いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

介護時代以前の介護~宮柊二の歌にみる~

2019-06-27 21:20:56 | 短歌


約20年前に出版された本に、
宮柊二の家族詠の評論がある。
まだ、介護が今ほどの重要性を持たなかった時代、
宮柊二は、両親、妻、子どもという3世代家族を統べていた。
育児、仕事、介護という三重苦は、かれが長男である故、
より大変な生活を強いられた。

……

この生活を続けるうち、本人は身体を壊して入院し、
常に床に臥す父を介護していた母が、吐血して倒れる。
こどもも、病が絶えない。
忙しさに耐えられなかった妻が、自殺未遂をおこす。
それでも、一家の大黒柱としての宮柊二と妻とは、
生活の折り合いをつけねばならなかった。
病気の両親と夫婦、子供3人の生活。

今の時代を先取りする父の介護の歌を、宮柊二は詠む。
そこに、現在の時代への取り組みのヒントはないだろうか。
いずれにせよ、現代、痛々しいとばかりはいっておれない歌たちである。

……

老父を抱きかかえつつ巷かへる生の敗残に入りしかも父
人の生さまざまにして泪持つたとへば病み臥すわが父も一人
昂りて夜に喚く父の晩年をわが守るべし吾は子なるゆえ
妻と子と老父母をかいいだきわが往かんとすす病みてはならず
病み床に日中ねむれば尖りたる父喉仏冬の日を浴ぶ
玄関に父の笑ふが聞こえ来る笑わせいるは末の夏実か(夏実は宮の娘)
枇杷むけば汁したたるを床の上ゆ眼放たず父が待つなり
下痢後を処理してくれて嬉など感謝記せし父の日記はや

……

3世代住宅に住みながら、涙ぐましい努力が続く。
父の逝去前後のことは、改めてまとめたい。
























宮柊二「多く夜の歌」に見る視野のひろがり

2019-06-27 19:54:03 | 短歌

宮柊二の歌は、民衆の、庶民の歌であった。
彼が、朝日新聞歌壇の選者になったこともあり、
短歌界に、新風がおこる。
民衆の、民衆による歌が、受け入れられれるようになったのである。

……

あはあはと陽当る午後の灰皿にただ一つ煙をあぐる吸殻

吸殻からさそわれる人の姿はやはりちらつく。そこでこの歌には些細な素材を扱ったのだけれども、それは媒材で、間接的な表現のしくみを試みたものだが、言い換えれば、人事を直写することには窮屈さが避けられないで、些事を素材とし対象として、人事の広がりをさそい出そうと試みたのだった。私はこの歌で、一種の落ち着いた気分と、在来の歌には見られなかった、虚実の関係といった世界が、開けるいとぐちをとらえたような気がした、と思い出すことができる。(宮柊二)

……

同時期に、次のような歌もつくっている。

……

腕相撲われに勝ちたる子の言ひて聞けば鳴きをり藪の梟
イオシフ・ヴィッサリオのヴィチ・スターリン死す英雄の齢かたむきて逝くぞ悲しき
桔梗のかがやくばかり艶もちて萌え出でし芽を惜しみ厭かなく
才無きを恥ぢつつ生きてもの言ふにこころかなしき批評にも会ふ
竹群の空青々と音なくて寂しき春の時間ぞ長き

……














海軍主計大尉小泉信吉の一生を振り返って~小泉信三~

2019-06-27 19:13:24 | 人生

大正7年1月17日に生まれ、
昭和17年10月22日に戦死した
海軍主計大尉小泉信吉。
25歳であった。
極めて性格温良だったという。
慶應義塾の塾長小泉信三の一人息子である。
出生時、父は31歳、母は24歳であり、
のち、2人の妹が生まれた。

今回は、父信三の著書「海軍主計大尉小泉信吉」にまとめられた、
信三による、信吉の「こうであったろう」人生を、摘記しておきたい。

……

信吉の一生は、平凡な一生であった。
彼は平凡な家庭に生まれ、平穏無事に成長した。父も祖父も伯父叔父も従弟も学んだ同じ学校に入り、小学、中学、大学と一貫してそこで教育せられ、卒業して志望した銀行に採用せられ、図らずも少年の日の夢であった海軍士官となって第一線に戦った。
無事も無事、平たん極まる道を歩んだ男であって、最後の戦死そのことが彼の生涯の恐らく唯一つの事件であったろう。
彼に如何なる特徴があったか。親の私にはほとんど語ることができない。ただ父母同胞親戚友人を愛し、その人々に愛せられ、少しばかり学問を好み、同じく少しばかり絵画音楽を愛し、子どもの時から海洋、船舶、海軍に関する異常の憧憬をいだいたというだけの青年であった。
若し常の世に生きたら、彼は日々銀行の勤務につとめ、余暇をもって読書し、できれば著述し、妻を娶り、父となり、運が良ければ順当に昇進して老境に入るという一生を送ったであろう。
その信吉と言う男が、南太平洋上に敵弾に中って艦橋に倒れるとは、実に思いもかけぬことであった。
信吉が生まれた大正7年は、西暦1918年で、5年にわたる第1次世界大戦の終息した年である。
当時、この幼児の成長の暁に再び世界の対戦が起こり、この幼児そのものもこの大戦に死ぬであろうとは、何人も予想しなかったことであろう。その信吉自身が小時の夢に開戦に死ぬことを空想したというのは、今となってみれば不思議な暗合であった。
(以下略)

……

戦争によって愛児を奪われた老学者の回想には、胸を打つものがある。