文字について
前からかねがね皆様に訴えたいことがありました。文字についてです。fb仲間では、日本の縄文文化の高揚が叫ばれているのですが、本気で皆さん、そう思っているのかなあ、という寂しい気持ちに襲われることしばしばです。どういうことかと申しますと、余りに文化、文明の既成概念が強すぎて、日本にもあったんだよ、~文字。という論調が多々見かけます。つまり、古代文字の有無、云々の是非はおいといて頂き、文字の有無で文明の高低を考える癖ができてしまっている、ということです。縄文文化の優越性は、要するに、人間性の強さにあり、人を許容する能力が高いこと。手先が器用だったこと、そして魂と魂の感応、魂と自然との感応能力にあったのです。つまり文字など介在する必要のない世界だったのです。古墳や遺跡にも出土しないのは、支配層は知ってたとしても、敢えて使わなかったのです。その証拠に大化後には、漢字どころか、かなの急速な普及がなぜ起こったのか考えればわかります。
そこで考えられることは、じゃあ中国では何故に?
簡単です。異文化、異人種の統治の手段として必要だったのです。
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