2020年、COVID-19/新型コロナウイルスが世界中に拡がって…、病院や介護施設はピリピリムードに変わっていった。levie母が通所デイサービスを利用するようになったのは17年の3月の事だった。その頃はlevie父はまだわりと元気で庭いじりをしてたし、足腰の弱さを補う為にも、毎日ではないけど30分くらいの散歩に出掛けていたんだけど、20年の3月に転んで左大腿骨大転子を骨折してオペ入院…。コロナで家族でさえ病棟へは上がれず、外来受付で病棟看護師を呼んでもらって洗濯物等の受け渡しになり、どんな様子かは口頭で教えてもらうだけになった。顔を見れたのは3週間後にリハビリテーション病院へ転院する時で、その後はリハ病院を退院した2ヶ月半後まで1度も面会出来ず…。levie母は約3ヶ月顔を合わせなかったけど、話をしようにもすぐにふて腐れて不機嫌になったり、怒り口調になるlevie父の顔を見なくて済むし…、いちいち気を揉まなくて済むからと平然と構えていた感じだったな~(微笑)たかが骨折で命に関わらないと思ってもいたんだろうけど…。高齢で入院で面会すら出来ないのは痴ほう症が進みやすいと聞いていたから、やだなぁって思ってたlevie兄妹であった。
けど実際、家に居なくても特には…(爆)levie母もお気楽な感じだった(微笑)時たま…元気なのかね??…って話してたけど(苦笑)しかしぃ、退院してきたら確実に要支援か要介護1か2にはなるなと身構えてたら…、levie母と同じ要介護3と認定されてしまい、levie母のケアマネさんがlevie父も担当してくれる事に…(苦笑)levie父はコロナ禍になる前から…、正確には実兄が他界してから気力も体力も低下して、腕を粉砕骨折したり、持病の糖尿病腎症も経過が怪しくなってもきてて、見守りというか監視というか、あまり目が離せなくなってきていた。そんな最中のまさかの左大腿骨骨折で、W介護になったのだった。
家の中では歩行器、そとは車椅子が必須になったlevie父、家も外も車椅子のlevie母…。元々の主寝室の和室にlevie母の介護ベッド、隣の和室の居間、トイレ行く際に最短になるようにlevie父の介護ベッドを配した。まだlevie父はヨタヨタと歩けはしたけど、つかまり立ちしないと危険だったし、levie母がつかまり立ちできるようになった時の為にトイレには手摺を設置してあったから、襖を開け、歩行器で数歩でトイレのドアに手が届き、身体を反転させて便座に腰掛けやすいようにと…。歩行が厳しくなったとはいえ、さすがにトイレにまで張り付かれるのは嫌だろうしね…。←ベッドサイドからトイレは2mちょっとかな←歩行器なしで危うい歩きをする事が度々あった
w介護とは言え、小脳出血で左半身の麻痺と、連動する動作の運動機能に障害が残ったlevie母と、大腿骨骨折のlevie父では、手助けに必要な事、介助/世話の種類というか内容が違う。移動の際はlevie父はそばで見守り、levie母は移乗は見守りで車椅子を押す…。何かで同時に呼ばれるとlevie妹もいてよかった~と何度か思った。この時levie父は、着替えやズボンの上げ下げはまだ自力で出来てたから手がかかってはいなかったけど、21年11月末に右大腿骨転子部骨折をしてからは、家の中でも車椅子が必須になって、着替えが思うように出来なくなり、トイレにも行けなくなって、24時間紙パンツ/オムツになった。
levie母は何かあれば…“ちょっと頼む~”…って言ってくれて介助に協力的というか、手を借りる時は素直に相手に従う??というかで、levieが嫌な気持ちになるような事は殆どなかったな~。levie父とは最後までガシガシぶつかってた感じだなぁ…(爆)
一人(子)が二人(両親)を介護する…W介護…をしてる人は多いと思うけど、平常時でも大変だと思うよ。両親の何かのタイミングは別だし、自分が休める時間も必要だし、デイへ預けても自由や暇になるわけじゃないから。デイへ行ってる隙に家事やら役所やら、やる事はあるんだから。子供がいたらまた違う話にもなってくるし~、どんなに軽くても介護経験のない人には解らない話だな。
コロナ禍のW介護と言っても、家では普段の平常時と変わらないやり方と接し方をしてたな~。デイサービスに行く日は検温で当人が37.5度以下である事、家族に熱発した人がいない事が条件となったくらいで、表向きにもまぁ普通な感じだったかな~??迎えの車に乗る時にマスクと手指消毒はしてたけど…。コロナ判定、PCR陽性、次第でどうなるかって、不安に思っていた人は大勢いるよね。社会的に…感染しない…、させない、のが大前提になったしね~。我が家でも最初は気をつけるようにしてたけど、家族内ではずっとノーマスクだったし、車椅子移乗やトイレ、着替えなどの介助の際でも普通に素手で接してたし、外出する時だけマスクをするだけで、それ以外はコロナ禍前と変わらない普通の介護/介助だった。重曹液を噴霧する頻度もその時々に応じてって感じだったかな…。
我が家の場合、levie母もlevie父も、熱を出したり風邪引いたりって事はなかったからよかったのかもしれないな。levieもlevie妹も風邪などで体調を崩す事はなかったし。21年初頭には、自宅内は適度に掃除する程度であまり気にしなくなってたなぁ。親戚などの来客がマスクをしてても我が家はノーマスクだったし、その時だけ玄関と廊下に重曹液や消毒をちょっと、形だけの噴霧をしてた(微笑)だってPCR検査の陽性だって杜撰でいい加減なモノで無意味とされ始めてたしね。逆に気にしだしたのがデイ施設の…シェディング…の影響だったな。
至って普通の介護生活を続けてたけど、そこで帯状疱疹とか謎の湿疹に疑念を向け始めた感じだったな。コロナワクチンを接種した人、コロナ陽性の判定を受けた人の、介護/介助、は不安や苦悩も付き物だったのかもしれないけど、我が家にはそんな不安や苦悩は無かった。levie父がシャントオペ入院する際とか、右大腿骨骨折でオペ入院する時とか、PCR検査を受けねばならなくなって会場に連れてく際に面倒臭さを感じたくらいだったな。病院によって微妙に流れが違ったし、タクシーの手配も制限がかかってたし。
あっ、levie母の行ってたデイ施設でコロナが出て、3週間くらい行けなくなった事はあった。levie母的には長期休みで自由時間が増えた事を喜んでたけど(微笑)levie父のデイ施設ではそういう事はなかった。もしかして、狙い撃ちされたかなぁ??。コロナのクラスターの出方というか、流行り方がなんか変だったよね。擬陽性にされた人ばかりだったって事だね。一方で、本当に味覚が無くなったり重い症状が出た人がいたのも事実になるけど…、今考えても、我が家に於いては特に不自由さや介護で弊害みたいのは特には感じなかったかな~。levie妹と二人で接してたから苦でもなかったし、1週間単位でそれなりに規則的な日々だったし。←単調な日々にはなってたけど(苦笑)
介護/介助って、疾患によっても世話を焼く事が違ってくるし、当の本人がどれだけの事を自力で出来るのかでも、手を出す事は変わってくるけど、トイレ介助、オムツ交換が、介護する人にはいちばんキツいかね~、それについてはまた別に書こう。
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