1941年12月8日、朝のドラマも糸子の旦那さんに赤紙が来た
ところでした。
この日を忘れないために、新婦人の母親で毎年赤紙を配ります。
私はまだ一度位しか参加した事が無く、今日も仕事に追われて
参加できませんでしたが、寒い中駅前で仲間が配布したと思います。
チャイムが鳴るので出て見ると、夫さんの御帰りでした。
あまり早いので(いつもが遅すぎ)何もできて無くて大慌てです。
とても疲れているようなので先にお風呂に入ってもらいました。
この忙しい時に娘の所とはいえ、家を空ける事に気が引けます。
いつも12月から5月までは忙しくゆとりが無いのです。
そんな訳で簡単な日記となりました。
ところでした。
この日を忘れないために、新婦人の母親で毎年赤紙を配ります。
私はまだ一度位しか参加した事が無く、今日も仕事に追われて
参加できませんでしたが、寒い中駅前で仲間が配布したと思います。
チャイムが鳴るので出て見ると、夫さんの御帰りでした。
あまり早いので(いつもが遅すぎ)何もできて無くて大慌てです。
とても疲れているようなので先にお風呂に入ってもらいました。
この忙しい時に娘の所とはいえ、家を空ける事に気が引けます。
いつも12月から5月までは忙しくゆとりが無いのです。
そんな訳で簡単な日記となりました。