土曜の夜に疲れた体を引きずって職場から帰る途中、ふと岩石・鉱物採取に行きたくなりました。そこで思い出したのが通称「高師小僧」と言われる鉱物でした。東京に住んでいた時に都内の産地を巡ったこともあったのですが、どこも宅地が造成されてしまっていて手に入れることができませんでした。今朝になって検索してみると、割と近くに産地がありました。結構有名どころなようです。天然記念物にも指定されていないようなので、雨が降っていましたが採取しに行ってきました。
高師小僧はもともと愛知県高師ヶ原で産出されたため、この名前がついています。鉱物としては褐鉄鉱(正しくは針鉄鉱および鱗鉄鉱)で、物質としては水酸化鉄(FeOOH)、要するに鉄サビです。鉄サビが葦などの根っこの周りに沈殿してできたものが高師小僧です。鉱物的に珍しいものではなく、その形態と成因に特徴があるのです。通常は岩石・鉱物採取は山の中に行くことが多いのですが、高師小僧は葦の根っこにできるので、水辺ということになります。
さて、やって来たのは京都府にある八幡市。このあたりは木津川、宇治川、桂川が合流する地点で、昔は交通の要所で栄えていたそうです。京阪電鉄の八幡市駅で下車して、近くの御幸(ごこう)橋へ向かいます。家から1時間ちょっとの近場です。京都と大阪の間にあり、川の両側には山が迫っていて、ちょっとした観光気分です。駅のすぐ近くには石清水八幡宮もあって、実際に観光地ではありますが…。右の山はいわゆる天王山です。
しばらく土手の下を歩いていたのですが、ここという場所がみつかりません。そこで御幸橋の下を川に向かってみると、いかにも採れそうな場所に出くわしました。
くずれた斜面に近寄ってみると、簡単に見つかりました。シャベルの先の褐色なのが高師小僧です。長さが7cm、太さ1cmほどの大きさです。左の方にも細いのが何本か見えます。
シャベルで丁寧に掘り出して川の水で洗ってみると、ついに姿を現しました! と言っても、この場所には山ほど高師小僧が転がっていましたが。
この後にケーブルカーに乗って石清水八幡宮に行きたかったのですが、雨が強くなったので断念。
今日の得物。15分程度でこの収穫。もっとじっくり選んでいれば、いい形の小僧が掘り出せたかもしれません。
一本を拡大してみたところ。褐鉄鉱が層状になっているのが見えます。
断面は穴があいており、葦の根っこがあった部分です。採取した小僧の一つにまだ根っこが残っているのがありました。家に帰って洗いながら根っこを引き抜いたら、横で見ていた嫁が気持ち悪がっていました。
ちなみに、針鉄鉱の英語名はGoethiteといい、鉱物にも見識があった文豪ゲーテの名を冠しています。針鉄鉱と鱗鉄鉱の区別は肉眼では難しく、これらをまとめて褐鉄鉱と呼ばれています。
久しぶりの鉱物採取で念願の高師小僧が手に入ったので、とても気分が良い日でした。仕事の疲れもだいぶ癒えた感じですよ。今度は山に石採りにいきたいですね。
高師小僧はもともと愛知県高師ヶ原で産出されたため、この名前がついています。鉱物としては褐鉄鉱(正しくは針鉄鉱および鱗鉄鉱)で、物質としては水酸化鉄(FeOOH)、要するに鉄サビです。鉄サビが葦などの根っこの周りに沈殿してできたものが高師小僧です。鉱物的に珍しいものではなく、その形態と成因に特徴があるのです。通常は岩石・鉱物採取は山の中に行くことが多いのですが、高師小僧は葦の根っこにできるので、水辺ということになります。
さて、やって来たのは京都府にある八幡市。このあたりは木津川、宇治川、桂川が合流する地点で、昔は交通の要所で栄えていたそうです。京阪電鉄の八幡市駅で下車して、近くの御幸(ごこう)橋へ向かいます。家から1時間ちょっとの近場です。京都と大阪の間にあり、川の両側には山が迫っていて、ちょっとした観光気分です。駅のすぐ近くには石清水八幡宮もあって、実際に観光地ではありますが…。右の山はいわゆる天王山です。
しばらく土手の下を歩いていたのですが、ここという場所がみつかりません。そこで御幸橋の下を川に向かってみると、いかにも採れそうな場所に出くわしました。
