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「約束は守らない」との宣言

2019-08-31 22:34:35 | 時事問題
 韓国の新聞、中央日報の日本語版、8月29日を読んでいて、その内容に吃驚した。
 以下に、この記事を引用して示す。
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「加害者日本が『歴史的事実』・・・反省して前に進むべき」というタイトルの記事である。
その記事の中で、

文在寅大統領は29日「アジアの複数の国の不幸な過去があり、加害者は日本というのは動かない歴史的事実」と述べ河野太郎外相の発言を強い語調で批判した。

 文大統領はこの日午前、青瓦台(チョンワデ、大統領府)で開かれた国際会議の冒頭発言で「日本が過去に向き合う態度が正直でない」とし、このように述べた。「韓国が歴史を書き換えようとする」という河野外相の28日の発言を文大統領が批判したのだ。

 *** 中略 ***

 続いて「過去を記憶して省察することには終わりがない。一度、合意したので過去として過ぎ去ったとして終えられるものではない」とし「(反省と省察を通じて)ドイツが・・・(省略)」
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との一文である。

 ここで述べていることは、「合意してもそれで終わりではない」、すなわち、「ずっと続く」と言っている。これでは、何のために合意したのか判らなくなる。国際条約で合意しても、その合意は、合意と言う名称の通過点であり、その合意は無いに等しいことになってしまう。少なくとも日本で言う「合意」とは、その定義と内容が全く異なるようである。
 こんなアホなことを言ったのが、少なくとも、国を代表する大統領である。
 このような考え方であれば、韓国との合意、国際条約は全く意味がない。今までも韓国は「ゴールポストを動かす」と、日本では言っていたが、真相は「こういうこと」であった。韓国ではゴールポストを動かすのは当然のようである。
 しかし、少なくとも、日本における約束とは、例えば、その約束が日本にとって不利であっても、一度約束したことは「忠実に守るのが当然」と言う考え方である。
 対して、韓国は、約束しても守らないと言っている。これでは、話し合いをして、何らかの合意をし、約束をしても意味がない。日本で言う約束とは定義が全く異なるようである。言葉が通じない国家とは、話し合ったり約束しても無駄である。日本としては、このような国家と付き合うことはできない。

 これを判りやすい話で書くと、
 例えば、交通事故を起こしたとする。そして、示談をしたとする。示談書では、事故により発生した費用、慰謝料などの解決金を支払い、以後の責任は無いものとするとの内容であったとする。
 普通は、というか、当たり前であるが、特段の事情、例えば、そのときは判らなかった後遺障害などが生じなければ、それ以後は、何らかの金銭要求や謝罪は求められない。もしすれば、それは脅迫罪や、恐喝罪、強要罪などの罪として犯罪になってしまう。 
 しかし、韓国では違う。いくら示談書にあり、仮に、解決金を過分に支払っていても、その「心の傷は永遠に癒えない」などと言い、更なる、金銭要求をするということである。こういうのを「ゆすり・たかり」というのでは無いだろうか? 文在寅は、これを「当然だ」と言っている。少なくとも法治国家の、それも大統領が言うことではない。

 この言いぐさは、チンピラ・ヤクザのゆすり・タカリ、脅迫や強要と同じである。ゆすり、たかり、強要などをする国家とは付き合えない。断交が適当であろう。それにしても、このようなアホが元弁護士で、大統領になれてしまうのである。お笑いである。しかし、日本でも、民主党という政党を政権に選択し、鳩山 由紀夫という「アホ」を首相にしたことがあった。その時の「風」とは恐ろしい。

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