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そうですね~もう十数年前の事でしょうか?
私は、捨てられたと思いました。
人にも捨てられたけど、神さまにも捨てられたと。
それも仕方のない事だと、すっかり諦めていました。
私は、捨てられても当然の人間だと思いました。
それ程、私は救い難い悪に満ちた人間だと思い知りました。
救われるはずもない、捨てられて当然の私。
突きつけられた現実は、厳しく無情でした。
私は、やっと神さまに対しても人に対しても黙りました。
弁解する言葉も全くなくなり、神さまにも顔を上げられません。
ただ、悲惨な現状を認め静かに黙るしかなかったのです。
もう私は自分を救おうとはしませんでした。
捨てられて当然だと悟ったからです。
その時がいつだったのか分かりませんが、
ある瞬間、ふと「愛されてる…」と分かったんです。
静かに思いました。
「なぜ愛されているんだろう?」
私は愛されるはずないのに。
この静かな気持ちは何だろうか?
それから、ある聖書の言葉が心に浮かびました。
「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
(マルコ15:34)
あ~私が捨てられる代わりにイエスさまが捨てられたんだ!
本当は、私が捨てられるはずだったのに、
イエスさまが捨てられて下さったんだ!
と、頭では知っていた事実を初めて本当に知りました。
多分、それが私が最初に本当に十字架を知った時だったと思います。
クリスチャンになって随分と経ってからの十字架体験でした。
その後も、ゆっくりした歩みですが、あの日があったから、
今のクリスチャン生活があるのだと感謝しています。