いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

三田和美短歌集④

2019-06-03 20:13:43 | 短歌


三田和美君は、ほんとうに真面目な人で、
210人いた高校のクラスメートの中で3本の指に入るくらいだったと思う。
宗教家の道を歩み、期待されたけれども、
早逝した。
直前まで彼と対話していた友人から、
三田君の短歌集の公開の依頼があった。
今日は、第4回、
5首挙げてみる。

……

我が心 うそのかたまり 御仏の 慈悲のぬくもり しみわたりゆく。

父母の 慈愛に育て られし子の 御仏の慈悲 自ら知る。

青く深き 秋空の中 輝ける 太陽に今 手を合わせゐる。

仏法も 愛欲名利の 手立てにと なさんとするが 我が心なり。

いたずらに 暮らしをれども 知ろしめす  ただそのままがお目当ての機。
























阿川弘之先輩をしのんで~そして阿川佐和子さま~

2019-06-03 18:33:52 | 文学

阿川弘之。
一般的な説明なら、次のようになる。

1920年、広島市生まれ。
1942年、東大国文科を繰り上げ卒業し、
海軍予備学生として海軍に入る。
戦後、志賀直哉に師事。
1953年、学徒兵体験に基づく「春の城」で読売文学賞を受賞。
同世代の戦死者に対する共感と鎮魂あふれる作品も多い。
元芸術院会員。
「雲の墓標」
「暗い波濤」
「志賀直哉」
「米内光政」
「山本五十六」
「井上茂美」
等の作品がある。

私が彼を知ったのは、高校の現代国語の時間に
教科書で彼の短編を読んだからである。
才能もないのに小説家志望であったわたしは、ぞっこん惚れ込んだ。
東京で大学生活を送っている頃、
高校の同窓会があり、阿川先輩も来られるということで、
期待して行ったが残念ながら所用で欠席、ということだった。
それ以来、接点はなかった。
自分自身は、国文科志望だったが、周囲の反対に遭い、別の学部に在籍していた。
今思えば、素直に国文科に進んで、
採ってもらえれば学校の国語教師になった方がよかったと思っている。

かの有名な阿川佐和子さんは、
彼の長女で、
本人も、父親も、友人も、
「いいお嫁さんになる」のが普通の未来、だったようだ。

ただ、彼女は、今はいろいろ言われるが、
阿川先輩のお嬢さんだ、というだけで、
私は、今でも「阿川佐和子さま」
と呼びたくなるのである。










というこ