くずれた斜面に近寄ってみると、簡単に見つかりました。シャベルの先の褐色なのが高師小僧です。長さが7cm、太さ1cmほどの大きさです。左の方にも細いのが何本か見えます。
シャベルで丁寧に掘り出して川の水で洗ってみると、ついに姿を現しました! と言っても、この場所には山ほど高師小僧が転がっていましたが。
この後にケーブルカーに乗って石清水八幡宮に行きたかったのですが、雨が強くなったので断念。
今日の得物。15分程度でこの収穫。もっとじっくり選んでいれば、いい形の小僧が掘り出せたかもしれません。
一本を拡大してみたところ。褐鉄鉱が層状になっているのが見えます。
断面は穴があいており、葦の根っこがあった部分です。採取した小僧の一つにまだ根っこが残っているのがありました。家に帰って洗いながら根っこを引き抜いたら、横で見ていた嫁が気持ち悪がっていました。
ちなみに、針鉄鉱の英語名はGoethiteといい、鉱物にも見識があった文豪ゲーテの名を冠しています。針鉄鉱と鱗鉄鉱の区別は肉眼では難しく、これらをまとめて褐鉄鉱と呼ばれています。
久しぶりの鉱物採取で念願の高師小僧が手に入ったので、とても気分が良い日でした。仕事の疲れもだいぶ癒えた感じですよ。今度は山に石採りにいきたいですね。
先日23の日曜日にあの御幸橋に行きましたが、今は夏場ですから葦などがびっしり生えていて、川の方にはとても進めません。
ずっと下流まで歩いて、やっと通れそうな所を見つけて、葦を掻き分けて岸まで何とかたどり着けました。
この前4日間ほどかなり雨でしたから、ひょっとしたら地表とかに出ていないかな?と期待しながら砂浜を眺めていると、雨で流されて着たのか結構見つかりました。
古代には木津川合流点辺りは巨大な巨椋池だったそうですから、その頃は葦が凄くあったんでしょう。
取り敢えず御礼方々。
私は古代史の方は専門外ですが、当時の鉄資源としては手軽だったのかもしれませんね。今までそういう分野を考えたことはありませんでした。面白い視点をお教えいただき、ありがとうございます。
実は嫁が巨椋池のあった久御山町の出身で、昔は巨椋池の葦の葉っぱでちまきを巻いていたほどたくさん生息していたとのことです。巨椋池でも高師小僧が採れたかどうかわかりませんが、もし採れていないのだったら木津川と宇治川で水質が違うということで、科学的にも古代文化的にも興味深いところです。
また何か面白い情報がございましたらお知らせください。
私は、琵琶湖→宇治川→巨椋池→淀川水系→河内湖が全て葦の原っぱだと思っています。また大和盆地も昔は湖と湿地帯でした。
木津川のもっと上流、あるいは淀川の下流でもっと発見されれば、これは日本の古代史にとって大きな発見になるでしょう。
先日、もう少し下流まで車で下り、ちょうど大阪府に入って「淀川」になる看板の辺りで、道路際に車を止められる場所があったので、そこから川に降りました。丁度桂川などの合流点です。下には砂浜は無かったのですが、非常に赤い、そしてモロイ岩が水面に露出していました。多分流れの強い場所でしょうから、どうも削られてこうなったとは思えないほどのモロイ岩です。その岸側からは赤いような水が流れこんでおり、しかも油が浮かんでおります。
この鉄を凝縮する微生物が働くと油が水面に浮くとある本では書かれておりましたから、気になります。
私は、岩石はまるで分かりませんのでまた教えて下さい。
草津の別所という場所では山の方に「高師小僧」の石碑が立っていて、その付近では今でも採れるそうですね。蒲生野辺りは昔は琵琶湖だったそうですが。
草津にあちこち古代の製鉄所が発見されているのと関係が興味あるところです。立命や龍谷の大学を造成中に見つかったわけですが。
ではまた。
家では「高師小僧」を綺麗に洗って容器に大切に保存しております。
下流の赤くて脆い岩については詳しいことは言えませんが、赤い岩は大抵は(水酸化)鉄を含みます。やはり同様に沈殿した鉄かも知れません。調べてみたら、油のように見えるのは鉄の酸化皮膜とのことでした(http://ja.wikipedia.org/wiki/鉄バクテリア)。確かに川の一角に七色の油膜のようなものをしばしば見ますが、鉄バクテリアの影響だと知り、勉強になりました。
