お寺ふぁん・続々

写真撮ってきたから見て〜♪ 程度の記事書いてます!

霊応山白衣観音寺 武庫之荘 死ぬぞ!

2019-12-17 | 日記

 このお寺は、住宅街の中にひっそりとある。

 もとは田畑の中の集落の中心にあったのではないかと想像する。宅地化が進行して見えづらくなったのだろう。

 こじんまりとした寄棟造りで大棟から降りてくる降り棟が伸びやかな曲線を描いて美しい。

 

 

 鬼もいい表情だ。 軒丸瓦は葵、パトロンが徳川さんだったのかな・・?

 

 

 ところで、ここにはどうも非情に怖いものがあるらしい。仏像におさめられていた胎内仏、“一夜にして・・” というのはとんでもエズイ(^^;)

 見てみたいものだけど、まさかのお試しは怖すぎ。

 

 案内版の表示、“ほんとかしらんけど・・” と断り書き付きで歴史を伝える。

 謀反人荒木村重の子の妻が追い詰められた境遇となり自害したらしい。

 

 荒木村重とは、饅頭の武勇で語られるものの“英雄的ゴミカス”でも“勇名”を馳せる。

 見る方向を変えると非常に人間的、もろい人物像であり結構万人に投影される・・かも。

 

 画は、“饅頭”の場面。

 織田信長に拝謁した時に、村重は「摂津国は13郡分国にて、城を構え兵士を集めており、それがしに切り取りを申し付ければ身命をとして鎮め申す」と言上した。これに対して、信長は腰刀を抜き、その剣先を饅頭を盛っている皿に向けて饅頭3、5個を突き刺して、「食してみろ」と村重の目の前につき出した。周りにいたものは青ざめてしまったが、村重は「ありがたくちょうだいします」と大きな口を開け剣先が貫いた饅頭を一口で食べ、それを見ていた信長は大きな声を上げて笑い、その胆力を賞して摂津国を村重に任せたという。

村重はこの時38歳。信長は村重が高槻城を攻略した事を激賞して、村重がどのような人物なのか、どのような態度をとるのか試したのではないか、とも想像できる逸話である。(wikipedia 「荒木村重」より)

 

 

 信長は村重の謀反にまさかと反応をしたらしい・・。村重にしても後の光秀にしてもコロッとだまされるというか、見通せないというか・・というところがある。それが人気でもあるんだろうけど・・

 

 西国(中国)は毛利氏の治める領域である。摂津、丹波、但馬に戦国諸将の配下的領主が自立し、近畿の勢力との緩衝地帯として存在していた。

 信長勢が迫ってきてさ~て困った。信長勢と与して毛利氏と戦うのか、それとも毛利勢の一将として信長勢を迎え撃つのか・・

 一旦は信長派で固まる。しかし、毛利勢との拠点争いで降伏した者の惨殺、見殺し事態(1次、2次上月城の戦)の不審と秀吉に対する家格の違いから三木城主が離反する。

 これによる包囲戦のさなかに謀反したのが村重。

 信長方周囲から “やめとけ、やめとけ” をすすめられ “ごめんなさい!” を伝えに信長の元に向かうが、途中自身の家臣中川清秀に“信長様は一度裏切った者を許す人じゃないよ!”と言われ、謀反をやめるのをやめてしまう。

 謀反が確定した村重は激しい攻撃を受ける。

 一時は優勢に立ったものの流れは敵わず・・中川清秀はさっさと織田派に・・・、村重は陣営引き締めのため有岡城(伊丹城)を出て息子の守る尼崎城に籠るが、信長方は有岡城に残る村重家臣に“村重を説得して開城させれば許す”と伝える。”おまかせを”と向かうものの、頑なな態度に説得困難と無責任にも残された者を見捨てて逃走、これで妻たちや家臣に残虐な報復見せしめが向けられる。村重も支えきれず少数でこそっと逃走。

 

