oceanside

仏語、英語学習者。アイザック・アシモフのファン。ノース・ホワイトヘッド思想信奉。縄文志向、仏陀志向。

マジック・レイ

2022-03-27 19:17:25 | ミーターの大冒険
Inuyama はこの発見が地球と太陽系の新たな起源についての確固たる証拠になるのかとまだ疑心暗鬼のままでいた。まだこのことを学会に発表すべきなのか迷っていたのだ。

 背後からは彼が合成した昔の彼女の音声が少しうるさいくらいの調子で聞こえてきた。

 「ファルコンからのデータはもう届いています。
これでデータはすべてそろいました。
当初の目論見通りです。
もう躊躇する段階ではありません。
あとはキャップの判断を待つのみです。
キャップ、
どうされますか?」

 かつて小惑星帯よりの砂漠地帯に落下した炭素系コンドライトのAcfer(アスファ)094隕石の内部から「氷の化石」を見つけたのだ。

 この隕石は太陽系のスノーラインを越えて来たものに違いない。

 Inuyama は目の前に広がる深緑の海に煌めく一筋のマジック・レイを容易く想像できた。

 「そうだ、言われるまでもない。 
あの昔2人乗りの自転車で駆け登った
丘から見下ろした
星空の光景と似ている。
あの時の彼女の瞳の閃きに。」

 「そうだ、想像以上に辻褄が合う。
煌めく緑色の宇宙からの光線が見える。
おっしゃる通り、
もう躊躇しているときではないな!」

https://youtu.be/gjhUeR-3JfY

yatcha john s. 「マジック・レイ」(たわいもないショート・ショート)


『ミーターの大冒険』と瓢箪

2022-03-27 10:05:28 | ミーターの大冒険
『ミーターの大冒険と瓢箪』

 『ミーターの大冒険』の数あるテーマの中でも「浄化」や「解毒」は大事なものです。 それを哲学思想に置き換えて見ると「中庸」という概念でも捉えられます。 この「中庸」という思想は、ご存じのように古代思想においてかなり肝心要であったことは定説です。 お釈迦も孔子もアルキメデスも同じ内容を伝えれおります。
 ところで、その中庸というのは、仏陀の思想の中で例えて見ますと、「中」や「空」と言っております。
 それを敢えてある植物に当てはめて限定して見ますと、内部が空洞化でき、瓢箪(ひょうたん)が思い浮かびます。 二段の膨らみと中間位置のくびれが特徴で東洋及び日本では縁起がいいものと珍重されて来ました。

「精神」が宿るもの
瓢箪は古くから「霊」を含んでいると言われている植物です。 悪を吸い込んで浄化する効果があると考えられていました。

瓢箪は楕円の中央に括れ形をしています。 悪が入ると、くびれた部分にとどまり、見逃せないと言われています。 浄化作用には神聖な精神が含まれていると考えられており、神聖な植物と見なされています。



“Meeter’s Adventure and Gourds”

 Among the many themes of "Meeter's Adventure", "purification" and "detoxification" are important. If you replace it with philosophical thought, you can think of it as the concept of "moderate". As you know, it is a well-established theory that this idea of ​​"moderate" was quite important in ancient thought. Shaka, Confucius, and Archimedes all share the same content.
 By the way, the golden mean is called "middle" or "empty " in the Buddha's thought.
 If I dare to apply it to a certain plant and limit it to a certain plant, a gourd comes to mind. It is characterized by a two-tiered bulge and a constriction in the middle position, and has been prized as auspicious in the East and Japan.

 What the "spirit" dwells in
From ancient times, gourds are plants that have been said to contain the "spirit". It was thought to have the effect of inhaling and purifying evil.

 The gourd has a constricted shape in the center of the ellipse. It is said that once the evil has entered, it stays in the constricted part and cannot be missed. The purifying action is thought to contain the sacred spirit and is considered a sacred plant.

Yin Yi


松岡正剛氏の論説に思う

2022-03-27 00:13:31 | 日本古代史

Yi Yin

 この度、上野俊一氏の「松岡正剛」氏のユーチューブ番組のシェアされたものを、またあらためてシェアさせて頂きました。それは、今直面している日本と我ら日本人に突きつけられている諸危機にどう向き合って行けばいいのかの、ある方向を指し示して下さっているとの思いからです。
 最近のFBの日本古代史研究会の佐藤達矢さんがつよく主張されています所為稲作文化の到来に関してのスサノオ神の意義を半島と列島という舞台に亘って立体的に論じられているのが面白く、意味深く感じられたこととも相まって思いたったからでもあります。
 佐藤さんの主張は、概ね日本の起源に関して、大陸及び半島からの流民を中心とした渡来人や渡来文化ともともとの我らの先祖の現地人との融合と葛藤の歴史と捉えている点で、愁眉です。
 さて、松岡正剛氏の主張に出てきます「荒魂」と「和魂」(ニギタマ)という二項ですが、日本の文化の深層構造から、ヘーゲルの弁証法よろしく絶え間ない異質とわれ(ら)との「合」という動的平衡操作にあるということでありましょう。それは、気がつけば、列島が世界の端に位置しているという自覚の表れから来ているものと思われます。
 日本の皇統が、瓊瓊杵尊から発しているのは、この「和魂」(ニギタマ)的要諦こそ求められている実践知であるように思えてなりません。

 聖徳太子の「和」は隋という極を意識して出てくる思想です。また続いて天武、持統朝においてヤマトを「大和」と表記しました。「まな」に対して「かな」が異質文化に対応する精神とするなら、我が国の起源、成り立ちはその中間に立つという『中庸』にあります。
 それゆえ日本の歴史の根幹にはあらゆる荒ぶるもの(外来も内憂、自然災害も含む)に如何に対応するかのニニギ『瓊瓊杵』の意味が問われています。
 そういう観点から今、否応なしに襲いかかる日本と世界の危機的状況を鑑みていくことは大いに策められているのではないでしょうか!