一年前の今日、14時46分発生の大地震。それに伴い押し寄せた大津波のことを忘れる日本人がいるでしょうか。
今日を普通通りに過ごした人も多かったでしょうが、まともな感性の持ち主ならば黙とうをささげるなり、それぞれの方法で
犠牲になられた方々のご冥福を祈り、被災された皆様への思いをまた深めた日になったことと思います。
もちろん私もその一人です。
忘れてしまえるような軽々しい出来事ではありません。未曽有の災害は、悲惨な犠牲のみならずいろんな場面で人間の本質とは
何かを私たちに考えさせるものとなりました。
一年前の3月11日は金曜日、そして地震や津波が起きたのは午後でした。
11時過ぎまで停電が続く中、暗闇の中で恐怖と寒さに震えながら猫と毛布にくるまっていたことは鮮明な記憶として残っています。
そして突然復旧した電気で照らされたリビングで、何が起きたかわからぬままTVを付けて真っ先に目に飛び込んできた光景は、
気仙沼の大火事の様子でした。画面いっぱいに広がる真っ赤な炎。我が家の近くにある消防署や市役所から聞こえてくる防災無線や
サイレンの音とは違うのだと自分に言い聞かせても、恐怖と絶望感に苛まれ、ひたすら涙があふれました。
異常な外の様子におびえ切った猫は必死に私にくっつき、一晩中喉を一度も鳴らさずにただ呼吸を繰り返すだけでした。
TVを見るのが怖かったですが、でも目が離せませんでした。まさにこの世の地獄としか言いようのない絶望的な光景を残酷に映したTV。
しかし、本当の地獄は翌日以降に待っていました。
人災としか言いようのない原発事故。
我先にと必要以上に物品を買いあさる人々のあさましい姿。
隣国の人間性を疑うネット上の「祝辞」(注:誤字に非ず)
それでも頻々と垂れ流される大本営発表は「ただちに影響はない」の一点張り。
人は確かに毎日を少しずつ歩んでいます。しかし、先が見えず何の情報もわからない状況で、どうして頑張れましょうか?
それでもわれわれ日本人は、その誇りにかけて互いに助け合い今日まで生きてきました。全ての日本人が団結したとは
言えませんが、それでも各々できることを精一杯やってきたからこそ、今日があると私は思っています。
そして台湾をはじめとする、ほとんどの良心的な諸外国が救援を差し伸べてくれた御恩も、感謝と共に決して忘れはしません。
しかし残念ながら、1年前と比べてどれだけ最悪の事態は打開されたでしょうか? 前進できたでしょうか?
小さな地方都市レベルの行政やボランティア、ましてや個人レベルで出来ることは限界があります。
やはり国政がしっかりしないと駄目なのだと、嫌というほどこの一年で思い知らされたことでした。
非常時において一番大切なことは、本当に必要とする情報を明確に提示した上で、正しく的確な対処方法を国民に知らしめること、
そのようなリーダーシップと組織力だと私は考えます。
一年前から本日に至るまで、それが我が国にあったでしょうか? 率直に言って「はい」と言える国民は皆無に近いでしょう。
もちろん自助努力、近隣との共助も重要です。しかし、それだけでは駄目なのです。なにより重要な「生きるための情報」を握っているのは
情報を集約している(はずの)国のトップなのですから。
いまだ混迷が続く現状において、今後を見据えれば見据えるほどにこの思いは強くなるばかりです。
それと、蛇足かもしれませんが民放に多い傾向に一言苦言を申したく思います。
この度の大震災で被災したのは東北三県だけではありません。確かに被害が特に甚大だったのは福島、宮城、岩手でしたが、茨城や千葉でも被災し、
そして東京でも死者は出ました。埼玉でも一部地域が全半壊しています。栃木や群馬も無事とは言い難いでしょう。(追記:北海道の一部も被災しています)
また、翌日に起きたことですっかり影に隠れてしまいましたが、長野県も大きな地震に見舞われていることを忘れてはならないと思います。
東北三県の甚大な被害はもちろん急務として対処すべきですが、その他被災道県のこともゆめゆめ疎かにしてはならない。私はそう考えています。