「信じる必要が無いよ。」
は、
「静まりなさいね。」
という言葉を遠回しに、やさしくやさしく教えている
聖霊の言葉だった。
私を破壊し、罪悪感を感じさせることなく
「その思考をやめなされ。」
と、葛藤する私に言うことなく
思考をやめさせた言葉だった。
. . . . 本文を読む
さっき、この題ではない題名で記事を書いたのだけど
投稿した途端、消滅してしまった。
「個々人のレッスン課題」
というもの、見方について
「ちょっと違うんだよね」
というような声が差し挟まってくるようになった。
個人のレッスン課題について自他が強調するほど、
本当は無の課題を有としてしまい、それをかえって強化させてしまうんだよ。
というような声。。(9/26の勉強会「教えて学ぶ」 . . . 本文を読む
愛の想念ではない、もう一方のレベルの想念を訴える兄弟の姿も、そうだけれど
愛の想念ではない、もう一方のレベルの想念を訴える世界の姿も、また
そうなのだな。と、、ふと感じました。
神との分離を信じたことから生じたかに見える
この幻想世界は、始まったと同時に、実は終わっているのだけれど
終わる道筋の一瞬一瞬、まさに今も、
世界は赦されたがっているんだな。
世界は救われたがっているんだな . . . 本文を読む
奇跡講座(奇跡のコース・ACIM)を実践しつつ、最近は毎日楽しいのだけれど、
「なんか違う。」
そんな気がして聖霊にたずねた○○さん。
「幻想があるレベルで日常を楽しく過ごすのではなく
幻想がない。ということを受け入れて楽しむといいのでは?」
というような答えがやって来たのだそうです。
そこで、ふとご質問をいただきました。
(質問)それを受け入れた後はまた違った視点で幻想を楽しむ感 . . . 本文を読む
9月27日は、中秋の名月だったんですね。
28日は、スーパームーンとか言われているらしいですね^^
お団子は作らなかったけれど、プリン(最近は、なめらか)を作り食しました。
窓を開けて、空を眺めずとも
眺める前から、「私」の中に、月があるのを感じます。
月どころか、すべての宇宙も「私」の中に
世界のすべてが、すべての兄弟が「私」の中に。
だから、物理的にお会いしても、お別れしても . . . 本文を読む
山上の垂訓で、イエスが民衆に語ったとされる
「貧しいものは幸いである。神の国は彼のものである。」
という言葉が、昔からどうしてもピンとこなかった。
自我から聞けば「貧乏じゃなければダメだよ。」「苦しんでいなければダメだよ。」
と言われているような気がする。
精神的に苦しみ、物理的な財産を捨てなければいけないのか?と思う。
けど、昨年くらいからか、心の奥底からの理解を感じてきた。
. . . 本文を読む
何もかも、裁く心から
何もかも、赦す心へと。。。
「ある」と思っていた境界線が消滅してゆく
夢の中の誰が何を信じていても
何を言っていても
何をしていても
真の赦しで赦す心には
なんら問題にならない。
何一つ、問題にならない。
自分が作りだした幻想を見て
それを作りだした場所から
それを真理のもとへと運んでゆく。
問題にならないのだから
何もかも、真理のもとへと . . . 本文を読む
ある方から、「今とっても恐怖がやって来てどうにもなりません!!」
と、ご連絡をいただきました。
今も、今までも奇跡講座を懸命に自分のペースで実践している方です。
そのお返事を少しシェアさせていただきます。
☆ ☆ ☆
(答え)
その恐れを「自分のもの」にしないでねー。
「私の何か」って ないのです(^_^*)
今、「これは私のもの!」と、掴んでいるんですよ。
(質問)
. . . 本文を読む
奇跡講座テキスト編(中央アート出版社) P53 T-2.1.5:10
「病とは何らかの形の外的探求である」
とありますが意味が分かりません。
という単刀直入なご質問(笑)を、1年半前にいただいたことがありました。
その時のお返事をご紹介させていただきます。
☆ ☆ ☆
(2014年2月某日)
今の私で読むと、こんな感じです。 (完全に合っているかはわかりません)
この文 . . . 本文を読む
もう一歩、イエスがしていた「兄弟を無として見て赦す」
ということの意味がわかってきました。
最近、一切の相違を見れなくなってくる状態が、接近したり遠のいたりを繰り返していますが
一切の相違を見れなくなると、決断の主体は、しきりに相違が内蔵されているシナリオにフォーカスしようとします。
もともと相違がないのに、もう一度改めて相違にチューニングする。というか。。
けれども、これをまるごとや . . . 本文を読む
てっちゃん、香港さん、私での一泊二日合宿が終わりました。
夕食は、徒歩圏内のスープカレー屋さん「南葉亭」☆
てっちゃん、香港さんを含めた元アンフィニ&現在奇跡講座がっつりメンバーは
相当濃いシナリオの役回りの間柄なんだろうと、とても感じています。
ここまでの自覚は無かったのですが、これは相当な腐れ縁ですね。
深いシェア会の中で、のりちゃんはこういう課題。てっちゃんはこういう課題。香港 . . . 本文を読む
この世界で赦されるべきはたった一人の「わたし」
「わたし」を赦すためには、
他者ということにしている、相手ということにしている
「わたし」を赦すこと。
それによって赦されているのは
本当に「わたし」なんだ。
裁きの夢から、解放の夢・幸せな夢へと移行してゆく
完全なる全託への道。
これが、言葉上ではなくて
深い深いところから
「本当にそうですね。」という感謝の確信になってゆ . . . 本文を読む
8月5日の、怒涛の無意味化体験、
すでに終わっている場所にいるんじゃん!!体験
これは、概念として
「世界はとうの昔に終わっている」ということを学んで理解しているレベルと
「え?!本当にそうなんだ。。本当に終わっている!!!」
という確信レベル・体験レベルとでは、圧倒的な歴然とした違いがあります。
2014年までは、おそらく私も概念としての理解だったのですが
様々なレッスン . . . 本文を読む
おぼろげなのですが、どこかの時代で、たぶん何度も
外側の映像・シナリオを意のままに動かしていた(TVのチャンネルを変えるような感じ)
ことを思い出してきています。
それこそ、山をも動かすし、川の流れを変えるし、、、意のままです。
「こうしたい。」と思うことは、シナリオ・設定の中で、したいようにすることができる。
それを思い出した今、、
「それは、ろくでもないこと。」という明らかな結 . . . 本文を読む
幻想を信じるか
神を信じるか
いずれか一方しか選べない。
幻想を捨てることでのみ
神への帰還が果たせる。
今回は、それを果たす。
何もかもが計画通りで、運行されている。
それはすでに、なされている。
. . . . 本文を読む