気ままな歳時記(その2)

気ままな歳時記の続編です
Sonyα6500とRX100M7で撮った写真で,日々の事や昼飯を気ままに綴っています

映画『エヴェレスト 神々の山嶺(いただき)』

2016-05-01 21:17:50 | ときどき映画
 今日は,映画の日なので,前から見たいと思っていてなかなか行けなかった『エヴェレスト 神々の山嶺(いただき)』を観に行ったのですが,もう,一日に一回だけしか上映されてなく,もうすぐ終了だったようです。

 『エヴェレスト 神々の山嶺』は,夢枕獏氏が構想から20年,3年かけて書き上げた小説を原作としていますが,私も3年ほど前に読んで感動した,本格的な山岳小説で,これ以上はないと言うくらい素晴らしい小説でした。

 私的には,この感動的な小説を映像化してくれただけで感激ものですが,撮影するのが大変だったろうというのが,画面からも分かりますが,エヴェレストの素晴らしい映像に感激しっぱなしでした。

 ストーリーは,イギリス人登山家「ジョージ・マロリー」が1924年に「エヴェレスト」に初登頂したか否かは,現在でも謎のままですが,「マロリー」の何故山に登るのかの問いに「そこに山があるから」と答えたのは有名な話で,この小説が書かれた後で,本当に「マロリー」の遺体が発見されるのですが,カメラは発見されていないので,登頂したかは今でも謎であります。

 部厚い文庫本2冊分の長編小説なので,映像2時間あまりで表現するのは難しいとは思いますが,細かいところで山を登る人の気持ちやそれを待つ家族の気持ちを的確に表現していて,この映画の「羽生丈二」のモデルになったと言われる「森田勝」さんと「長谷恒雄」のモデルと言われる「長谷川恒男」さんとも,日本が世界に誇る天才的なクライマーで,その2人とダブらせていました。

 若い頃にかなり山に登った私には,「森田勝」さんや「長谷川恒男」さんだけでなく,「岸文太郎」という人物が登場しますが,私はその名から日本山岳会の黎明期の孤高のクライマー「加藤文太郎」さんを思い出しながら,映画を観ていました。

 小説『神々の山嶺(いただき)』
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映画『無伴奏』を観てきました

2016-04-25 21:07:06 | ときどき映画
 『無伴奏』は、作家の小池真理子さんの自伝的な小説が原作となっていて、1969年から1971年の仙台が舞台となり、その名作を映画化したというので、私の母校である仙台二中の近くにある仙台フォーラムまで行って来ました。

 70年安保の時は、仙台の街も東北大学生を中心にデモなどが盛んに行われていましたが、当時は高校生のみならず中学生まで参加していたのを覚えています。

 その当時、「宮城県第三女子高校(宮三女)」で「制服廃止」の運動が行われていたことをこの小説を読んで初めて知ったのですが、そういえば、1973年に「宮城第一女子高校(宮一女)」で制服が廃止されてので、「宮三女」でもそういう運動があっても不思議ではありませんね。

 その当時は、喫茶店=タバコ=不良という図式が出来上がっていて、喫茶店に入ることは希でしたが、「詩仙」「白雪」「ビートルズ」という店には入ったことがありますが、知ってはいましたが『無伴奏』には足を向けたことがありませんでした。

 中学・高校時代は、ロックなどの洋楽しか聴いたことがなかったので、『無伴奏』には縁がなかったのですが、今回の映画で店の内部が忠実に再現されているということなので、注意深く興味を持って観ていましたが、昔はこんな感じの喫茶店が多かったのかと思いました。

 2011年10月23日に、小説の無伴奏についてブログに載せていますが,小説では「カノン」についての記述が主体ですが、映画ではチャイコフスキーの遺作である交響曲第6番「悲愴」が印象的に使われています。
 「悲愴」は、チャイコフスキーが死の恐怖に苛まれながら書いたと言われていて、そのチャイコフスキーも同性愛者だったということなので、作家が意図的にこの曲を使った気もします。

  「アンニュイ」と言った言葉がピッタリするような『無伴奏』の中にいる人は、1970年の学園紛争に参加しない日和った学生が集まっていて、その中に高校で「制服廃止」の運動をしていた主人公の“響子”がいました。

1970年というと、大阪で開催された「万国博覧会」の“太陽の塔”と壮絶な自殺を遂げた天才作家である“三島由紀夫”が頭に浮かびますが、私自身は将来に漠然とした不安がありましたが、毎週末放送される東北放送ラジオの「AMO」を聴くくらいが楽しみでした。

仙台の普通高校は全て私服だった中で、女子高校でもそれに追随する風潮があったとは気づきませんでしたが、その活動に身を投じる“響子”と,異性も愛せる同性愛者を、今、理解するのは難しいのですね。

 1969~1971年の学生運動・ヒッピー・長髪・ミニから1972年の浅間山荘事件・札幌オリンピック開催・日本列島改造論・日中国交正常化という時代背景を思いだしながら、この映画を観ていて、不思議な気持ちと雰囲気になり、映画の中の仙台に入っていく気持ちになりました。

 小説の『無伴奏』をどう描いているのかが、観る前は興味がありましたが、映画を観進めていくうちに、そんなことよりも、この時代の雰囲気に段々とのめり込んでいって、映画は最後を迎えました。

 当時の仙台の街の雰囲気が良く出ていたと思うし、ちょっと激しい性描写が気になりましたが、良い意味でも悪い意味でも45年前を思い出させさてくれる映画でした。

 小説では,「悲愴」は「ムラヴィンスキー指揮・レニングラードフィル」の演奏でした
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映画『天空の蜂』

2015-10-15 21:02:50 | ときどき映画
 今回観た『天空の蜂』は,東野圭吾さんが原子力発電所を題材に1995年に発表した同名の小説を,堤幸彦監督が映画化したものです。

 時は,阪神淡路大震災後の1995年8月に,自衛隊用の大型ヘリ「ビッグB」が何者かにより遠隔操作され,福井県にある原子力発電所「新陽」の真上にホバリングさせ停止します,

 その犯人は「天空の蜂」と名乗り,国内すべての原発を廃棄するよう要求し,従わなければ爆発物が搭載された「ビックB」を原発に墜落させると宣言します。

 堅く見ると,原発問題を投げかけたり,社会と人間の在り方を問う作品のように感じますが,私は犯人も含めて愛が全て作品の中に1本通っている感じで,人間としての愛,親子としての愛,夫婦としての愛を問うているのではと思いました。

 最後には,東日本大震災直後のシーンは原作にはないのですが,向井理さんの真剣で凜々しい顔つきとともに,最後まで愛を感じる良い映画になっていたと思います。

 『天空の蜂』(その1)


 『天空の蜂』(その2)
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