近くの駅を8時30分には出発し、目指すは富岡製糸場。
群馬から始まった日本の近代化。(パンフより)明治5年10月から
操業を開始しています。ここはあの女工哀史…とは無縁の技術支援者を
育てる為の製糸場でした。官営工場として操業され、民間に払い下げとなり
昭和62年3月操業を停止。
その後片倉工業㈱の所有となり、17年9月に富岡市に寄贈。
当時の面影をそのまま残しております。
繭から絹を取り出す工程の機械を見るとどうしても女工哀史を思い出し
てしまいましたが、繭で作った繭の花は優しい色合いと暖かさを備えた
素晴らしいお花でした。
絹のボディタオルを土産に買いました。
民宿もアットホームで居心地がよく又来たい声続出でした。
昨日は八方尾根をゴンドラで兎平まで行き眺めを堪能。
ゴンドラで登って行く間に霧が発生したので眺めは無理かと心配したが
その霧を抜けての高さだったので、空と山と雲が有って町を見下ろせ
景色が素晴らしかったです。紅葉もまずまずでした。
途中道の駅で持ち切れないほどの特産品を買ってみんなニコニコです。
象山地下壕は第二次世界大戦末期、軍部が本土決戦最後の拠点地として
極秘のうちに、大本営、政府機関等を松代に移す計画の下に象山等に
地下壕を掘削。象山地下壕は総延長5853mあり、そのうち500m
を公開しています。
あの物の無い時代に削岩機で岩に穴をあけ、ダイナマイトを仕掛け
後は手作業で、9000人の人夫の内3000人が朝鮮人で穴の最先端の
最も危険な所で働かされていたようです。
山は硬い石で1日1・5Mしか掘れなかったそうです。
ここの見学は2回目になりますが無駄な戦争の犠牲者となった人達に
頭を下げるばかりです。
月曜日とあって道路は空いていて助かりました。
バスから降りた時、皆、行きの2倍以上の荷物に買った物さえ忘れている人
もいて最後まで笑いが絶えない楽しい旅行となりました。
群馬から始まった日本の近代化。(パンフより)明治5年10月から
操業を開始しています。ここはあの女工哀史…とは無縁の技術支援者を
育てる為の製糸場でした。官営工場として操業され、民間に払い下げとなり
昭和62年3月操業を停止。
その後片倉工業㈱の所有となり、17年9月に富岡市に寄贈。
当時の面影をそのまま残しております。
繭から絹を取り出す工程の機械を見るとどうしても女工哀史を思い出し
てしまいましたが、繭で作った繭の花は優しい色合いと暖かさを備えた
素晴らしいお花でした。
絹のボディタオルを土産に買いました。
民宿もアットホームで居心地がよく又来たい声続出でした。
昨日は八方尾根をゴンドラで兎平まで行き眺めを堪能。
ゴンドラで登って行く間に霧が発生したので眺めは無理かと心配したが
その霧を抜けての高さだったので、空と山と雲が有って町を見下ろせ
景色が素晴らしかったです。紅葉もまずまずでした。
途中道の駅で持ち切れないほどの特産品を買ってみんなニコニコです。
象山地下壕は第二次世界大戦末期、軍部が本土決戦最後の拠点地として
極秘のうちに、大本営、政府機関等を松代に移す計画の下に象山等に
地下壕を掘削。象山地下壕は総延長5853mあり、そのうち500m
を公開しています。
あの物の無い時代に削岩機で岩に穴をあけ、ダイナマイトを仕掛け
後は手作業で、9000人の人夫の内3000人が朝鮮人で穴の最先端の
最も危険な所で働かされていたようです。
山は硬い石で1日1・5Mしか掘れなかったそうです。
ここの見学は2回目になりますが無駄な戦争の犠牲者となった人達に
頭を下げるばかりです。
月曜日とあって道路は空いていて助かりました。
バスから降りた時、皆、行きの2倍以上の荷物に買った物さえ忘れている人
もいて最後まで笑いが絶えない楽しい旅行となりました。
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