●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

真の礼拝者

2017年04月06日 | 思うこと





このところ、ひと月くらい毎日バタバタしていて疲れてしまいました。

それもあってか、今週の日曜には礼拝をお休みしました。

日曜の朝には、嫌な気分が抜けなくて、思い切って休むことにしました。

ただ、以前なら「教会を休む」って事だけで(理由は関係なく)、

良心が咎めて、次の日には更に具合が悪くなるパターンがしばしば。

でも、この良心は私のためにある愛ある良心ではなく、

過去の自分が複雑に絡み合った、所謂押し付けられた良心です。

なぜなら、時々咎めなくていい事までも咎めが来るからです。

例えば、私とは関係ない人の事についてまで咎めたりします。

なので、この良いと思われる「良心」さえ聖められなければならないようです。





しかし、今回お休みした事については、良心は過剰反応しなかったのか?

次の日には、また元気になってバタバタしてました。

そして昨日…久しぶりの友達とお茶して楽しくいろいろ話した後で、

帰ってから買い物に行って、花を植えて、お風呂掃除をしてから横になったら、

「つっつかれたーーー(_ _).。o○…

休ませて下さい…」

と、心の奥底が叫んでいました。

でも次の日にも、私は予定を入れていました。

大切な人と会うんだから絶対に「いい事」だと思って。





しかし、今朝起きたら疲れで頭痛はするし、身体中は痛いし予定はキャンセルしました。

そして心の本心から祈りました。

「イエスさま、疲れました。

ごめんなさい。疲れました。」


すると、神さまはこんな風に言っておられるように感じました。

「わたしは、真の礼拝者を求めているよ。

ヤコブが杖に寄りかかってわたしを礼拝したように、

真の礼拝者を求めている。」と。



「信仰によって、ヤコブは死のまぎわに、ヨセフの子らをひとりびとり祝福し、

そしてそのつえのかしらによりかかって礼拝した。

‭‭(ヘブル人への手紙‬ ‭11:21‬ ‭)




私は、自分の基準で「いい事」と思われることをやってた時に、


(もちろん、その事自体は大事なことだったと思います)


イエスさまは、真の礼拝者を求めておられたのです。


今、主を礼拝します!