●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

教えて下さるイエスさま

2007年11月24日 | 思うこと
毎日、いろいろなことがありますね。良いと思ってしたことが大失敗だったり、残念だとか嫌だと思ったことが、恵みだったり…。

昔は日々の出来事を、何気なく「嫌だった」「楽しかった」「面白かった」「辛かった」…と、簡単に片付けてしまっていました。
でも最近は、失敗したことの中にも「私は何をどう間違っていたのか?」を、ゆっくり考えていると、イエスさまが教えて下さいますね。聖書から…牧師先生のメッセージから…日常の出来事などから…。

責めておられるのではなく、私の成長のために指導して下さっているようです。
そして、次の機会には人を傷つけたり、間違えたりしないようにとの心使いを感じます。

以前は、失敗したり叱られたりしたら、訳も分からずにひたすら反省して、留まることなく落ち込んでいました。
そんな時には、反省しているものの意味は全く!分かっていない事しばしばでしたから、ひとつも益する所はありませんでした。自己嫌悪では成長しません。ただただ、セルフイメージが下がるのみです。

昔、娘が小さい頃に息子が悪い事をしたので叱っていました。すると娘が涙ぐみ…
「ごめんなさ~い(;_;)」
と言ったのです。小さい娘は、お兄ちゃんの変わりに謝ったのではありません。自分が叱られたと思ったのです…が、何で叱られているのか?知らないまま、お母さんが怒っている時には「ごめんなさい」と言うものだと思っていたようです(苦笑)。

私も全くこの場合と同じく、失敗や叱責に対して「なぜなのか?」と言う本質的な事など、理解する余裕もなく逃げて事を終わりにさせていました。
よって結果は、散々な経験を積む事となりました。

しかし今は、イエスさまが「どんなに愛して下さっているか…」を知っているので、安心して自分や出来事を見つめる勇気が与えられました。
ゆっくりゆっくりですが、教えていただける幸せを感じています。
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すべてのことは許されている。
しかし、すべてのことが益になるわけではない。
すべてのことは許されている。
しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。
だれでも、自分の益を求めないで、
ほかの人の益を求めるべきである。
(Ⅱコリント10:23~24)