(マルコ7:28)
すると女は答えて言った、
「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる
小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」。
以前、私が教会にも行けず、一人で孤独になっていた時に、
私が、イエスさまの前に出る拠り所は、このみ言葉でした。
私は、クリスチャンとも言えない、相応しくない人間だ。。。
私は、特別にダメな人間で、神さまだって救いようがない。。。
私には、もうさすがの神さまも救いの手は下さらない。。。
そう本気で思っていましたが、何としても憐みが欲しかったんです。
それでも尚、神さまの憐みなくして生きていけないと思いました。
そんな時に、心に浮かんだみ言葉は、
「子犬でも、パンくずはいただきます」と言う、この女の信仰の言葉でした。
「そうです、イエスさま。私は相応しくないけど、憐れんでください!」
「食卓から落ちたパンくずで結構ですので、私に憐みをかけて下さい!」
と叫びにも似た、祈りをしていました。
その時が、いつだったか?どんな場面だったか?覚えていませんが、
そののちに、神さまは本当に憐れんで下さり、教会に帰る道を備えて下さいました。
それは、いくつもの偶然?必然?があった不思議な導きでした。
「あ~~イエスさまは、本当にこの祈りに答えて下さったんだ!」
と、今もこのみ言葉を見る度に感謝が沸き上がります。
そして、このへりくだった信仰こそ、
神さまが私に求めていらっしゃったものだと知りました。