 “なんというダメちゃんだらけや”という信長の憤りが惨劇に拍車をかけたのだろう、以下の記録まで達する。

 かやうのおそろしきご成敗は、仏之御代より此方のはじめ也。(立入左京亮宗継入道隆佐記)

 

 荒木村重は丹波の波多野氏(八上城)、三木の別所氏と縁戚であったか?とも・・心底信長方になびけないものもあったかもしれない。

 豪の者ではあるらしい。マイナスキャラなのであまり知られていないのではと思うが、彼の足跡は直接間接ここかしこにある。このお寺も・・・

 

 なお、離反した三木城主別所長治は、「今はただ うらみもあらじ 諸人のいのちとかわる 我身とおもへば」と秀吉方をして感銘せしむ辞世を残して切腹して果てるが、”波多野、荒木のような死に様は末代までの恥” という意識もあっただろうと云われる。

 

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大阪ミナミ 法善寺

2019-12-16 | 日記

 梅田側から御堂筋イルミネーションを歩くと終点ミナミ、一大繁華街ですね。

 

 インバウンドのお客さんもいっぱいです。

 

 もう何年くらい経つんでしょうか? 焼失したんですよね・・ 復活しました。

 

 

 

 ”あぶない、きたない 絶対飛び込んじゃダメ” の川(堀)もだいぶきれいになったように見えます。

 千日前とかの露地がいいのかな・・とも思うんですが、くたびれてきました。

 またにしましょう・・・ 帰宅します。(12月14日)

 

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2019 御堂筋イルミネーション

2019-12-15 | 日記

 御堂筋は年いっぱいイルミネーションが点灯されます。

 

 寒さはないです。

 

 ずらっと追ってみましょう。

 

 

 

 

 

 

 御堂筋の”御堂”はこの北御堂のことかと思います。

 そして驚き、この境内で流されているもの・・賛美歌です。

 

 

 北新地から歩いて来ました。少し汗ばみます。

 空気がしまったら再訪ありかな・・? 葉はなくなるけどね・・

 もう少し歩くと難波、ミナミの繁華街を撮って帰りましょう。

 

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昭和がまた・・ 梅宮仕事人ほんま死亡 御用!御用!

2019-12-12 | 日記

 やくざだったり警察だったり料理人・・ 仕置きの後、首を矢で射られ絶命、流れて行く必殺仕事人でもあった。その新次梅宮辰夫氏がほんまに亡くなったとのこと。

 

 また一人昭和の灯が消えてしまったね。

 本来“いつ”というのは関係ないんだけど、押し詰まってというのはやはり淋しさが倍加する。

 

 さて、訃報に関連させて申し訳ないところだけど、やくざで警察って・・ 江戸の治安はどうしていたんだろう?

 ・・まんま梅宮役どころみたいな感じだったようね・・

 

 江戸の警察組織のトップは南北二人の町奉行、行政官でもあり警視総監、裁判所長官、検察官トップを兼ねる。

 その配下に与力各25人、同心各100人ほどがいた。南北は管轄区域分けではなく月番として交互に職務に就いた。公的組織としては以上。

 え~ すると、“だんな、こりゃ~廻船問屋のさしがねにちげーありやせんぜ・・” とか進言する者がいない。

 また狼藉者が出たときに“御用!御用!”と押しかける手勢もいない。

 実は“廻船問屋が~・・”と直接的に捜査を行う岡っ引きとか目明しとか言われる者を同心が個人的に雇っていた。

 どういう者を雇った? それは罪人を釈放して蛇の道はヘビ的に使っていたとか・・まさにやくざにして警察ね。

 同心にそんな財力あるの? 同心は薄給なので“ない”が公式みたいだけど、付け届けで賄われていた模様、結構羽振りいい。

 “御用!御用!”の方は無宿人などを束ねるかしらに“おい、頼むぞ!”と外注だったとか。

 

