「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

80年代の韓国歩紀~光化門と旧朝鮮総督府

2024-07-14 20:36:38 | 日記
 ソウルの中心部にある「光化門」です。李氏朝鮮の王宮である「景福宮」の正門として1394年建立されました。豊臣秀吉の「文禄の役」や日本の「韓国併合」などにより焼失や移転を繰り返したそうです。現在の扁額には漢字で「光化門」と書かれていますが、この写真では光化門を表すハングルで「クァンファムン」と書かれています。朝鮮王朝の4代国王「世宗大王(セジョンデワン)」によりハングルが発明されたのは1443年。つまり光化門が建立された当時にはまだハングルが存在しなかったため漢字に書き換えられたそうです。科学的な矛盾があっても韓国という国は時々こういうことをします。


 門に掲げられている横断幕には「慶」「祝」の文字に挟まれて「第38周年 光復節」と書かれています。日本の終戦記念日である8月15日は韓国にとっては日本の植民地支配から解放された日です。「暗い日本の植民地支配から光を取り戻した」という意味で「光復節」と呼ばれています。

 そして門の後ろに建つレトロな建物は中央政庁として使われていた「旧朝鮮総統府」。平成7年、「日帝の残渣(残りかす)」として解体撤去されました。門の前には「ポニータクシー」と「市内バス」。その向こうには「白バイ」の姿がチラッと見えます。当時ソウル市内を走っていた車はほぼこの3つだけです。私は当時、別に意識することなく写真を撮っていました。あくまでも被写体は「東大門」であり「南大門」であり「光化門」でした。しかし結果的にこの3つの車しか写っていないのだから間違いないと思います。

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