いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

海軍の奨励した将棋

2019-06-04 21:18:16 | 思い出の詩


提督山本五十六の将棋好きは有名であった。
棋譜をみたことはないが、
猛烈な攻め、要所での的確な受けが光る将棋だったろうと推測する。

戦前、戦中の海軍では、将棋が勧められた。
戦術、戦略を鍛えるのによい、というのである。
海軍士官の間で、将棋は愛されたようだ。

江戸時代にも、庶民がさかんに指していたという記録がある。
また、昭和の時代、木造、縁台付きの家で、
多くの人が「縁台将棋」を楽しんでいたのも有名である。
海軍の出身者もいたろうし、純粋な将棋愛好家もいたろう。
庶民の娯楽として、たいへん貴重なものであった。
昨今の将棋熱はほんとうに盛んだが、
こういう歴史をもつのが、将棋と言うゲームなのである。


























ラジオ体操のルーツは謎か?

2019-06-04 21:09:45 | 健康


NHKのラジオ体操は、優れている、
というのはもはや通説だろう。
起源にはいろいろな説がある。
有力な説を紹介しておく。

戦前、ある学園が外国から体操を学んだ。
それに改良を加え、生徒に教えた。
これを海軍が見て、取り入れた。
戦後、さらに改良を加え、
NHKのラジオ体操になった、という有力な説がある。
ラジオ体操は、いまはテレビでも使われ、
その効果は折り紙付きである。

大切な日本のの財産だと思う。










広島原爆で取り残された3兄弟のその後

2019-06-04 18:15:45 | 人生


広島への原爆投下で、
取り残された3兄弟がいる。
長男は、20歳、海軍少尉として横須賀で勤務しており、
中学2年の次男と小学校1年の三男は疎開していて、
原爆の被害にあわなかった。
しかし、実家は原爆投下直下で、
祖父、両親、5姉妹を喪い、
3人だけになってしまった。
3人は、焼け跡から、木片を集め、
自分たちだけでバラックを建て、そこに住んで暮らした。

長男は国鉄に入り、67歳まで関連会社で働き、
79歳、癌の全身転移で亡くなった。
次男、三男も一家を成し、自立した。
ただ、本人たちは一言もいわなかったが、
(70年前の話だから、もう時効だろう)
3人だけの兄弟には、親類は冷たかったようである。

立派な両親のもとで育った子が、
どうしようもない人間になるのは、よくあることで、
長男の息子は、出来が悪かった。
つまり、それが私である。

母も若くしてその母を喪い、
一家の働き手として苦労した。
家事のために女学校を中退することも
求められたようである。

ちゃんとした両親のもとに生まれたにしては、
私の人生は冴えないものだが、
くよくよしても仕方がない。
悪いことは忘れて、頑張ろうと思っている。

私は、広島カープの熱狂的なファンである。



























長男の息子が