表題は柳澤桂子さんの“新刊”です!
“恋の綱わたり”←それは中村晃子→ならぬ“貧乏綱わたり”な最中なんですが、柳澤女史の本を見つけたからには買わないわけにはいきません。と言いつつも、前作“般若信教”をモチーフにした詩集は買わなかったんだけど(爆)・・・現在は宗教色がある本は興味が無いので。←宗教臭さは無かった本だったけど←科学的視野で翻訳したような書物です。
今度の新刊も“生と死”を見つめて書かれたものですが、本来の柳澤女史の土壌の視点に戻ったものでしょうかね~彼女のキーワードに“ロハス”“癒し”“闘病記”を当てはめる人が多いんだけど・・・俺にはびっくりな事です。女史は純粋に“生命科学”を紐解こうとしているのに・・・
タイトルの書籍は、内容的には人の身体の中の細胞を、科学者の目で解りやすく解説している感じで、彼女がこの数年で取り組んで“本”として発表してきたモノと同じ趣向です。
現代科学の世界ではこの10年で“遺伝子⇔DNA解析”の大きな進歩は目覚ましいモノがありますが・・・医学/病院では“遺伝子治療”も行われるようになり、親子鑑定の決め手としてもお馴染になってますよね。警察では犯罪捜査の決め手に利用もされています。
けど、まだまだ謎ばかりなのも事実です。
さて女史は、細胞を顕微鏡で覗きながら生命の起源を辿り・・・同時に“死”と言うモノを見つめてきたわけですが・・・器官や臓器の一つ一つに各々役割があって、身体の中でそれぞれが小さな活動を繰り返して“個体の生命を維持”しているわけですが、その臓器を構成する細胞は、皮膚の新陳代謝のように毎日新しい細胞が生まれ、古くなった細胞は死んでいく・・・ミクロの世界を突き進んでいくとおびただしい細胞の死と誕生を目の当たりにした・・・って言うような着眼点ですね。
人は“個体”として生きているものですが、心臓と脳・・・その一方が傷付けられたり損傷すると“個体”の生命が停止してしまう危険にあり・・・他の臓器の損傷も命を落としてしまうかもしれない非常にデリケートな“生き物”と言えるかもしれません。
でも意識や意志や心は目に見えるものではありません。思考や行動は脳が制御している所までは明らかにはなってきていますが、人の個体のどこに“命”が宿っていると言えるのでしょう。科学にはその解答はないのです。←哲学・宗教・科学が三つ巴になって境界線が曖昧な部分
細胞にも・・・幹細胞、単細胞、生殖細胞などの種類があって、それぞれ様々な歴史がある。現在人が生きる為には“酸素”は欠かせないものだけど、細胞の進化の歴史の中で言うなら、太古の昔は当時主流だった細胞群にとって“酸素”猛毒だったんです。細胞が生きていく為には突然変異をする事で、酸素を味方につけるしかなかった。その時生き残った細胞の子孫が現在生きている“我々”(生物)と言えるのです。細胞がどんどん取り込まれ、より複雑に進化していくにつれ、DNA配列も複雑になって長くなっていった・・・いつしか細胞は古代魚→両生類のような“個体”になり、海から陸に上がり・・・個体の中の細胞は、個体が誕生して死を迎えるまでずっと量産され補充/廃棄を繰り返すわけで、生きている固体の中では大量の細胞死が続いていた・・・
どう?不思議で面白いでしょう?今作は“我々はなぜ死ぬのか”と言う彼女の書物に近い内容で、個体の死じゃなくて細胞活動の生と死を、物凄く丁寧で理解しやすい文章で表現していました。まだ1/3しか読んでないんですが、気軽に読める“エッセイ”なので、是非多くの方に手にして頂きたい本だな~と思いました。
なんだか・・・この本で言う所の個体が“地球”或いは“日本”と置き換えると・・・政治的しがらみや癌細胞はどいつだ?っと・・・考えずにはいられなくなっちゃった(微笑)まずは狂牛病の異常プリオンを身体に取り込まないように厳重に注意しなきゃ・・・(笑)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます