「宮城県民会館」(東京エレクトロンホール宮城)は、前の東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)に開館し、座席数1590席と仙台の街中にある音楽ホールとしては、座席数1,000席の1960年(昭和30年)開館の「仙台電力ホール」とともに県民に親しまれて来ました。
しかし、東日本大震災の被害や老朽化が進んだこともあり、宮城球場そばの「仙台医療センター」跡地が移転候補地に選出され、新しい県民会館を「東北最大の芸術文化拠点」と位置付ける基本方針が出されました。
JR仙石線の「宮城野原駅」を降りてすぐの場所なので、音楽ホールとしては適した立地と思いますが、何と『宮城県美術館』も同じ場所に移す検討を行っているようです。
『宮城県美術館』は、1981年(昭和56年)に青葉区川内の国有地の払い下げを行って建設され、川内地区は、戦前は第2師団の衛戍地(えいじゅち)の一部でしたが、戦後、進駐軍の「川内キャンプ」となり、1956年(昭和31年)の撤退後は、東北大学川内キャンパスとなっています。
川内地区は、ほとんどが国有地、県有地、市有地で占められ、東北大学、東北工業大学、宮城教育大学、仙台二高、仙台商業(移転)、国際センター(元宮城県スポーツセンター)、仙台市博物館、元追廻住宅も大規模な公園になる予定、まさに文教地区としては、仙台に此処しかないという素晴らしい場所です。
『宮城県美術館』は、川内という場所に永遠にあって欲しいと願うのは、私がここで生まれ育ったからばかりではないと思います。
宮城県民会館(東京エレクトロンホール宮城)
宮城県美術館(その1)
宮城県美術館(その2)