今回はひばりヒットコミックス「まだらの卵」に収録されている短編から「地獄へのエレベーター」「がま」を紹介。この本に掲載際されている作品はどれも後味が悪くて素晴らしいです。
「地獄へのエレベーター」は強烈な恐怖心を読者に植え付けた名作の一つ。舞台はマンモス団地の最上階。森本重光(13歳)は団地の野球チームに所属しており、その日は試合があるようです。
この昭和の雰囲気にリアリティを感じますが、なによりも重光少年が死神に取り憑かれるプロセスに大変な説得力があります。まるで「機動戦士ガンダム」の第1話でアムロ・レイがガンダムに搭乗せざるを得なかったシーンのようです。会話は高密度でありながらテンポと間が絶妙で、どこの兄妹ゲンカでもあるような自然な流れで憑依されてしまいます。
重光少年は気にせずに出かけて、エレベーターがくるのを待っています。家は15階にあり待たされたようですが、やっと来たエレベーターに駆け込もうとしたら先に乗っている人がいました。なんか不気味なものを感じていると、一瞬の間だけ停電が起きて明かりが消え、再び点灯すると一緒に乗っていた人がいなくなっています。すると、さっきまでいた人が13階から再び乗ってきて、重光少年は恐怖にとらわれます。さらに12階では老夫婦が乗ってきて、重光少年に対して死相があらわれていると言い放ちます。さらに下の階では、扉が開いたのに誰も乗ってこないのでおかしいと思って振り返ると、そこには牙の生えた少女が乗っています。ここで重光少年は妹の言葉を思い出し、次にエレベーターが止まったらいったん降りようと考えるのですが…。
なんとエレベーターがずれていて降りることができません。しかも全員が示し合わせて乗ってきたようで、とぼけた会話をしながらも重光少年を殺そうとしているようです。逃げ場のないエレベーター内で刃物を持った人達に取り囲まれて絶体絶命ですが、もうすぐ1階に到着です。ところが扉は開かず、エレベーターは地下を通り過ぎてさらに下に向かっており、恐怖のあまり意識が飛んでしまいます。
そして重光少年は目を覚まし、エレベーター内に誰もいないことを確認し、止まっているエレベーターから降りようとすると………。
とにかく密室のエレベーターというシチュエーションで起きたら嫌な出来事の連続で、団地住まいの読者には大きな恐怖を与えたと思われる作品です。妹の言葉が尖っているのに対し、死神とおぼしき連中の言葉遣いはなぜかとぼけており、それがかえって強大なプレッシャーを発しているのです。日野日出志作品の中でも本作が印象的だと感じる人も多いかと思われます。
もう一つの作品「がま」も兄弟のシーンから始まります。
急に飛び出してきたがまがえるに驚いた兄は思わず木の棒で打ちつけてしまいます。そして驚かせた罰だということで、瀕死のがまがえるをおもしろ半分に解剖してしまいます。
ところがそれ以来、兄の体中にイボができ、それらが増え始めたのです。弟はあのがまのたたりではないかと恐れます。そしてある夜…。
がまの大群に兄は襲われて……、と思ったら悪夢だったのか幻覚だったのか、がまの姿はありません。このあたりの精神が蝕まれていく描写は日野日出志作品の最大の特徴です。このがまの大群の描写も生理的な嫌悪感を与えるもので印象的。
兄は頭痛を伴うようになり、病院のレントゲンで診てもらったところ頭にふしぎな影があるとのことで開頭手術をすることに。手術室の前で待つ弟が見たものは、病院の池から手術室に向かうがまの大群。そして手術中、兄の頭蓋の中から出てきたものは………。
その後、今度は弟の体にイボがあらわれ、手術を待つことに……。
このように非常に読後感が悪く、それだけにホラーとして見事だと言える二作ですが、そこから何らかの教訓を得ようとするならその答えは簡単で、「人に対して呪いの言葉を吐くな」「生き物をおもちゃにするな」といったことが言えるでしょう。最近は「はだしのゲン」の騒ぎがあり、漫画の描写が持つ力が注目されています。これに伴って、ホラー漫画等における人間の暗黒面の描写にも目をそらすべきでない、という言説もちらほらと目にとまります。もちろん漫画が全て教育的になる必要なんてありません。しかし、恐ろしいものを恐ろしく描写し、残酷なものを残酷に描写することは、恐ろしさや残酷さを伝える効果的な方法でしょう。恐ろしいものを明るく、残酷なものを小奇麗に描写する方がよほど歪んでいると言わざるを得ません(もちろんその歪みを表現した「大人向け」の作品もありますが)。