さらに下流の方はかなり造成されているでしょうけれど、新しい発見があるかと思うと楽しみです。私も高師小僧を大切に保存しておきます。
2014/4/20に、高槻市の淀川河畔にある有名な鵜殿のヨシ原で、観察会があるとの事で参加してきました。
実はその少し前にこのヨシ(葦は悪しの意味になるので)原の場所を事前に確認に行った帰りに、前に教えていただいた御幸橋にも行ったのです。
そうしますと昨年6月には葦がびっしりで川まではなかなか辿り着けなかったのが嘘のように、橋の下でも直ぐに川からの崖まで辿り着けました。身長よりも高い砂のような斜面を降りて、ちょっと崖の面を見ましたが、高師小僧のようなのがないようです。それで少し橋の真下の方に歩いて行きますと、目が慣れて来たのか、生成途中のような高師小僧が壁面にビッシリとあるではありませんか。それであちこち探しますと、結構大きい物、生成過程がよく分かるように根にまだ付いている物など、ホントに沢山採取もできましたし、良い写真も撮れました。
またまた感謝です。
もし写真がご入用でしたら、上記アドレスまでメールを頂ければ添付してお送りしたいと存知ます。
高槻には鵜殿ヨシ原研究所がありますが、専ら植物の生態保存が目的ですので、高師小僧の事はご存知ありませんでした。
また地形的にも直感ですが、あそこでは無いだろうと思います。
娘さんが巨椋池の方でチマキにする葦の葉がーーーと書いておられましたが、鵜殿は宮内庁の雅楽に用いる篳篥の舌を採取する場所でもあり、大変良い葦(アシ・ヨシ)の産地だそうです。また菜の花(セイヨウカラシナ)がビッシリと咲いていて黄色の絨毯のような中を花粉にまみれながら歩いて、大変楽しかったです。
再度、高師小僧の報告をさせて頂いた次第です。木津川のもう少し上流まで探せる機会があればと思っております。
と言いますのは、日本の天皇家が断絶した時にどこから来たのか分からない人物が天皇になり、死後「継体」天皇という名前を贈り名され、それが今の天皇家の祖先になっています。
継体天皇は長い間ヤマトに入れず、死後も墓は高槻にある「今城塚古墳」という特異さです。
この天皇があちこち動いた宮が、高槻、楠葉、京田辺市の同志社大の中辺りです。いわばヤマトにも河内にも入れずその周辺をあちこち移動していたのです。ところがこの同志社の近辺に「多々羅」という地名があります。これは明らかにタタラ製鉄のフイゴの事ですね。しかし地名が残っているのに製鉄の遺跡などは全く報告されていないようです。
私は、ここでの製鉄と木津川での高師小僧という鉄原料が関係があるのかないのかに興味があります。
また木津には椿山大塚古墳という古くて大きな古墳があるのですが、何故ここにこんな巨大な権力を持った人物がいたのかも不思議です。
まあ、こんなことを考えております。
ぜひ写真を拝見したく存じますが、コメント投稿の際にメールアドレスが失われてしまっているようなので、お手数ですが以下のアドレスに添付してお送りいただけると幸いです。
okamoro_sai#yahoo.co.jp(#を@に変えてください)
鵜殿ヨシ原研究所については初めて知りました。高槻側に高師小僧がもしあるのであれば、職員の方が知らないはずは無いので、なにかやはり川の水質の違いがあるような気がいたします。ひちりきのリードに使う葦を採取するというのも、京都に近い場所だというのを考えると長い歴史を感じます。
久御山町出身の嫁は京田辺の同志社にかよっていたことがあって、多々良の地名を知っていました。ただ継体天皇の居住地であったとされる筒城宮の石碑が学内にあったとは知らなかったようですが…。地質学的に考えても近隣から鉄鉱石が採取できるとも考えられませんので、高師小僧を原料としていたという説が証明できたら面白いですね。
余談ですが、京田辺の同志社の北西にある甘南備山は昔から水晶が採れるようで、こちらもいずれ採取しに行きたいと考えています。この水晶も古代の権力者によって利用されていたかも知れないと思うとなにか楽しくなってきます。