いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

戦争の中の歌~死屍累々~

2019-06-17 21:25:58 | 短歌


しばらく宮柊二の作品と、戦後の生きかたをたどったが、
戦争中の歌は、彼以外の多くの戦士が残している。
宮柊二の「山西省」のような芸術的な高みに達していなくても、
それなりに価値の高い歌は多い。
いずれも、日中戦争時の兵の作である。

……

次々に担ぎこまれる屍体、みんな凍ってゐる、ガツガツ凍ってゐる
背に負へる戦友の御骨に花一枝添へて行軍けふも続くる
銃眼より覗きて見たる眼のまへにうつ伏せに敵の兵死にており
幾列か雁渡る見つつ追撃のいきつくひまぞ故郷思いいるづる
照準つけしままの姿勢に息絶えし少年もありき敵陣の中に

……

こうした作品群を生んでしまった国家のありようは、いかに評すべきであろうか。


















宮柊二の歌④~戦争の深い悲しみをたたえて~

2019-06-17 20:59:08 | 思い出の詩


宮柊二は、近藤芳美とともに、戦後短歌界のエースであった。
ただ、戦争という体験のゆえに、戦争の匂い、戦いの傷、
といったものから解放されることがなかったことが、
その作品から読み取れる。
戦後世代が体験できなかったことを、根っこにもっている。
戦後の人間は、歴史として戦争をとらえることができても、
深い根っこに戦争体験をすえることはできない。

宮の「小紺珠」という歌集を読んでも、
彼が戦争体験を昇華して高踏的な認識に至ったとはいえないことがわかる。

戦争体験があるかないかで、顔つきまで違うという。

宮の場合、
平時~戦中~平時、と時を過ごしたが、
ひとつめの「平時」とふたつめの「平時」は明らかに違う。
ふたつめの「平時」から、戦争の影を消すことができなかったことは、
次の作品を見てもわかる。
……

こゑひくき帰還兵士のものがたり焚火を継がぬまへにおはりぬ

松かぜのつたふる音を聞きしかどその源はいづこなるべき

新しき歩みの音のつづきくる朝明けにして涙のごはむ

この夕べ堪え難くあり山西のむらむらとして顕ち来もよ景色

……

これらの歌のたたえる哀しさは、彼の中の「戦争」が終わっていないことを伺わせる。現実が非現実であり、非現実が現実だったのである。
戦後民主主義や社会主義に走るでもない、
連綿と生き続けている自分が、
いかにも不安定にして耐えがたいかを暗示している。

立派な芸術であるロダンやバルザックの作品を見つつ、自らの内面の空虚感を埋めえないのである。

……

ロダン作バルザック像の写真みてこころに満つる寂しさは何



































50年前の悪夢にうなされる

2019-06-17 18:45:03 | 学校


私は、もう古希に近い。
50年余り前、高校で、次のような英文エッセイを読んだ。
「私は60歳になるが、いまだに学生時代、試験の前夜に、試験の恐怖におびえた夢をみる」
彼よりは、私の方が年長になってしまった。
そして、彼の書いていることが、普遍的な人間心理をついていることに、
改めて感心するのである。
つまり、今でも、50年余り前の、恐怖の試験前の悪夢を頻繁に見る。
イギリスだろうと日本だろうとインドだろうと、
こういう心理はかわらないだろう。
フロイトやユングの説を持ち出すまでもなく、
意識の底に植え付けられた感情は、生涯にわたって人間を苦しめるのである。

「3つ子の魂100まで」ということわざも、
こうした事理を説明するのだろう。

若いほど、ある経験は、深くしみいる。

ある先生がおっしゃっていた。
「学校や保育所の教育で、重要なのは、保育所や幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院の順だ」
若いほど、教育の重要性は高まるというのである。
同感である。































湘南のサーファーたち、踊る

2019-06-17 18:20:20 | 短歌

昨日は、晴れ渡ったものの、
湘南には強い風が吹いていた。
荒波が押し寄せ、サーファーの群れが波乗りを楽しんでいた。
湘南ではおとなだけでなく、子どももサーフィンをする。
最年少は、4歳くらいで、小学校1年生ともなると、
大勢の子が、波乗りをする。
浜は、強い風にあおられて砂紋が連なっていた。

2首。

……

湘南の浜に寄せ来る荒波に高く飛び乗るサーファーの群れ

ますがしき湘南の浜風つよく砂紋あらわれたゆたう光