硝子戸の中でのひとりごと

日常の中のいろいろを
nyamisenjyuで
お送りします……

タイトルは漱石より拝借☆

春(!)、明治村、3丁目

2019-06-30 17:30:38 | ほか国内遠出
ブログ投稿ページが新バージョンになると
写真の入り方がかわるんですね。

まあ、ぼちぼち慣れましょう。
ということで、続きです。
明治村3丁目。

京都市電

明治村にあるのは、車両は明治43年から44年にかけて製造された
車両 なんだそうです。

自働電話

明治33年に東京・京橋のたもとに設置された、
日本初の公衆電話ボックス。
アメリカの公衆電話の表示「オートマティックテレホン」を
直訳した「自働電話」の文字が表示されていたとか。
「公衆電話」と呼ばれるようになったのは大正14年から……
って、それもはっきりわかってるのね。

北里研究所本館・医学館

とにかく外観が格好いいですよね、このころの建物。

幸田露伴住宅「蝸牛庵」

幸田露伴の住まい。
立派ですが、この方も引っ越し魔なんですね。
かたつむりの家、と言うには立派(笑)。

西園寺公望別邸「坐漁荘」(重要文化財)
 
 
3丁目で一番見ごたえあったのはココ。
西園寺公望の別邸です。
政治の第一線から退いた後に駿河・清水港近くの興津の海岸に
建てた別邸で、隠居するつもりが政財界の人がちょくちょく
訪れた……って、そりゃそうなるでしょうね。 
庭や窓からの眺めもできる限り忠実に移築されたとのことで
2階の窓からの眺めは素晴らしいです。
海に面した1階の洋間は、昭和に入ってからの増築だそうです。
西園寺さん、長生きだものね。

茶室「亦楽庵」

もとは京都にあったみたいですね。
わりと大きい茶室です。

品川燈台(重要文化財)
フランス人技術者の手によって建設 された品川灯台。
灯台ってちょっとワクワクします。

こちらは霧砲。
中国大連口 に設置してあったものだそう。
濃霧時の船舶航行の安全を確保するための霧砲です。
だから灯台の近くに展示してあるんですね。

菅島燈台付属官舎(重要文化財)
 
鳥羽沖合の菅島に建てられた菅島燈台付属の官舎。
こちらの灯台はイギリス人技術者の設計だそう。
内部には神島燈台の回転レンズが。
神島灯台は、三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台にもなった
伊勢湾・神島の燈台だそうです。

長崎居留地二十五番館
修理の関係で離れた場所から見ただけですが。
和洋折衷な感じ。

神戸山手西洋人住居
神戸の異人館だと思うとお馴染み感がありますね。

宗教大学車寄
ものすごく立派な車寄。
大きい大学だったんだろうなあ。

芝川又右衛門邸
豪商の邸宅と言われればなるほどな感じ。
「スペイン系建築様式の影響を受けた
 アメリカの建築様式に影響を受けたもの」
っていう説明にちょっとニヤリ。

台場鼻潮流信号機
下関市竹子島 に設置されていたもの。
潮の流れが激しい場所に、船舶航行の安全のために設置された
信号機(腕木式信号機)なのだそう。

明治村にあるものってバリエーション豊かですよね。
ということで、続きます。


春(!)、明治村、2丁目

2019-06-30 12:02:33 | ほか国内遠出
明治村2丁目。
……●丁目ってのは境界がけっこうあいまいだったりします。


千早赤阪小学校講堂

おもしろい外観です。
ただ、私が行ったときには公開はしていませんでした。
建築法の関係で、2階の公開はそもそもしていないみたいですね。

第四高等学校物理化学教室

うっすらピンクの壁が印象的です。
どうしてこういう色にしたんでしょうね?

東山梨郡役所(重要文化財)

山梨県のお役所の建物ですが、こちらもなかなか見事。
遠くからも目立つ、とてもモダンなデザインです。
中で「平成」のプレート持って記念撮影ができました。

清水医院
  
木曽路の中程、妻篭と木曽福島の中間にあったという清水医院。
島崎藤村の姉園子が入院しており、「ある女の生涯」でも描写されています。
“島崎藤村のおともだち”という形で、啄木や一葉が
紹介されているのもおもしろいところです。
 
訪れたタイミングで、滅多に公開されない2階部分が公開されていました。
2階は数寄屋風の和風なつくり。
おもしろいのは窓です。裏側から見ると、普通の四角い窓なんですよね。
それを、表から見ると洋風のアーチ型になるように細工してあります。
こういうところに時代を感じます。うーん、楽しい。

窓からは、先ほどの東山梨郡役所がきれいに見えます。

東松家住宅(重要文化財)
 
いわゆる商家タイプの町家ですね。
吹き抜けが格好いいです。

京都中井酒造

一部甘味処として活用されています。
けっこうこういうところ多いですよね。

安田銀行会津支店

ここは衣装貸し出しスポット。
いわゆるハイカラさんスタイルが借りられるみたいです。

札幌電話交換局(重要文化財)
  
とっても重厚な建物。
これ、札幌から持ってきたと思うとすごいなあ。
中では古い電話などをいろいろ見ることができます。
私としては、防火壁をしっかり展示してあったのが印象的でした。

