「奇跡講座 マニュアル 序文」
教えることと学ぶことの役割は、この世界の思考では、実際に逆になっている。
この逆転は特徴的なものである。あたかも、教える者と学ぶ者が分離しており、
教える者が、自分自身にではなく学ぶ者に、何かを与えているかに見える。
さらには、教えると言う行為は、人が自分の時間のうち比較的わずかな間だけ携わる特別な活動であると見なされている。
一方、このコースは、教える . . . 本文を読む
癒しの手本【T-27.Ⅴ.1】
癒すための唯一の方法は癒されることである。
奇跡はあなたの助けがなくとも延長していくが、それが始まるためにはあなたが必要である。
癒しの奇跡を受け入れなさい。そうすれば、奇跡はその本質のゆえに前進していく。
生まれたその瞬間から自らを延長させていくことが、その本質である。
そしてそれは、差し出されて受け取られるその瞬間に生まれる。
. . . 本文を読む
究極の幸せが、ここに拡がっている。
何かをする必要も、何かに向かう必要も、達成する必要もない
ただ、すでに拡がっている。
私にとっては、この究極の幸せ以外に幸せを感じることはできなくなっている
自我にとっては、それは不幸だろう
しかし
神の子にとっては自然なこと
すでに何もする必要がないほどに
全ての夢は終わっていた。
無因の何かは、存在することが
はじめからできてなどいな . . . 本文を読む
赦しは、兄弟から自分に為されたとあなたが思っていたことは、起こってはいなかったと認識する。
罪を赦すことで、それを実在するものとして扱うのではない。
罪は存在していなかったと見るのである。
その見方において、あなたの罪のすべてが赦される。
(奇跡講座ワークブック編 P477 中央アート出版社より引用)
. . . . 本文を読む
1〜2週間前から、引用しようと思っていた箇所があった。
今日がタイミングだったのかな。
T-1.Ⅳ.1
闇からの脱出
闇からの脱出には二つの段階がある。
第一は、闇による隠蔽は不可能だという認識である。
この段階は通常、恐れを伴う。
第二は、たとえ可能だとしても、あなたが隠したいようなものは何もないという認識である。
この段階は恐れからの脱出をもたらす。
何も隠さなくてもよいと思うようにな . . . 本文を読む
12月11-12日 合宿参加ご予定のみなさんへ
逗子駅発バス 14:30 か 14:40出発に乗っていただけますか?
よろしくお願いいたします。
新逗子駅バス停のバス通過は、バス始発「逗子駅」の次なので、
その3分後くらいだとおもいます。
いつも通り、バスに乗った時
バスを降りた時、ご連絡くださいませ。
車でお迎えいたします。
のりこ
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奇跡講座テキスト編 P275(中央アート出版社)
T-11.Ⅱ.7:1~6
あなたは自我の人質か、それとも神を迎える接待主か、
どちらになりたいだろうか。
あなたは自分が招き入れる者だけを受け入れる。
誰をあなたの客とするか、いつまでその客があなたのもとにとどまるかを、
あなたは自由に決めることができる。
だが、これは真の自由ではない。
なぜなら、それは依然として
あなたがそれをどう見るかによ . . . 本文を読む
奇跡講座テキスト編 P302(中央アート出版社)
T-12.Ⅱ.9
あなたは愛を追放しようとして成功しなかったが、恐れを追放することを選ぶなら必ず成功する。
主はあなたと共にいるが、あなたはそれを知らない。
だが、あなたの救い主は生きており、自らを創造した平安の内に、あなたの中にとどまる。
この自覚を、恐れの自覚と取り替えたくはないだろうか。
恐れを隠したり縮小したり、その重要性を何らかの形で . . . 本文を読む
奇跡講座テキスト編(中央アート出版社)
平安への障害.B-苦痛の魅力-
(T-19.Ⅳ.B.12:1〜2)
肉体を通して楽しみを求めるなら、苦痛を見出さずには済まない。
この相互関係を理解することは非常に重要である。
なぜなら、これが、自我が罪の証拠と見なしているものだからである。
(12:6〜7)
罪悪の魅力も必ず恐れと一緒に入ってくることになり、それゆえに、恐れが肉体に命じる行為 . . . 本文を読む
奇跡講座テキスト編 序文より(中央アート出版社)
T-In.1:6~2:4
このコースは愛の意味を教えることを目指してはいない。
それは教えることのできる範囲を超えているからである。
しかし、愛の現存を自覚できなくしている障壁を取り去ることは、たしかに目指している。
愛の現存そのものは、生来あなたが受け継いでいるものである。
愛の対極は恐れであるが、すべてを包み込むものに対極はありえな . . . 本文を読む
神の愛が、業火(罪人を焼く地獄の火)のように知覚されている。
神の愛に対する防衛が病気。
幻想の夢見も病気だし、
夢見の中で「夢に焦点をあてるすべてのチャレンジ」が病気。
やめるしかない。
何をやめるのかというと、自分以外の何かがあるという信念から
自分の外に原因を見る。という妄想=投影。
自分以外の何かなんて、ない。
一つしかない。
源は、内側にしかない。
奇跡講座 ワ . . . 本文を読む
2013年の、ある日
「私の名を呼びなさい。」と
ある神の使者から言われた。
呼び方(響かせ方)まで具体的に。
それを、早朝のベッドの中で思い出して
呼んだ。
全てが吹き飛びそうなほど
神の愛の響きだけになっていった。
まだまだ抵抗している。
「彼の名を呼ぶことを、全面的に受け入れてはいない。」
受け入れたなら
自分(意識)ごと、宇宙が消滅することに気が付いて . . . 本文を読む
9/23(59分~)にR太さんがシェアしてくださって
深まってきた(と感じる)一つのフレーズ
「想念は、その源を離れない」
聖霊から見た自我の想念は
「愛と助けを求める懇請」であり
形のレベルで映像化されている
「兄弟」が叫ぶ
「愛と助けを求める懇請」は、
「自分自身(夢見る者・決断の主体)」のそれ。
「愛ある想念」としての「兄弟」もまた、
「その兄弟」とは
「私 . . . 本文を読む
そうしたくなって、
JACIMの「原因についてのコースDVD」の、主に3~4を繰り返し見聞きし続けています。
金時豆を煮ていたとき、キッチンに流れ込んできたコトバ。
もしそれがそこにはないとしたらどうだろう。
心の奥が反応して爆笑しました。
あ、笑ってる。
リビングに戻り、巻き戻してみました。
もしそれがそこにはないとしたらどうだろう。
何とも表現しがたい、静寂の奥での爆笑! . . . 本文を読む
18日の勉強会で、お金にまつわる信念についても結構深くストレートに学び合いました。
それを信じて幻想世界にリアリティを与え、分離の信念と罪悪感を強化し温存するというはたらきが
こうやって繰り返されるんだな。という仕組みも、実感から理解されてゆく感じがしています。
お金というツールそのものの便利さと
自動車というツールそのものの便利さと
冷蔵庫というツールそのものの便利さには、まったく差がないわけ . . . 本文を読む