宮柊二は、近藤芳美とともに、戦後短歌界のエースであった。
ただ、戦争という体験のゆえに、戦争の匂い、戦いの傷、
といったものから解放されることがなかったことが、
その作品から読み取れる。
戦後世代が体験できなかったことを、根っこにもっている。
戦後の人間は、歴史として戦争をとらえることができても、
深い根っこに戦争体験をすえることはできない。
宮の「小紺珠」という歌集を読んでも、
彼が戦争体験を昇華して高踏的な認識に至ったとはいえないことがわかる。
戦争体験があるかないかで、顔つきまで違うという。
宮の場合、
平時~戦中~平時、と時を過ごしたが、
ひとつめの「平時」とふたつめの「平時」は明らかに違う。
ふたつめの「平時」から、戦争の影を消すことができなかったことは、
次の作品を見てもわかる。
……
こゑひくき帰還兵士のものがたり焚火を継がぬまへにおはりぬ
松かぜのつたふる音を聞きしかどその源はいづこなるべき
新しき歩みの音のつづきくる朝明けにして涙のごはむ
この夕べ堪え難くあり山西のむらむらとして顕ち来もよ景色
……
これらの歌のたたえる哀しさは、彼の中の「戦争」が終わっていないことを伺わせる。現実が非現実であり、非現実が現実だったのである。
戦後民主主義や社会主義に走るでもない、
連綿と生き続けている自分が、
いかにも不安定にして耐えがたいかを暗示している。
立派な芸術であるロダンやバルザックの作品を見つつ、自らの内面の空虚感を埋めえないのである。
……
ロダン作バルザック像の写真みてこころに満つる寂しさは何