欧州発祥の競技であるフィギュアスケートですが、今や北米やアジアばかりか南米など世界各地にその競技を広げている時代となりました。
そのグローバルな時代にふさわしい公正な採点がなされているか否かはともかく(苦笑)今日は各地域の傾向・流儀について現状に則しつつ
文献からもひもといていきたいと思います。なお、下線や強調は私(ぱんだねこ)によるものです。
まずは「君なら跳べる!」(佐藤信夫・久美子共著)より。信夫先生の分析(P.95)。以下一部抜粋です。
「シンプルだけどお客さんの喜ぶ、演技の流れを大切にするスケートがアメリカ流。内容盛りだくさんで、細かい技の精度を
追求し、ひとつひとつの技術をこなすのがヨーロッパ。とくにロシア流です。ごくごく簡単に言えばね。
でも今となっては北米流とか欧州流という言葉も、死語ですよね」
少し抽象的な表現ですが、なるほどなど伝わるものがあります。この本が上梓された頃には信夫先生は、男子は小塚選手、女子は
複数のトップ選手を見ていらっしゃいましたが、今でいうならば前者がどちらかというと小塚選手、後者は浅田選手が近いように思います。
もちろん二人ともれっきとした日本人選手ですので、強いて分類するならばという話になりますが。
上記の佐藤信夫先生のお話とはまた違った観点で、具体的かつ細分して外国選手の談話も紹介しながら書かれている著書もご紹介しましょう。
以前にも紹介した本ですが「フィギュアスケート 美のテクニック」(監修:樋口 豊/企画・執筆:野口美恵/モデル:太田由希奈)より
「欧州と北米 ベーシックスキルは?」(P.67)
「最も古典的なフィギュアを伝統的に守ってきたのは欧州だ。古き良きスケートを重視し、コンパルソリーやエッジワークの練習を徹底している。
プログラムでも、正確なカーブに乗り丸いトレースを描くことが求められてきた。ヨーロッパのリンクに行くと、トップ選手が毎日2時間近く
フットワークの練習をしている姿を見かける。
中でもロシアは、正確なエッジワークを崩すことなく、バレエの動きを取り入れることを重視ししてきた。またフィンランドでは氷へのタッチが
柔らかな選手が多く育っている。ラウラ・レピストは「スケーティングは毎日重点的に練習します。氷を蹴らないで、滑らせて進むようにというのはよく
言われます」と、やはり滑りの大切さを強調する。
一方、カナダなど北米は、スピード感のあるスケーティング力を大切にしてきた。ブライアン・オーサー、カート・ブラウニング、ジェフリー・バトルらが
その代表。スピードの出るエッジの一点に乗り、のびやかで雄大な滑りを披露するタイプが多く育っている。
(中略)
誤解してはいけないのは、欧州・北米とも、最終的に求めるものはエッジワークとスケーティングの両方であること。どちらの視点からアプローチして
いるかの違いだ。このちょっとした味付けの違いを知っておくと、スケートがより深く感じられるのではないだろうか」
よく、欧州の選手がスケーティングの練習に時間をしっかりと割くというのは聞きますが(コストナー選手なども、一時拠点が同じだったナガス選手が
そのように証言しています)そう言われてみれば欧州の選手たちはスケーティングスキルが高い選手が多いような気がします。
ここで気になるのが日本のスケート論ですが、ロシアのミーシンコーチのようなメソッドを明確にしているコーチが目立つことはないので、いくらか
分かりにくいようにも思えます。ただ、前述の佐藤信夫先生は「スピードに勝る魅力はない」と公言しておいでなので、野口さんの分類だと
北米寄りの考え方に近いと思われます。
後は良くも悪くも派閥による考え方や教え方が日本においても千差万別なので混沌として見えます。ただ、あくまで私見ですが、日本では
スケーティングの質を上げることよりもジャンプの難易度を上げることに熱心な傾向があるように見えます。それは過去にさかのぼっても、
枚挙にいとまがないほどに優秀なジャンパーだった選手が多いからかもしれませんが、だからといってそれが悪いともいえないでしょう。
なんといってもいかにスケーティングがすぐれていたとして、ジャンプが壊滅的に決まらなければ結果はついてきませんから。
この辺にひょっとして、ISUが日本選手を煙たがる(というより、冷遇する)根源的な要因が隠されているような気がする昨今です。
とはいえ、シングルにおいては選手層が厚い日本ですから、それぞれ個性的な選手がいます。スケーティングの良さでいえばやはり小塚選手や浅田選手は
国際的に見てもトップクラスの選手であることは間違いありませんし、ジャンプに至っても決して劣ることもありません。
ロシアをみて分かるように、優秀なトップ選手をコンスタントに排出するのは至難の業ですし、ほとんど奇跡のようなものです。また、仮に出てきたとしても
ルールがこうもころころ変わるようではその余波に飲まれて沈んでしまう可能性もはらんでいます。
それならばどうすればいいのか。国レベル(スケート連盟)ではより多様な選手の育成を進めればフィギュア大国としての歴史をさらに刻むよい方途でしょうし、
選手個人では極端に偏りすぎない程度に留意しつつも、より自分の得意なエレメンツを特化して磨いていくのが近道でありましょう。
しかし浅田選手のようにすべてのエレメンツを見直し磨きなおすという選手は例外中の例外です。おそらく今後もまず出てこないことでしょう。
それは彼女が若くして五輪以外の一通りのタイトルを持ち、既に一定の評価を得てなお至上の領域へと踏み込もうとしているから挑めることです。
野口さんではありませんが、究極としてはすべてのエレメンツの完成度と芸術性を極限まで高めたうえで完ぺきな演技を披露できる選手を目指すのが、
全ての地域のみならずISUにぐうの音も言わさぬ方途なのであろうと思います。それこそリスキーすぎる方針でする。