なんだろう
風みたいなものを感じます。
ただ自分があっためてたものが、人の手を介して、こっちがカウント出来なかったものへ触れにきてくれるような。
ほんの最近、やっとよちよち歩きみたいなのが、違う見え方みたいに掬い取ってもらえる際を見るんです。
醸す、という「置いておき方」から醸成されるものをずっとやってきてた。
驕れるほど勇めてないし、見るべき成果も華やかで無いけれど、それでも目を向けてくれる契機が、生活の風圧の中に、気配として忍び込んでる気がします。
まだ、これといえる輪郭もない話だけど、光のないうちの兆しは、滝みたいに光をちらつかせてきてる。
肌感覚にあたる風みたいななにか。
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