いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

宮柊二の歌②~終戦直後の深きまなざし~

2019-06-14 21:43:42 | 短歌

終戦直後、
宮柊二は、復員(戦争から帰る)して、黒部に遊んだ。
次の5首をつくっている。

たたかひを終わりたる身を遊ばせて石群れる谷川を超ゆ
河原来てひとり踏み立つ昼時の風落ちしかば砂のしづまり
砂分けて湧き出づる湯を浴まむとしつぶさに寒し山のはざまの
山川の鳴瀬にむかひ遊びつつ涙にじみ来ありがてぬかも
めぐりたる岩のかたかげ暗くして湧き清水ひとつ日暮れのごとし

ここでは、戦争が終わったという安心感も、解放感もない。
また、平和な生活がまっているという喜びも感じられない。
むしろ暗く、くぐもっている。
次のような歌人の歌とは、一線を画している。
戦争を肌身に感じて戦ってきたからだろうか。

聖断はくだりたまひて畏くもあるか涙しながる(斎藤茂吉)
戦ひに果てし我が子も聴けよかしかなしきみことをくだし賜うなり(釈超空)
あなうれしとにもかくにも生きのびて戦ひやめるけふの日にあふ(河上肇)





























与謝野晶子の歌⑪~色彩の魔術師~

2019-06-14 21:21:03 | 短歌


与謝野晶子は、処女歌集「みだれ髪」の中で、
色彩感覚にあふれた作品を多く発表し、
与謝野鉄幹の「明星」にも、そのような歌を
多く投稿したことが知られる。

……

百合にやる天の小蝶のみづいろの翅にしつけの糸をとる神

この歌では、百合の「白」と蝶の「みずいろ」の対比が
たいへん美しい。
ほかにも
「ここちよく青みわたれり紅の椿のもとの一寸の雪」
など、色の名を多用し、情景を鮮明に歌い込んだ。

……

いにしへのクレオパトラを飾りたる玉の色してめでたきダリア

ダリアは、品種が多く、花の色もさまざまだが、クレオパトラの身を飾った宝玉は何色だったのだろう。
「あな恋し琥珀の色の冬の日の中に君あり椿となりて」
という歌もある。

……

晶子は、デパートの顧問として、流行色の命名にかかわり、色の美しさを再発見したといわれる。歌のみならず、童話でもくっきりした色を使って、独特の世界を構築した。








































宮柊二の歌①~死体とともに~

2019-06-14 20:49:17 | 短歌

河原より夜をまぎれ来し敵兵の3人迄を抑へて刺せり

宮柊二27歳のときの歌である。
歌集「山西省」に収められている。
過酷な戦争(日中戦争)の中の出来事である。

少々説明せねば、状況がわからないだろう。

宮柊二
1912年生まれ、1986年死亡(74歳)。
商家に生まれ、分けあってエリートの道に進むことなく家業を継いだ。
歌人北原白秋に師事し、富士製鉄に勤める。
日中戦争が勃発し、1939年に招集され、中国山西省にわたる。
一兵卒として、戦争の第一線で戦う。
はじめに挙げた歌は、そういう生活の中で生まれた歌である。
宮は、薦められたのにもかかわらず、幹部候補生になることを拒否した。

理由は、次の歌から推測できる。

おそらくは知らるるなけむ一兵の生の有様をまつぶさに遂げむ

幹部でなく、最前線の一兵卒として働く道を自ら選んだのである。
次の歌も、そのような体験から生まれたものである。

……

自爆せし敵のむくろの若かるを哀れみつつは振り返りみず

胸元に銃剣受けし捕虜ふたり青深谷に姿を呑まれる

5度6度つづけざま敵弾が岩を打ちし時わが軽機関銃鳴り初む

不覚の涙落とせり隊長を担架にゆりて担ぎ上げしとき

……

戦後、宮は製鉄会社に勤めつつ、歌人として短歌結社「コスモス」を運営し、
歌を発表し続けた。