 現代風に当てはめると、奉行は都知事、与力が警察署長級、その下の同心が刑事、岡っ引きが民間探偵業者社長、社長にはチーフ級の手先とヒラの下っ引きという手下がいた。

 “御用!御用!”は民間ガードマン業者ということでまずまず当たりだろう。

 

 そして現代の顔つきで言うと大岡越前や遠山金四郎が町奉行、与力の顔は思い浮かばない。中村主水は同心、銭形平次は岡っ引きで十手の常時携行はないし十手には房もない。

 投げる銭も支給されないのできっとことが収まってから探すだろうし、ときになきべそになることもあったと思う。民間は御用では食べていけないので本業を持っていたという。

 長谷川平蔵は火付盗賊改方でいわば強行犯係の別組織人。

 

 時代劇顔も減る一方かな(;´・ω・)

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アフガン 中村医師のご冥福 スタン

2019-12-10 | 日記

 

 アフガニスタン・・ 乾燥した灼熱の地、ということは夜や季節によっては厳寒の地かな?という感覚があります。

 ともあれその地で日本人医師が遭難死、犯行を疑われる勢力も即反応しました。“うちじゃないよ~”

 同医師の功績を十分に認知しているということでしょうね。医療を提供するにはまずはきれいな水が必要とまさに砂漠という地を緑化した写真を目にします。

 先進技術を使用すると現地住民によるメンテナンスができないと江戸時代の工法によったとあります。“魚を与えるのではなく、魚を捕る技術を教える”と同義の精神ですね。

 

 スタン諸国はソ連の連邦内共和国であった国も含めイスラム圏のようです。

 イスラム教に関してはモスクを見学(自分的には見物の方が適切(^^;))した折、イマム候補生?が教えてくれました。

 “経典であるクルアーン(日本では“コーラン”の呼びの方が強い?)は成立以来一切の改変もされていない、成立時点からその必要のない完璧な教えである。“と。

 

 素晴らしいですね。

 しかし、教えを守り、伝え、実行していくのは人です。解釈の違いはつきまといます。

 例えば女性。“美しいものをさらしてはならない” という教えがあるそうです。

 すると女性はすべて美しいと考える人々はブルカ?だかすっぽり覆う衣服で文字通りすっぽり隠してしまいます。

 美しいのは髪と考える人々は、しっかり髪を覆います。

 一方で何もそんな・・と考える人々は、申し訳程度に局部を隠した水着のみでビーチokというところもあるようです。そこではイスラム厳禁の飲酒もokらしいです。

 アフガニスタンは厳しい国のようです。

 

 行ったことなどもちろんありません。近隣ウズベキスタンの写真展を見た感想では、住んでいる人々は純朴で温かい気もします。

 行ってみたいところです。“たい”です。“たい”と“行く”は金銭的、時間的な可能・不可能の以前に当然真逆くらい違います。

 本来、イスラムは平和な教えのようですが、どうも恐ろしい教えという感じが定着してきたように思います。

 ただ、今回はイスラムということとは直接関係なさそうです。

 

 “貧困” そういうことですか? ネットで拾い読みしたところでこんな話がありました。

 誰も執着しない荒野があった。そこに水が通され緑地=耕作地に変わった。多くの土地を得られればそれだけ裕福になれる。

 その結果、一様に貧しかった仲間同士に争いが生じた。

 だから、争いの元となる水を引いた者が憎い・・

 

 ・・なんとなくわかりかけるような・・ いや、とんでもなく曲解してるような・・

 関係者が拘束されているようなのでおいおい真相がわかってくるんでしょうか?

 

 年末を前にとんでもなく悲しい事件が飛び込んできました。ご冥福をお祈りします。

 そして“天空のかけら”と呼ばれるラピスラズリを産する麗しい国が平和になりますように!

 

ラピスラズリ

 澄み切った青空を思わせる青い半貴石。和名は瑠璃。ラピュタの飛行石のモデル。

 ツタンカーメン王の黄金マスクの青い装飾にも用いられており、アフガン産と言われる・・というか、産地がごく限られる。

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