日野日出志作品紹介のインデックス
「地獄へのエレベーター」は強烈な恐怖心を読者に植え付けた名作の一つ。舞台はマンモス団地の最上階。森本重光(13歳)は団地の野球チームに所属しており、その日は試合があるようです。
この昭和の雰囲気にリアリティを感じますが、なによりも重光少年が死神に取り憑かれるプロセスに大変な説得力があります。まるで「機動戦士ガンダム」の第1話でアムロ・レイがガンダムに搭乗せざるを得なかったシーンのようです。会話は高密度でありながらテンポと間が絶妙で、どこの兄妹ゲンカでもあるような自然な流れで憑依されてしまいます。
重光少年は気にせずに出かけて、エレベーターがくるのを待っています。家は15階にあり待たされたようですが、やっと来たエレベーターに駆け込もうとしたら先に乗っている人がいました。なんか不気味なものを感じていると、一瞬の間だけ停電が起きて明かりが消え、再び点灯すると一緒に乗っていた人がいなくなっています。すると、さっきまでいた人が13階から再び乗ってきて、重光少年は恐怖にとらわれます。さらに12階では老夫婦が乗ってきて、重光少年に対して死相があらわれていると言い放ちます。さらに下の階では、扉が開いたのに誰も乗ってこないのでおかしいと思って振り返ると、そこには牙の生えた少女が乗っています。ここで重光少年は妹の言葉を思い出し、次にエレベーターが止まったらいったん降りようと考えるのですが…。
なんとエレベーターがずれていて降りることができません。しかも全員が示し合わせて乗ってきたようで、とぼけた会話をしながらも重光少年を殺そうとしているようです。逃げ場のないエレベーター内で刃物を持った人達に取り囲まれて絶体絶命ですが、もうすぐ1階に到着です。ところが扉は開かず、エレベーターは地下を通り過ぎてさらに下に向かっており、恐怖のあまり意識が飛んでしまいます。
そして重光少年は目を覚まし、エレベーター内に誰もいないことを確認し、止まっているエレベーターから降りようとすると………。
とにかく密室のエレベーターというシチュエーションで起きたら嫌な出来事の連続で、団地住まいの読者には大きな恐怖を与えたと思われる作品です。妹の言葉が尖っているのに対し、死神とおぼしき連中の言葉遣いはなぜかとぼけており、それがかえって強大なプレッシャーを発しているのです。日野日出志作品の中でも本作が印象的だと感じる人も多いかと思われます。
もう一つの作品「がま」も兄弟のシーンから始まります。
急に飛び出してきたがまがえるに驚いた兄は思わず木の棒で打ちつけてしまいます。そして驚かせた罰だということで、瀕死のがまがえるをおもしろ半分に解剖してしまいます。
ところがそれ以来、兄の体中にイボができ、それらが増え始めたのです。弟はあのがまのたたりではないかと恐れます。そしてある夜…。
がまの大群に兄は襲われて……、と思ったら悪夢だったのか幻覚だったのか、がまの姿はありません。このあたりの精神が蝕まれていく描写は日野日出志作品の最大の特徴です。このがまの大群の描写も生理的な嫌悪感を与えるもので印象的。
兄は頭痛を伴うようになり、病院のレントゲンで診てもらったところ頭にふしぎな影があるとのことで開頭手術をすることに。手術室の前で待つ弟が見たものは、病院の池から手術室に向かうがまの大群。そして手術中、兄の頭蓋の中から出てきたものは………。
その後、今度は弟の体にイボがあらわれ、手術を待つことに……。
このように非常に読後感が悪く、それだけにホラーとして見事だと言える二作ですが、そこから何らかの教訓を得ようとするならその答えは簡単で、「人に対して呪いの言葉を吐くな」「生き物をおもちゃにするな」といったことが言えるでしょう。最近は「はだしのゲン」の騒ぎがあり、漫画の描写が持つ力が注目されています。これに伴って、ホラー漫画等における人間の暗黒面の描写にも目をそらすべきでない、という言説もちらほらと目にとまります。もちろん漫画が全て教育的になる必要なんてありません。しかし、恐ろしいものを恐ろしく描写し、残酷なものを残酷に描写することは、恐ろしさや残酷さを伝える効果的な方法でしょう。恐ろしいものを明るく、残酷なものを小奇麗に描写する方がよほど歪んでいると言わざるを得ません(もちろんその歪みを表現した「大人向け」の作品もありますが)。
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