戦後短歌のエース、宮柊二と近藤芳美。
近藤芳美は、あらかじめ、新しい短歌を提唱しており、
それゆえ、戦後の歌壇に自らの力を注ぎ込んだ。
それに対し、宮柊二は、伝統的な精神を受け継ぎつつ、
自らの作品をもだえ苦しむように作らなければならなかった。
東京裁判についても、連作「砂光る」を発表したが、
なにか、割り切れぬ、魂の底がゆらいでいる、
そういう歌たちであった。
25名のA級戦犯、そのうち7名の死刑確定、
という判決を、複雑な思いでラジオを通して聴いたのである。
……
重ねこし両手を解きて椅子を立つ判決放送の終わりたるゆゑ
二十五名の運命をききし日の夕べ暫く静かにひとり居りたし
硝子戸越しわが胸板に射して来つ淡淡し霜月十二日の夕陽
放送をききゐしあひだわが視野に花小さく立ちてをりし向日葵
苦しみていくさののちを三歳経し国のこころを救ひたまはな
金色に砂光る刹那刹那あり屋出でて孤り立ちし広場に
こころ深くなれば聞きゐつこの夕べわが耳もとにあそぶ風あり
……
とくに、第5首の「国のこころを救ひたまはな」というフレーズは、宮の
実感を詠ったものであろう。
国の苦しみは、敗戦後三年たってもかわらないし、宮自身が、救われる思いをもっていなかったことが感じられる。
そこを、どう突破できるか、ということが、
宮の悩みであり、思想の萌芽でもあったのだろう。