ひばり書房「恐怖のモンスター」には表題作の他に「ゆん手」「鶴が翔んだ日」「山鬼ごんごろ」が収録されています。「恐怖のモンスター」は一部の書籍では「愛しのモンスター」のタイトルで掲載されているようです。実際に、ホラーというよりはコメディの部分が多いし、作中でも「わがいとしの怪物(モンスター)」とも書いてあり、その方が内容にマッチしているかもしれません。
本作は3部構成になっています。天才科学者の腐乱犬酒多飲(ふらんけんしゅたいん)博士が海岸で魚釣りをしています。そこで「なぜこのわしが釣りをしているのか!? この謎は誰にもわからない しかしこれこそこの漫画の最大のポイントなのである」などとメタ的なセリフを吐いていると、通りがかった漁船から捨てられた腐った深海魚の死骸が流れてきました。その死骸に稲妻が落ち、超新細胞として新たな生命反応を示すのでした。なんか映画の実写版『キャシャーン』のような展開です。しかもあまり釣りには関係なかったし。
博士は超新細胞を焼酎とどぶろくで煮込んだり、赤ん坊の型に流し込んで固めたり、ワカメのみそ汁が入った水槽につけたりしますが、十月十日経つと…。
このように見事なモンスターに成長しました。「出ました!!」とはこのモンスターの決めゼリフで、この先で何回か現れます。ここで役割が終わった腐乱犬酒多飲博士は早くも死んでしまいます。なんだかコントのようなおかしな展開ですが、左ページ3コマ目のモンスターが異様にシリアスです。
博士の遺体は悲しみのあまりに暴れたモンスターによってつぶされてしまいます。そして町へ出たモンスターが焼酎とワカメのみそ汁の匂いにさそわれて大衆居酒屋に入ったところ、客や店員に馬鹿にされたモンスターが暴れだし、警察や自衛隊が出動するはめになります。ところがモンスターにはまったく歯が立たないのでした。
そして全ての人間と醜い我が身を呪ったモンスターは人間を殺してまわります。
国会では怪物を退治する方法が審議されています。とぼけた総理大臣がのらりくらりと答弁しています。そこで示された方策とは、酒とワカメのみそ汁に睡眠薬を仕込み、眠ったモンスターをコンクリートで固めて海に捨てるというものですが、かくしてモンスターは日本海溝に沈んでいくのでした。この沈む表現が非常に詩的で、余韻が残るものになっています。
ところがページをめくると、その余韻を引き裂くように、
モンスターよ! よみがえれ!
今こそ全ての怪物の聖地
東京タワーをめざすのだ!
とのアオリ文句が! ここから第2部が始まります。
海底でモンスターが巨大化して帰ってきたとの目撃情報があり、自衛隊が行方を追っていました。モンスターが無人島で眠っているところに自衛隊が総攻撃をかけますが全く効き目がなく、それどころかモンスターは人間達を呪っている事を思い出してしまうのでした。モンスターはある種の義務感で東京タワーをへし折り、街並を壊してまわります。国会では総理大臣に対して共産党議員が質疑をぶつけています。
破壊を続けたモンスターはそのうちむなしさを感じ、自衛隊の兵器によって壮絶な最期をとげようと思い立ちます。
なんとも馬鹿馬鹿しいこだわりを見せるモンスターですが、新型爆弾でも効果がありません。国会では総理大臣が「アメリカのターカー大統領の協力が得られる」との答弁。焼酎とワカメのみそ汁でおびき出され、例によって眠らされたモンスターはアメリカ製のロケットに積み込まれて宇宙に放逐されました。
もう帰ってこないと思われたモンスターですが、第3部が静かに始まります。ここにきてコメディ路線はほとんど影をひそめ、決めゼリフの「出ました!!」が一回現れるのみになります。海の中に残ったモンスターの一本の髪の毛が海草に付着し、その毛根の中でモンスターのクローンとも言うべき存在が成長しているのでした。
