2019年も余すところほんのわずか、日めくりでもぺらぺらになりました。
今年のトピックスや故人を偲ぶことも終わり加減かなと思えます。
私のところも年初、母がなくなりました。
つい先日も田舎の親戚が亡くなったとの報がありました。田舎ってそんな話題しかないんですよね・・
母方の親戚というのはわかりますし、母の葬儀にも列席してもらってたと思います。ではどういうつながり・・?
もう生前の姿を思い浮かべた上で語ってくれる人も少ないです。昔ながらのしきたりを守り、時宜に応じてお祀りをする、それを支える人も健在。
そういうことでつなげていけるんでしょうけど・・実際上困難です。地方の衰退、人口動態の変化をじかに感じます。
突拍子もなく、一体人は死んだらどうなるんでしょう?
仏法説話は言います。もちろん詳しくは知りませんし、いろんな説、変遷はあるようですが・・
あの世に旅立つと三途の川に至ります。渡し賃は六文、これは三途の川開業以来、物価高騰があろうが、消費増税があろうともただの一度も値上がりしたことがないそうです。
ありがたいことです。
また、“文”は通貨単位でもなくなり、現物も得難いということで印刷したもので構わないということです。
偽造ということを問われることはありません。またまたありがたいことです。
三途? 初期の意味合いは三つの渡り方のようです。善人は橋を、そうでもない人は浅瀬を、罪深い悪人は蛟竜の潜む深い淵を渡るそうです。
渡りきると「奪衣婆(だつえば)」という鬼ばばさんが衣をはぎ取る、蛟竜の淵で衣をちぎり取られた者は生皮をはがし、「懸衣翁(けんえおう)」という鬼じいじに引き渡す、懸衣翁は「衣領樹(えりょうじゅ)」の枝に衣を懸ける、するとそのしなりにより業の深さが判定されるというプロセスがあるそうです。
なるほど、これは道理に適っています。橋を渡った者の衣は濡れず、浅瀬を渡った者は若干濡れる、淵を渡った者はずぶ濡れで蛟竜に衣を引きちぎられたりもする。
その差が重量として枝のしなりとなる。すばらしい・・ ただ、ふと思う、これまでボキッとなるほどの人はいなかったんでしょうか・・? 素朴な疑問です。
また、あの世社会でも昇進、機構改正、職務分担変更とかがあるようでばばさんは閻魔王の妻になっていたり、職務が違っていたりしながらもずっと根強く在籍されているようですが、じさまは影が薄くなったり、ときにはまったく出番がなかったりすることもあるそうです。やはり、ばばさまの方が恐い存在なんですね。
閻魔様も拝見してみましょう。
足立区北千住 赤門寺の赤い閻魔さま
宝塚市 中山観音の黒い閻魔さま
この川に至るまで人間界の長さで7日かかるそうです。相当遠いです。
これほど事細かに内容が分かっているのに、画像・動画が飛び交う現代でもその様子が一切投稿がされていません。圏外なんでしょうね。本当に遠いところです。
あれ~ この絵だと渡河前審査のようですね。地獄への道も実況がないので、やっぱりよくわかりません。
また次・・