ゆったり日記

日々の生活を綴っています。

防災

2017年08月30日 17時10分17秒 | 日記

先日近所で防災の訓練があるというチラシが入った。

偶然何の予定も入っていなかったので行くことにし、水曜日がお休みのお隣さんも誘って、もう一人は、今日はお孫さんの子守の日ということで2人で出かけた。なんと5~6人しか来ていなかった。

話を聞くと、ビラは6千枚まいたという。何だか気の毒になてしまった。公園だったので親子ずれが3組ほどいて、一緒に参加してもらった。  消火器を使う訓練は何回もやってるので珍しくなかったが、防火水槽からホースを取り付け、水を使って消化する訓練は初めてでした。

公園には防火槽がないので簡単に取り付けられるものを持参してくれましたが、出来れば自治会等で買って下さるといいですね!にお値段を聞くと10万円ぐらいだと思います。と消防の人はさらりと答えた。

ホースの扱い方から器具の取り付け方を学び、車を家と見立てて消化。訓練だから落ち着いてできるが、実際に燃えてるところの消化は厳しそうでした。帰りに自宅近くに防火水槽がどこにあるのか見てみると、我が家は100m位離れたところにありました。             これを確認出来たのも良かったと思う。

お昼になっていたので、食事をしようという事になり、少し遠いが車で連れて行ってもらう。名前は知っていたが一度も入ったことがないところだった。5人ほど並んでいたがすぐ番が来ておいしいおソバをいただいた。

洋服がすごく安いところがあるんだけど、の言葉に誘われて行ってみると、本当に安いこと。信じられないくらいでした。中古の値段と言っても通るようなお値段で、思い切って洋服は3枚、その他雑貨を買って、外を見ると雨でした。

天気予報通りです。でもとても得をした感じです。女性ならではですね。

11月までに3回旅行を控えてるので、旅行も楽しくなりました。

明日で8月も終わりです。早いです。明日は久々のレッドアクション。

9月からまた忙しくなります。

             

 


すいとんを食べる会

2017年08月16日 13時51分34秒 | 日記

 8月15日、敗戦記念日の日、様々な思いを語り合う場にしようと、市の非核平和都市を勧める会(主催)と原水爆禁止協議会(共催)で毎年行なわれています。勤めていた時は、ちょうどお盆休みに入り、この前後で田舎に帰省していたので参加し始めたのは退職後からで、また、夫さんが働いているので休みを利用して出かけたりしていましたから、数回の参加というところでしょうか。

一部はすいとんを食べながら周りの方との話。自分が、親が、親せきが、戦争経験者であればその時の状況など聞きながら、味噌のすいとんと、お醤油のすいとんを味わいます。

二部は講演 竹峰誠一郎さん(グローバル平和研究者、明星大学准教授)

8月15日という日のとらえ方から始まり、核兵器禁止条約締結を中心に、核兵器問題をどう見据えていけばいいのか、日本社会に引き付けて考える。その時、日本は「唯一の被爆国」あるいは「唯一の戦争被爆国」という認識でいいのか、その延長線上で核兵器問題は十分とらえられるのか。問題提起してくれました。

確かに、核兵器=戦争=被爆国日本(広島・長崎)というのはある程度の年令の人だと分かります。私などもそんな一直線な考えのもとでヒバクシャ署名をしていたようなところがありました。

核兵器禁止条約前文に刻まれた「ヒバクシャ」の意味。

被爆者から「ヒバクシャ」へ、1977NGO被爆問題シンポジウム、もう一つの「ヒバクシャ」;世界の「ヒバクシャ」

被爆者、この字を使うようになったのは1954年のビキニ水爆実験・マーシャル諸島。から。

「唯一の被爆国」日本の幻想を超えて。では、日本という国家の枠を超える視野を持ち、核問題を見据える。ことの大切さがわかりました。地上で核実験が行なわれていたマーシャル諸島はじめ世界の植民地、そこには先住民がいました。戦争による被爆ではなくても、被爆者はたくさん日本以外にもいます。改めて核兵器禁止条約を読み直そうと思いました。             

 

 

 


法事

2017年08月08日 14時27分18秒 | 日記

6日、義母の一周忌でした。

ロスから次女も帰国していたので、我が家の2家族の交流をしようと、遠刈田温泉に宿を取り集いました。孫の男の子は3番目が2番目の伸長を超えていました。3番目はバトミントンを部活に動き回っているのに色は誰よりも白く、運動してるのにそれでいいの!みたいでした。

源泉かけ流しのお風呂はとても熱く、入り方に苦労しましたが、水で薄めながら湯船につかるということを聞き実行。確かには入れました。この熱さがいいとリピーターが多いそうです。お食事が凝っていて、一見何でもないような山菜を中心に小鉢に御膳一杯出てきて、これは何、これは何、と味わってるうちにまた新しい小鉢が現れ、とても楽しいお食事でした。

翌日は蔵王のお釜を見に行くことにしましたが、ふもとは曇っているので見れないことを覚悟で行きました。途中もきりで道が見えなくなるほどの時もあり、半ばあきらめかけていたところ、さ~と霧が晴れ太陽が顔を出してくれました。目の前には噴火した後のお釜が藍色の姿を見せてくれました。私は40数年前に長女が5歳ぐらいの時来たことがありましたが、年月を超えて感動でした。

そしてお寺さんへ

お坊さんの説法が笑いを誘いながらの一周忌。終わった後はみんなで玉子湯へ。

ここも20年前に義父の法事の後みんなできたところです。長女はかすかに覚えていました。来られない人も居ましたが21人で交流しました。子供の世代は遅くまで話し込んでいたようです。ちょこっとだけ今日は広島に原爆が落とされた日、と出ましたが、政治の話しはほとんどなかったです。安倍さんの話も少し出ましたが、皆,キライで終わりました。

次女は10日帰る日なのですが、急に京都に行くことになり、京都から羽田に向かうからと、夫の出かける時間にバイバイしていました。私の出かける時は、また来年5月頃帰ってくるは、と。慌ただしい9日間でした。次女らしいです。体に気を付けてね!としか言えませんでした。

今日は地域の夏の・お楽しみ会・9時に地域センターに集まり、10時から。私はワタ飴の担当でした。子供たちはワタ飴が大好きです。棒は危ないから付けず、ナイロンの袋に。休憩時、大人も子供に帰りましょうと、一袋を皆でちぎって味わいました。折り紙、輪投げ、あやとり、けん玉、昔やったものばかりです。