赤ん坊の大きさまで成長したモンスターが地上に現れると、一人の狂女に拾われて育てられることになりました。この狂女は以前に夫と息子を海で亡くして正気を無くしてしまったのでした。モンスターはぐんぐんと育ち、周辺の子供達と遊んだり漁を手伝ったりしていましたが、大人達は宇宙に飛ばされた以前のモンスターに似ているとの理由で避けるようになってしまいます。そして自衛隊が呼ばれる事になり…。
こうして、何も悪さをしていない第3部のモンスターはどろどろに溶かされ、元の腐肉に戻って深海に沈んでいきました。
第2部までパロディ的な雰囲気に満ちているため、それだけ余計に第3部は哀しいトーンに感じます。第3部で主人公が世代交代するあたり「地獄小僧」と共通点があり、どちらの作品も世代交代に伴って作品の方向性が変わっています。各部が発表された経緯やタイミングはわかりませんが、いずれも人間の身勝手さを描いている点において一貫しており、ちょっとした視点の違いでこのように印象が違うのに驚かされます。
余談ですが、「オロロン オロロン オロロン ロン」という詩が第3部で何回も出てきます。これは「怪奇!地獄まんだら」と共通するものです。同様に哀しいお話ですが、この「地獄まんだら」で日野日出志作品に入門した私にとっては「オロロン オロロン」とあるとそれだけで込み上げてくるものを感じてしまうのでした。
日野日出志作品紹介のインデックス
幼い私にとって日野先生の作品はひたすら怖いわグロいわでしたが、この作品だけはなんというか・・・・モンスターがかわいそうでたまりませんでした。博士は可愛いと言ってくれたのに、その博士が死んでからは皆が化け物と言うので暴れてしまう。怖いけれどもかわいそう。
折角海から生まれ変わって、狂っているとはいえお母さんに「坊や」と可愛がられて、漁村の子供たちとも仲良くなったのに、殺されてしまうなんて。「何もしてないのに、ひどいや」という子供たちの言葉に心から賛同しました。
でも、やっぱりモンスターの最後は哀れだけれども幸せだったのかなとも思います。深海に帰っていくだけでなく、お母さんと友人である子供たちにその死を悼んでもらえたのだし、でも、坊やを2度も亡くしたお母さんが本当にかわいそう・・・・彼女の怨念が更なる呪いを産むのかもしれませんね。
日野日出志作品はとにかく怖くてグロい部分も多いですが、その根底には家族愛があって、それだけに家族が失われていく描写には胸を突き動かされます。ひょっとしたら『地獄変』や『赤い蛇』はその裏返しなのかもしれません。
第3部では、平和に暮らしていたモンスターも、再び子供を失ったお母さんは本当にかわいそうで、怨念が連鎖していくやるせなさも感じます。お母さんと、海で亡くなった子供と、モンスターの3人が海の底で一緒になるような描写があったら、その方がまだ救いがあったかもしれません。
だから、その彼女が拾って育てている浮浪児を、危険なモンスターの認識なく取り囲んで締めようとしたけど・・・・大きな魚取ってきたし、褒めたら笑うし、可愛げあるし、仲間になれそうだな。試しに声掛けたら嬉しそうに笑いながらついてきた。グループ一同、使えるし可愛いし、喜んでるし、いいんじゃね。で、仲間入り。
それがいきなりこの展開なんて!
読んだ中で何人かは政治家か公務員になってますように。
ややギャグタッチの『鬼んぼ』の「イワコリキメシ~」は私も笑ってしまいました。とは言っても、日常の生活に潜む闇の部分を描いた作品でもあり、メタ的な恐怖があります。
『恐怖のモンスター』第3部の子供達はモンスターに対しても親しみを感じており、比較的読者の視点と近いかもしれないですね。先入観や入れ知恵を持たずにモンスターと接することができる子供(=読者)が政治家になっていたとしたら希望がありますね。