
(伝道者の書7:16)
あなたは義に過ぎてはならない。
先日、あるクリスチャンの友達が、
ノンクリスチャンのAさんについて言いました。
「Aさんは、因習の深い地域に住んでおられるからイエスさまを信じるのは難しいと思ったけど、
はっきりモノを言う人みたいだから大丈夫かもしれない。」と。
私は、その言葉を聞いて「義憤」を持ちました。
いやいや、因習の深いところに住んでいる人でも、神さまは救うことが出来るよ!
それどころか、イスラムからでも仏教のお寺の息子さんでも、ヤクザでも、
神さまは救うことが出来るんだから!
それに、はっきりモノを言う人が救われる訳ではなく、言えない人でも救われるよ!
イエスさまを信じれば良いんだから。。。
と、なぜ私が敏感に反応したかと言うと、以前にも同じような言葉を聞いたからです。
数年前にBさんが洗礼を受けられたのですが、その後しばらくして教会に来られなくなりました。
そのBさんについて、彼女は言ったんです。
「Bさんは、最初から教会には好意的じゃなかったからダメだと思っていたよ。」と。
いやいや、私たちの大先輩であるパウロは、教会が大嫌いで迫害してたじゃん!
あなたは「神」ですか!!!
と、凄い腹が立ちました。
とは言っても、彼女は悪い人ではなく、どちらかと言うと良い人なので、
私も、いくら腹が立っても、「義憤」だと思っても怒った訳ではありません。
「あの人は、救われるとか救われないとかは、言わない方がいいよ。」と言っただけです。
人間的に良い人でも、心のうちに「自分が神」になる性質(罪の性質)を持っているんですね。
私は、「我」が強くて、自分勝手なタイプだったので、その性質は分かりやすかったのですが、
人間的に優しい人や穏やかな人は、それに気づきにくいかもしれません。
次の日の朝。
お祈りしようと座った時、神さまが私にちょっと教えられたっぽい。
「たとえ、あなたが正しくても、『義』をもって人に接してはいけないよ。
ただ覆うように愛しなさい」・・・と。
その友達の言葉には同意しないけど、覆うように祈り、愛そうと決心しました。