いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

カモカのおっちゃん④18禁・田辺聖子のナニの話②

2019-06-16 18:56:12 | 思い出の詩


(承前)
何かお酒の肴は、とみるとアジの唐揚げを二杯酢につけたもの、子芋のたいたもの、「和田八」のカマボコの頂き物、みな秋らしくおいしそう、これではブランデーなんか飲んでられない、「剣菱」を熱燗にして、これも頂きもののスダチを絞り込んでスダチ酒。「でも、女はそう重視しませんよ。なんでやろ。忘れちゃいますよ。男の作家の中にはよく、女言うものナニにことばっかり考えてるように書く人があるけど、あれ、ウソ」
と私は匂いのいいスダチ酒を含んでいった。
「朝、コトがあったって、すっかり忘れてるのがオンナ。昨日はナニしたって、翌日すっかりわすれて、この前はいつだったっけ、なんでおもうのが女」
「しかし、その場その場では、相応によろこんではりまっしゃろ」
「そうとしても、女はすぐ忘れるんですよ、台風一過、快晴の空がもどるようなもの」
「ウーム。男は台風一過を相手に、えらい目をしてふんばっておるのか」
おっちゃんはしばし、感慨無量の面持ちであったが、気を取り直す如く、スダチ酒をぐっとあおり、
「それはそれは人の女房の場合でっしゃろな、つまり、ミセス、人妻、この手合いは傲りたかぶり、慣れてしもうて感激が薄い、男の獅子奮迅の働きを、屁とも思うておらん、ああ有難い、勿体なやと感謝の気もおこらん、それゆえ、台風一過、ケロリとするが、そういう傲慢な思いあがったミセスやヨメハンはさておき、ミスとなれば、うれしいと思うでしょうなあ」
「それはあるかもしれません。ミスにもいろいろあるけれど、男と同棲みしていない人には1回1回に感激があるかもしれません」
と、私はおっちゃんの夢をこわさないように言ってあげた。

こんな話をオトナがしてると知ったら、暴走族のジャリ、よけい当てつけのように走り回るやろなあ。

(終わり)
































カモカのおっちゃん③~18禁・田辺聖子のナニの話①~

2019-06-16 18:23:27 | 文学


医師・カモカのおっちゃんと田辺聖子のナニの話。

一夜にして秋となり、朝夕は涼しい。日本の秋はいい。世界に冠たるものは日本の秋である。
私のマンションからマトモに六甲連山が見えるので夕焼けの美しさったらない。
私は夕焼けし始めると仕事なんかほったらかして飛んでいき、ブランデーの水割りなんかちびちびやって、そうなるともう、これは朝まで。新月が出たと言っては飲み、真っ暗になったと言っては飲み、して楽しんでいる。
ただ、夜と早暁、暴走族が下の道路に多くて困ってしまう。主基公園の東側にたむろするのが、常時7台から9台いて、凄い爆音をとどろかして走り狂っている。
明け方なんか、もうひと眠りするとシッカリするというときに、空にヒコーキ、地上にオートバイ、ブルブルゴーゴーと、しまいに腹立ちを通り越して笑いだしてしまう。伊丹市は空のヒコーキ対策と同じように地上のオートバイに乗ってゴキブリも取り締まってほしい。住宅地で爆音をひびかせられてはどうしようもない。これが芦屋西宮のように、市民意識の発達してる町だと、町内、とても黙っていない。
そんなことを考えながら、ちびちびブランデーをすすっておりますと(何しろブランデーは高いので鯨飲してはもったいない)「あーそびーましょ」とカモカのおっちゃんがきた。
「下の道路、アホガキがえらい音たてて走ってますな」
「音は上へ行くほど聞こえますから」
「窓を閉めれば少しはちがうでしょう」
「窓を開けるのが好きなんです。風を楽しみたいから、少々寒くとも。『窓を開けますか?』という小説を書いてるくらいです」
「小説なんかどうでもええけどオトナの営みがジャリに邪魔されるのはけしからんですなあ。あない、えらい音立てられては気が散って、おちついてできまへんやろ」
おっちゃんの言うのは、そんなことばっかし。おっちゃんはいかめしく形を改め、「何を言う。それが社会の一般根幹やないか。男にとってそれ以上の大切なことあらへん」
「あら、ホーント。そうかなあ」
「男は、そのことを重視しますなあ。そんなん、どっちでもええ、もっとほかに世の中にゃ大切なことある、という評論家や文化人の手合いは、照れ隠しにそんなこというとるだけ、男と生まれたからにゃ、ナニを重視せざるを得まへん」

(続く)


















































配給以外を拒否して餓死した裁判官

2019-06-16 16:54:13 | 政治

第2次世界大戦後、軍人として高位であった者が、
コネを利用して、旧軍需会社等に籍を置き、
裕福に暮らしたという例は枚挙にいとまがない。
しかし、
海軍大将米内光政、井上成美等は、そうした行為を拒否し、貧しい生活をした。

さらに恐るべき法令遵守の人もいる。

第2次世界大戦直後、食糧管理法という法律があった。
乏しい米等の食料を国民に配分するため、
国が「配給制度」という法律を作って公平を期したのである。
しかし、配給の量はわずかであったため、ほとんどすべての国民は、「闇市」という場で食料を買っていた。

そんな中、自らも食糧管理法を適用する裁判を担当していたある裁判官が、
食糧管理法による配給だけで生活し、
栄養失調のため、餓死してしまった。
1913年に生まれ、1947年に亡くなった、
小山良忠である。

ほかにも、同様に餓死した人がいた。

東京高校ドイツ語教授 亀尾英四郎
青森地裁裁判官 保科徳太郎

現代の人たちは、このような人の話に、どんな感想を持たれれるだろう?