アップルのスティーブ・ジョブズさんが亡くなった。
僕がMacと出会ったのが1989年、当時、僕は友人と2人で会社を興した頃。
もう自分一人で会社をする限界を感じていた頃、
彼から声をかけられ初めて共同で株式会社としてスタートした。
スタッフは多い時で8人、僕にすれば大所帯である。
相棒はちょうどスティーブ・ジョブズのようにアイデアマンで行動派だった。
昔、彼が缶に入ったお茶を販売したいと、その缶のデザインを僕に依頼してきた。
「お金出してお茶なんて買いますか?」と僕があたり前に言った時代。
当時、発想が早すぎたようで、しかも個人では販売経路も広告も難しかったようだ。
それから2年後、1981年大手メーカーが缶入りウーロン茶を大々的に売り出した。
彼の当時の発想は今現実になったものがたくさんあって驚かされる。
10年早かったんだ。
1989年その彼と会社を始めてすぐ。
まだパソコン自体出だした頃、
Mac使うとデザインだってできるらしい、取入れようや、と彼が切り出した。
これからは何でもパソコンの時代や。
この机の上の乱雑なものが全て無くなって、机の上はパソコンだけですむ。
今でも彼の当時の先見には感心する。
「線は引ける、文字は書ける。でも、鉛筆で書いたり、消しゴムで消したり、
そんな気ままな作業が機械のパソコンにできるようになる?
無理やろ。机の上の消しゴムが消えると思う?」
と僕が揶揄したのを覚えている。(数年後、それが現実になったんだよね)
とはいえ、新し物好きの僕も賛成して購入することになった。
かじったリンゴのマーク。
当時、好きだったビートルズのアップルレコードと重なった。
パソコン自体が良く理解出来ていなかった時代。
僕の頭の中はアップルレコードが何かしているんだろうと思っていた。
当時、キザギザの印字しかできず、ハガキの大きさの
デザインらしきものができるパソコンが、プリンタなど入れて400万円した。
購入後、デザインらしき物をしたのは数点のみ。
ほとんど、スタッフでゴルフゲームをする玩具だった。非常に高い玩具だ。
その後、漢字Talkから画期的に変わった漢字Talk7、そして現在のOSXまで。
僕はこの業界でもかなり早い時期から、パソコンで仕事をしている。
Macには沢山いじめられ、泣かされ、何度寿命を短くされたか。
だけどこのセンス、全てが素晴らしい。パソコン嫌悪症の僕だが、
Macとは仕事上の腐れ縁だ。離れられない。
iMac、iPhoto、iTune ネーミングデザインとも先進的だ。
今もパソコンにはうんざりしているけれど、
Macの魅力には脱帽である。
やっとアイコンがでてWindowsも追いついてきたけれど。
昔は、なんでわざわざ時代的なシステムで動くWindowsが売れて、
Macが少数派なのか解らなかった。
スティーブ・ジョブズなかなかのものである。
以前膵臓がんで退いた時、残念に思ったものだが
再び戻ってきてヒットを連発し、病気のことなど忘れていた。
彼はソニー創業者の一人で「ウォークマン」などを世界に売り込んだ
故盛田昭夫氏に影響を受けたらしい。それも僕には誇らしくもある。
ずっとまえ、ニューヨークに行った時、夜テレビを見ていたら、
盛田昭夫がインタビューを受けている番組があった。
彼は英語と日本語(もちろん英語の字幕が出ていた)と両方で
ゆったりとしたソファーに座り、堂々と話していた。
彼が日本語を話す時だけ内容が解るのだが、それでも
あの当時、彼がアメリカですごく尊敬されているのが実感できた。
とても、日本人として先進国アメリカの地で誇らしく思ったものである。
アップルの取締役会とアップル・コミュニティーへ(全文)
私はこれまで、アップルのCEOとしての責務や期待に応えられない日が来たときには、
まず自分からあなた方に打ち明けると言ってきた。残念ながら、その日が来てしまった。
これにより、私はアップルのCEOを辞任する。取締役会の承認が得られれば、
私は取締役会長や取締役、アップルの従業員として従事したい。
後継者については、事業継承の計画を実行し、ティム・クックを
CEOに就任させることを強く薦める。
アップルの未来は明るく、とても革新的なものだと信じている。
私は新しい役割において、その成功を見守り、貢献するのを楽しみにしている。
私はアップルにおいて人生で最も大切な友達を得た。
あなたたちと共に長年働くことができたことを感謝している。
スティーブ (2011年8月24日)
合掌