「ジョン・ナック 『禹』の足摺りの深層」その一日本人の女性観を中心にして
『禹』について語った私ジョン・ナックは、 Yin Yi の『宇宙の組成と日本人の組成』という短い文章のに触発されて、さらに日本史の真なる基層を掘り出したいと思います。
まず日本の天皇家から話しをはじめてみましょう。
「日本書紀」を天皇に講義した記録に書かれている話しですが、天皇が博士への質疑で、「わが国が姫氏(きし)国と呼ばれるのはなにゆえか」とあります。この姫姓は周王朝の王族の姓ですが、その前の殷王朝のその前の夏王朝の姓は本来、禹は彼の姓を「姒(じ)」と称していたのです。周王朝が、同じ漢字の左側の「女へん」を用いていている点に注目してもらいたいのです。
なぜ周王朝は「女へん」に拘るのでしょうか? それは復興夏王朝の旗を鮮明にして殷王朝(子氏)を倒す正統性を名乗る必要があったからでしょう。殷王朝討伐に加担した姜族の太公望ならそこら辺の画策はお手のものでしたでしょう。なにしろこの姜族も禹の流れであると自負していたからです。姜族の伝統行事では、あの「禹の足摺り」を真似する、という儀式があるそうです。
もし天皇家が「姫氏」であるなら、日本の精神構造及び政治構造も「禹」の実像を反映したものとなったことは十分頷けることでありましょう。
この「女へん」の事実は当然、女性と男性とが切っては切れない不可分の精神を反映しています。それはおそらく当時としては高貴な人間性高揚の革命的な新時代のおおらかな到来の宣言であったでしょう。
この女性性重視の考えはさらに我が国においてさらに発展したと見るべきです。世界には太陽を主神とする宗教、民族があまたあるなかで日本だけが女性の太陽神を主神としているからです。
これは邪馬台国の卑弥呼の話をなぜ現代の日本人が執心するかの答えでもあります。アマテラス神や斉明天皇に連動している不思議をそこに見るからです。
しばしば日本史においてはその時代時代の混沌期に活躍する傑出した女性の指導者が現れ、壁にぶつかった男社会の弊害から脱却させました。まるで救世主のように。卑弥呼の印象は我々に、繰り返し勃発する国難を克服する女性のトップの出現を予兆させます。
以下ざっと挙げますと、アマテラスを筆頭に、神功皇后、持統天皇、推古天皇、光明皇后、北条正子などなど。
彼女らは「天照」の言葉そのもののような見事な明るさで我が国の民をリードして来ました。
伝来の仏教にも女性的に浮き彫りされる観音菩薩、弥勒菩薩、薬師如来が出現するのも頷けます。インドにおける原始仏教ではあり得ない様相が日本仏教には現出するのです。要するに日本の精神土壌は本来的に、「五障三従」という女性蔑視とも言うべき古仏教とやや趣を異にしているようです。
ちなみに本地垂迹説の垂迹神と本地仏の主要な女性神仏を列挙しますと以下のようになります。
*天照大御神=大日如来、十一面観世音菩薩
* 大山咋神「日吉」=天照大神=大日如来
* 市杵島比売命=弁財天
* 豊宇気毘売神=稲荷神=金剛界大日如来
* 菊理姫=十一面観音
* 伊弉美尊=千手観音
* 木花之佐久夜毘売=浅間大菩薩、阿弥陀如来
* 御姥尊=大日如来
* 七面天女=吉祥天、弁財天
* 稲荷神=十一面観音、聖観音、荼枳尼天千手観
さらにおそらく中国由来の陰陽思想も男女同一の価値を表す思想でしょう。
さて夏王朝に話しを戻してこの論考を閉じたいと思います。夏王朝の中興の王、少康の母「緡(みん)」の話しです。
「史記」とともに古代中国史を語る上で重要となる情報を与えてくれる『竹書紀年』によると、夏王朝中期の「王中康」の子である「相」が跡を継ぎます。在位年数は二十八年。 その在位八年に夏王朝を実質的に支配していた「羿」がその妻「玄妻」(純狐氏)と臣下の「寒浞」に殺されました。 そして「王相」自身も「寒浞」とその子供の「澆」によって弑されます。相の妻「緡」は都でのクーデターから逃がれ、彼女の出身地である有仍国で次の王となる「少康」を生む。少康はやがて成長すると、その息子の「杼」や夏王朝の遺臣である「伯靡」、「有仍氏」、「有鬲氏」などと共に「寒浞」や「澆」、「豷」を討ち滅ぼしました。これを「少康中興」といいます。
ここに、中興の王の母の存在の偉大さが「禹」の精神的子孫の日本人の心に投影し続け、今なお息づいていると思う理由です。
そして次回は「記紀」に見られる神観の特異性に触れてみたいと思います。
ジョン・ナック 「歴史思想書」より