京都七条巡査派出所

いいなあ~、派出所。
煉瓦造りの建物がすごく好きです。
しかも、この巡査が良い方でした。
写真いいですか?とうかがった時の対応も素敵。


というわけで、3丁目に続きます。


春(!)、明治村、1丁目

2019-06-29 23:41:42 | ほか国内遠出
だいぶ間が空きましたが、「突然の犬山城と城下町」の続きです。
(コチラ)
突然の犬山城と城下町

この時の、一番の目的は「明治村」へ行くことでした。
というわけで、2泊3日の中日は丸一日、明治村です。

まずは1丁目から。


第八高等学校正門

「博物館明治村」の正門です。この門を見ただけで、
近代建築好きとしてはテンションが上がります。
赤レンガがとても魅力的。

大井牛肉店

開港された神戸にあった牛肉販売と牛鍋の店の建物。
牛鍋屋として営業もしていますが、すごく混んでいたのと
なかなか良いお値段だったのとで今回はパス。
「牛肉食わねば開化不進奴」ですが、開けぬ奴のまま見学です。

三重県尋常師範学校・蔵持小学校

明治時代の名張にこんなモダンな建物があったんだなあ。
明治大正期の学校の建物って、素敵なものが多いです。

近衛局本部付属舎

この建物は、宮城警護のために設置された皇宮警察庁舎の一部とのこと。
建物の中には、明治時代の人や明治村を解説するための
たくさんのパネルがありました。

赤坂離宮正門哨舎

丸井ドーム型の屋根がかわいらしい哨舎です。

聖ヨハネ教会堂(重要文化財)
  
 
明治村に入って最初に出てくる教会。
見事。美しいです。
一階がレンガ造、二階が木造になっています。
何と言っても、正面左右にある、ゴシック風の高い尖塔がいい。
設計はアメリカ人ガーディナー。
明治40年に京都の河原町通りに建てられたプロテスタント系・
日本聖公会の京都五條教会の建物だそうで……
そうか、この建物が京都にあったのか!という驚きがありますね。

学習院長官舎

陸軍大将乃木希典が学習院長をしていた時にできた建物。
和洋折衷の落ち着いた感じです。
なんかあちこちで乃木さんの名前見るなあ。

西郷從道邸(重要文化財)
 
木造ですが、本格的な洋館。異人館の建物みたいです。
西郷従道、すっごい西洋かぶれだな……と思いそうになりますが、
ま、そういうわけでもなくて、要は接待ハウスですよね。
迎賓館ができたのって結構遅いし、政府の要人は自前でこういう
西洋風の建物スタンバイしてたわけですよね。ある意味大変。

森鴎外・夏目漱石住宅
   
いやもう、要はこれを見に来たんですよ!!!
明治村にある建物の中では地味な建物ですが、
漱石オタク、文学好きには垂涎です。
明治23年森鴎外が借りて一年余りを過ごし、
その後、明治36年から同39年までは夏目漱石が借りて住んだ
いわゆる「千駄木の家」です。ようやく見られた!
漱石はここで「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「草枕」などを発表したわけです。
書斎にも座ってきましたよ!
ちなみにこの家、猫用のくぐり戸などもあったりするんですよね。

東京盲学校車寄

車寄せでこれって、立派な建物だったんだろうな。
周辺は広い日本庭園になっています。

鉄道局新橋工場と明治天皇・昭憲皇太后御料車(鉄道記念物)
 
明治天皇御料車と昭憲皇太后御料車が別なんだという点が
一番驚きだったかも。
豪華です。乗ってみたくなりますね。

三重県庁舎(重要文化財)
 
三重県庁舎、こんなに立派だったのか!という驚き。
確かにお役所っぽくはあるんですが、宮殿みたいでもあるという。
不思議な素人モデルさんとアマチュアカメラマンみたいな人がいっぱいで
全景をしっかり撮れなかったのが残念でした。


2丁目に続く。


丹生川上神社下社の例祭へ

2019-06-08 21:18:49 | 奈良
飛鳥時代に天武天皇によって創建されたといわれる丹生川上神社。
上社、中社、下社の3箇所がありますが、今回訪れたのは下市町にある下社。
6月1日の例祭に参拝させていただきました。

この辺り、交通手段が難しいのでまったく初めてです。

 

日本最古の水神を祀る社、ということで、祭神は闇龗神。
雨を祈るときには黒馬を、止雨(晴)を祈るときには白馬を献ずるという歴史があり、
それがいわゆる絵馬の起源となるわけですね。

奉納された馬も祭祀へ参加します。
このフォルム、西洋種でなく在来種かな?
いずれにしてもかわいかったです(観点……)。
 

境内に後醍醐天皇の御製が刻まれた碑があります。
この前で、神官さんたちがお祀りをされていました。


今年は、丹生山山頂に鎮まる本殿まで続く木製75段の階(きざはし)の
修理が完成したということで、今年の例祭は少し大規模だったよう。

例祭の日だけは、一般の人もこの階を登って拝殿の前まで
行くことができるので、上がらせていただきました。

こちらがその階です。
新しい木のよい香りがしました。
高所恐怖症的には、わりとおっかなびっくりでしたけど(笑)。


そして、天誅組史跡。
橋本若狭旌忠(せいちゅう)碑です。
チェックせずにはいられない(笑)
天誅組関係って、いろいろ調べてみたいのですが、
行きづらい場所が多いのが悩ましいところ。


なかなか興味深かったです。
上社や中社にもまた行ってみたいな。