ゆったり日記

日々の生活を綴っています。

国会に行こう!30日

2015年08月25日 16時55分52秒 | 日記

望郷の鐘(山本慈昭・満豪開拓団の落日)山田火砂子監督。長野の住職、山本さんのお話し。1945年阿智村から満豪開拓移民の一団として、当時の国民学校の先生をしていた山本が子供たちの教師役として指名され、妻と2人の子供を連れ満洲に渡る。

渡満のわずか3か月後8月のソ連軍の侵攻で状況が一変。決死の逃避行の末、妻子と引き離され、シベリヤ抑留の身となり、終戦から2年後帰国。開拓団330名のうち8割が帰国できなかった事実を知り一軒一軒歩いて記録を取り「阿智村・満洲死没者名簿」としてまとめる。生存者の一人が息を引き取る間際、子供たちを中国人に託したことを告げ、そこから中国残留孤児と日本の肉親との再会に力を注ぐ。・・・・と言う内容。いい映画でした。

最初の出だしがいい。政府は時々嘘をつく。が私たちにはその嘘が見破られない。

だまされた方も悪いが、だまされないよう見抜く力を身に着けよう。・・・こんな感じの言葉だった。まさにその通りで、今国会で論争されている安全保障関連法案、質疑者が具体的なことを聞いても、きちんと答えない安倍首相。だまされないよう、見抜く力を身に着けなければ、と気持ちを新たにしてきました。

30日、皆で国会に行きませんか。霞が関辺りから人人の群れだと思います。皆思いは同じ、戦争反対です。個人参加者も多いです。気兼ねすることもありません。一緒に声をあげましょう。時間は2時からです。

 


戦後70年の区切りに

2015年08月16日 21時05分25秒 | 日記

日本武道館で行われた「全国戦没者追悼式」に姉と参列した。

前回の時は菅直人首相だった。今回は好きではない安倍首相からの招待状だった。私たちの2列前にご主人をなくされた奥様が車いすで来られていた。100歳だとテレビのニュースで知った。その方がインタビューの最後に、戦争は二度と起こしてはいけません、と力強く言ったのが印象に残った。

東京の席は3階。前と一緒だったが、前回の時は空席はなかった。今回はかなり空席が目立った。空席は東京だけではなかった。参列者が少なくなっていることの証だった。今回はひ孫以下の代までも参列を認めたようだった。小学生が献花をしていた。

1分間の黙とうの時、ふいに兵隊服に身を包んだ父親が脳裏に浮かんできた。私が知る唯一の父は、写真の父なのだ。何か不思議な気持ちになった。

安倍総理大臣の式辞があり、天皇陛下のお言葉があり、献花があって式は終了した。心に残るものは余りなかった。地方からこの式典のためだけに来た人たちのことを考えると、もう少し来てよかった、と思えるような追悼式にできないものかと思った。

この追悼式の1日前の14日、安倍総理は戦後70年の区切りとして安倍談話を発表した。「侵略」「植民地支配」「反省」「お詫び」などの言葉は入っているものの、お詫びは歴代内閣の立場を引用する形で、自身の言葉がなかった。あれも、これも入れ、ページ数は多かったものの、安倍政権の根底に侵略戦争を肯定、美化し、歴史を偽造する勢力によって構成され、支えられている政権だからではないでしょうか。

追悼式の式辞も心に残る言葉はなかった。


原水爆禁止世界大会はじまる

2015年08月06日 11時32分21秒 | 日記

黙とうしました。大会に参加している方はこの暑さ本当にご苦労様です。

式典は毎年ありますが毎年違いますね。今年の広島市長の挨拶もよかったですし、子供代表の挨拶もよかったです。

安倍首相の挨拶は「核兵器のない世界を目指す」と言いながら、核廃絶についてはコメントしなかった。冷めた目で首相の言葉を聞いてる自分がいた。

今年の原水禁大会は、戦後70年ということで広島でも、長崎でも大会を行う。派遣のためのカンパにも取り組んでいる。今年は組織から広島に2人長崎に中学生を含めて3人市からも3人が参加している。

暑いので体調を崩さないで戻ってくれることを願っています。

今日は朝から会議の予定が、一人広島に代表で行ったため会議は午後のみとした。平和行進から大会まで毎年の夏の行事です。

8月の最初の土日、長女の家族と那須高原に行った。孫たちも中学生が2人、高校生が1人と皆またたく間に大人の扱いとなり、入場券などはよっぽど興味があるところでないと入らない・・・・と娘。確かに、入っても興味を示さないと、てじかのゲームに講じてしまうようだ。分かる気がした。

宿泊先には、初日は2家族がいたが2日目は子供たちは帰り、私たち夫婦がもう1泊したが、来るはずのもう一家族は渋滞で観光バスに追突され、急きょキャンセルということで、温泉は貸し切り状態だった。

夫さんがまだ働いてるので、なかなか平日のすいた時に利用できない会員式の別荘だが、たまにはこんなこともあるのだ。

2日間ののんびりからまた都会の暑いところに戻ってきたが、今年は本当に暑い。

あまりの暑さに、戦争法案反対の宣伝行動も緩みがち。これでは政府の作戦に乗ってしまいます。また来週から身近なところで行動します。

戦争法案には断固反対です。