。
そこから自分を解放するために、私たちはここにいる。
「教えること、学ぶこと、精神療法」の意味などを【人間レベル】で解釈しないようにしよう。奇跡のコース/奇跡講座✨2020.12.18勉強会より
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