ある人物の大要を知ろうとするとき、Wikipedia等を使うと、
なにか、かたい、得体の知れない姿にうつることがある。
ネットという特殊なツールだからであろう。
実際に遭ったとか、自分で調べたり文章を読んで知った、
ということになると、話は別で、
感想は、生き生きしたものになる。
一海軍主計大尉であった小泉信吉が25歳で戦死したとき、
さほど中の深くない山本五十六連合艦隊司令長官が、わざわざ
その父である慶応大学塾長小泉信三に、追悼文を送った。
小泉信三が、「師・友・書籍・第2編」を進呈したことを踏まえたうえでのことである。
内容は以下のとおりである。
拝復
11月2日付貴信ならびに貴著「師・友・書籍・第2編」拝承ありがたく御礼申し上げます。しかるところ時を同じゅうして海軍主計中尉のご令息には10月末南太平洋海戦においてご奮戦壮烈なる御戦死のおもむきを伝え承り、痛恨愛惜にたえず、ことに唯おひとりのご令息の由承り、一層ご同情の念深刻なる次第に御座候。御著書中の私信はご令息に対する御慰問御激励の文とも承り、御心情深くお察し申し上げ候。
(以下略)
11月尽日
山本五十六
小泉信三様
……
小泉信三が、以下のように説明している。その心情は、生の文章を読むからこそ伝わってくるのであろう。
山本司令長官とは深く交わったと言いうるほどの間柄ではない。かすかな面識は数年前からあった。
昭和12年の春、慶應義塾塾生が宮城前へ戦果行進の更新を行ったことがある。そのとき私は海軍省へも出頭して祝辞を述べた。それを受けたのが当時の山本海軍次官であった。大臣室であるか、応接室であるか、広い一間に招ぜられて、祝辞謝辞を交換した後、座って少しばかり雑談した。丁重な山本次官は、私の帰る時、玄関前まで送って出て、私の車が動き出してもなお、そこに立っておられた。その後教育審議会の会合その他で委員としての山本次官に会って、目礼したり数語を交えたりしたことがある。
(以下略)
……
こうして、文章を読み、味わうと、Wikipedia等では感ずることのできない、しみじみとした感慨が伝わってくるのである。