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車で出かけて、電車で巡って、行った先にお店があって、買い物したり食べたり飲んだりできるように現代はなっています。
コロナ騒動になってから生活の事から営業を余儀なくしたお店が責められてるニュースを聞き、がっかりしたのと同時に、私たちは「広く過ごしすぎてる」ような気持ちが芽生えてきました。
仮に店主さんとお客さんが「同じ地区」に住まう話せる仲だったら、お店の経営状態もわかるし、気持ちも通じやすいような気がしたのです。無碍に「お金儲けに走って」などとなじることも厭(いと)われた気がするのです。
要は「言い放っておいても、これきりにしたら済むだけの相手なんだし」というろくでもない着想が感じられるのです。生活感の共有できないところを出入りできるサイズで生きてるが故に、このコロナ騒動の禍根は根深くなったように見受けるのです。
本当に人同士でののしりあって、密告しあうほどの価値があるんでしょうか。
「仕組みが悪い」ことは加味しないままでいいんでしょうか。