歌うように語ろう

観劇や観戦(主にフィギュアスケート)等について語るブログです
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スポーツマンシップとは

2011年09月13日 | スポーツ全般

全米オープンテニスが終わりました。男子シングルスを制したのはナダルではなくジョコビッチでしたが、これで今年のGS4戦中、彼が3戦を制したことになります。まさに今、絶頂期と言っていいでしょう。フェデラーとナダルを下しての優勝ですし。

そして敗者となったフェデラーとナダルも、ジョコビッチのプレイを賞賛しました。自らの負けを認め、勝者への祝福とリスペクトを忘れない彼らにもまだまだ、十分な力とプライドを感じます。波に乗るジョコビッチだけではなく、彼らにもまだまだ王者とクレーキングとして頑張って欲しいと思います。

一方女子では、敗者となったセレーナ・ウィリアムズが審判への暴言への制裁として、罰金を命ぜられました。ウィンブルドンのみならず、テニスにおいてはマナーを厳しく問われます。誰でもままならぬときは苛立ちを禁じえないこともあるでしょうが、対戦相手と共に審判への敬意も忘れてはなりません。少し頭を冷やしてもらいたいところです。

それにしても、様々なスポーツを見ていて思うのが、それぞれの競技におけるスポーツマンシップとはなんだろうということです。

ボクシングでは対戦発表の記者会見で既に心理戦が始まっていたりしますが、試合が決した後はあんまりダーティーな姿は見ないような気がします。私が詳しくない所為で知らないこともあるかもしれませんが。

そしてテニスでもあまり選手間で心理戦は聞きません。もっともテニスは年間試合数が多いので、毎回の勝敗をいつまでも引きずらないことや、大きな大会などではチャレンジシステムもあるので、不満が出にくいのかもしれません。また、それ以前に貴族のスポーツに端を発していることもあるのか、特に上位選手は互いにリスペクトの心をきちんと持ち合わせているように見えます。それは見ていて清々しいものです。

ではフィギュアスケートではどうでしょうか。一部の例外を除いて、国籍は違えど試合が終わる前ですらそれほど選手間に緊迫感はないように見えます。むしろ国際大会よりも、世界選手権の代表枠を争うナショナル大会の方がピリピリしているかもしれません。シーズンオフには異なる国(その多くが日本ですが)から招かれやって来るスケーターたちは、日本のスケーターたちと仲良さそうですし、もちろん日本や日本人選手への敬愛を示してくれます。しかし、残念ながら一部で選手とコーチが一緒になって特定のライバル選手に対して過剰な心理戦をしかけたり、あることないこと内外のメディアに吹聴する残念な事実も見られます。

フィギュアスケートは個人競技ですし、たとえ国籍が同じであろうと他の選手は皆ライバルであることは間違いないでしょう。ですが、彼ら彼女らは同じリンクで同時に倒しあうような戦い方をするわけではありません。あくまで自分のプログラムをいかに精度を上げて完璧に滑りきるかを争うスポーツです。敵は自分(とジャッジ)であり、誰がどんな滑りをしようとそもそも同じ演技ではないのですから過剰に意識する必要はないはずです。もちろんほとんどの選手はそのことをよくわかった上で切磋琢磨しながら私たちに短い時間ながらも氷上の舞を見せてくれます。しかし残念ながら勝ちに執着しすぎるあまりか、エッジコントロールと同じくらいに口が達者?な方もいらっしゃるのです。彼らのうち、フェイドアウトしていきそうな選手もいますが、まだ残留する選手もいます。スケーターなら、舌で戦うのではなく是非ともいかにレベルを上げた上で精度の高い演技でジャッジや観客を魅了できるか、そちらの方に心血を注いでもらいたいと思います。

……その上でジャッジも公平で妥当なものであればなお清々しい競技になるのでしょうが、そんな日が来るのかどうかはかなり謎なのが残念なところです。