地球や、とラージャステージ。せっちゃん一人で寂しく、、、のびのび踊らせて、頂きました。これも又わたしの良い経験でした。
写真は今年、ほとんど袴田先生に作って頂きながら、せつこがミシンをかけたり、まつったりアイロンをかけたりして、朝6時から3日間で仕上げた”むらさき(群咲)”という名前のゆかたです。私は29歳まで絹織物で有名な桐生市で過ごしました。嫁いだ先が商売をやっていて、義父も義母も私を、とても大切に、愛してくださっていたので、事あるごとに”着もの”を買ってくださいました。子供を義母や実母に預け、着付け教室にも数年行かせて頂きました。なので子供の入学式や卒業式は、ほとんど着ものを、自分で努力して着て出掛けました。29歳以後は子育てと夢や、理想を追い続け、特に子供や家族に苦労をさせながら、夢中で生きてきたので、”きもの”と遠く離れていたのですが、子供たちも皆自立し、今又ちょっと着ものマイブームが始まったようにも思います。
エジプト、カイロ大学に縁あって着ものを着て行ったことがあります。学生がたくさん私を取り囲み、”写真を一緒に撮らせて下さい”と日本語がたくさん飛び交った事があります。外国の文化、エジプトの踊りを勉強している私にとって、日本の着もの文化をしっかり学ばせて頂くことは私の理想です。
写真は今年、ほとんど袴田先生に作って頂きながら、せつこがミシンをかけたり、まつったりアイロンをかけたりして、朝6時から3日間で仕上げた”むらさき(群咲)”という名前のゆかたです。私は29歳まで絹織物で有名な桐生市で過ごしました。嫁いだ先が商売をやっていて、義父も義母も私を、とても大切に、愛してくださっていたので、事あるごとに”着もの”を買ってくださいました。子供を義母や実母に預け、着付け教室にも数年行かせて頂きました。なので子供の入学式や卒業式は、ほとんど着ものを、自分で努力して着て出掛けました。29歳以後は子育てと夢や、理想を追い続け、特に子供や家族に苦労をさせながら、夢中で生きてきたので、”きもの”と遠く離れていたのですが、子供たちも皆自立し、今又ちょっと着ものマイブームが始まったようにも思います。
エジプト、カイロ大学に縁あって着ものを着て行ったことがあります。学生がたくさん私を取り囲み、”写真を一緒に撮らせて下さい”と日本語がたくさん飛び交った事があります。外国の文化、エジプトの踊りを勉強している私にとって、日本の着もの文化をしっかり学ばせて頂くことは私の理想です。