日々Change。今日の怒りも、恐れも、悲しみも、明日は夢と希望と喜びに。

少々高くても、日本の商品を買いましょう。力を合わせて日本の復興のために。

桃旗、ただ今妻の実家に帰省中。その3、194号線仁淀川。

2011-12-30 23:49:55 | その他
2011.12.30

大三島からしまなみ海道大橋に入った。
フェリーで今治まで行き、走るよりも大三島に遠回りしても
かなり早くなる筈だ。

四国に架かる3路線の橋の中で、このしまなみ海道が一番美しい。
フェリーを降りてから高速に入る大三島ICは島の一番反対のところにある。
しまなみ海道の大三島はちょうど真ん中あたりなので、
ドライブもたっぷり楽しめる。

大三島橋(大三島ー伯方島)~伯方・大島大橋(伯方島ー大島)
~来島海峡大橋(大島ー四国・今治)
少しガスったような、幻想的な橋の上の景色が走り去って行く。
気持ちいい。思いっきりアクセルを踏み込んでいる。
145km。この車で出した最高速度。
これで車がスポーツタイプだったら最高なんだが。
なんせ、風切り音が安っぽいバンのような感じだ。



ハンドルにデジカメを載せて適当にシャターを切る。
新婚旅行でサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジを通って、
3っの大橋を渡って、またSFまで1周回ってきたことがあった。
嬉しくて、興奮して真っ赤な橋を眺めながらゆっくり走ったな。

今治に入ってしばらく行くと196号線に入った
この道の前方に石鎚山の連峰が見える。
穏やかな普通の山の後ろに、薄紫がかった荒々しい岩の山が
異様な質感で迫り来る。





富山から見える立山連峰のようだ、感動的。

残念ながら、信号待ちで取った画像を確認するが
この迫力は写らない。何度もシャターを切るがとれない。

194号に入って山越えだ。後、約60km。
寒風山トンネルに入る。約5.5km。
日本の無料で走れるトンネルとしては最長の長さである。
名前を聞いただけで寒い。
ほとんど直線のトンネル、130km駆け抜けた。それでも長い。
(後で義父に聞くとスピードの取締を頻繁にしているらしい。)

この山道に入ってから、寒風山あたりから距離にして30km。
何処まで走っても車に出会わない。すれ違った車は2台だ。
このカーブのきつい山道を平均時速100kmで走りまくった。
まるで、ラリーだ。
吾北地区を過ぎたあたりからやっと車を見るようになった。
お店が現れ、仁淀川に架かる橋がきれいなイルミネーションで
飾られている。大きな建物(後でシルバーセンターと知る)も
側面をきれいなイルミネーションで飾られていた。

真っ暗なだけにホントにきれいだ。
川幅が広いので、LEDもかなりいるだろう。
貧乏な自治体なのに日本の不思議だ。

この辺りで少し休憩したので、実家には7時頃に着いた。
ボンカレーのような懐かしいカレーが出てきた。
美味しかった。義父、義母、義弟、妻、みんな元気そうだ。

        ■

2011.12.31

皿鉢料理が大晦日の夕方に届いた。
生ものなのでお正月前だが皆で頂いた。

鉢は一の鉢、二の鉢、三の鉢とあるのだ。
それぞれ、中味がみんな違うということだ。
海老、カニ、お寿司、普通のおせち料理に入っているもの盛りだくさんだ。

更に、鰹のたたきの鉢。
マグロのさしみの鉢。義父さん、はり込んでくれた。

写真はいつものように食べてしまって、
あっ、写真!ということで、それぞれ2皿を集めてもらって、
なんとか撮影。やれやれ。






産まれて数カ月だけの故郷。大崎上島。こんな偶然が。

2011-12-30 21:13:27 | その他
僕の故郷、大崎上島は潮待ち風待ちの島と言われる。
昔の船は、司馬遼太郎の菜の花の沖などを読むとよくわかるが
帆が一つなので、風の向きや潮の向きで走らないのだ。
だから港でその潮や風を待たなければならない。


実際、風待ちの偶然ですごい話がある。

7年ぐらい前。
僕のお金持ちの友人がヨットを買い換えた。
そのヨットが九州にあって飛行機で取りに行き、
瀬戸内を航海して大阪までクルージングするという。
6日ほど日にちがかかるのだけれど、僕は仕事で休めず行けなかった。
このことはいまだに残念でならない。

僕の娘が行きたいと言い、彼の4人の子供たちに交じって行くことになった。
関空で片道の飛行機代を渡したが、後で娘がVIPルームで何とかかんとか。
まさかファーストクラスに乗せたんでは?内はそんなお金ありません。
知らんぷり。それはいいんだけど。
ヨットはキッチンもトイレもついていて6人ぐらい寝れる船だ。
乗るだけなら10人以上乗れるぐらいのヨットで
夜はどこかの沖合に停泊して眠るのだ。

九州出航3日目ぐらいに(行く前日ぐらいから気になっていたが)台風がドンピシャで
瀬戸内海に向かってくることがわかった。
僕は大阪で心配だったが位置がはっきりわからないのし、どうにもならない。

ヨットは転覆しても復元するように底にキールというのが付いているので、
水深の深い港でないと入れない。
彼は港で非難すべく、海上保安庁や警察に問い合わせていたようだ。
やっと見つかった水深の深い港に避難してから、僕に電話をしてきた。

彼の話からどうも僕の故郷の島じゃないかと思いだし、
彼に島の人に聞いてもらうと、本当にそうだった。
なんという偶然だろう。たくさんある瀬戸の島で僕の故郷に入るなんて。

それも少し意味が違うが、風待ちの島に台風のかぜよけに。

予定ではその島の側を通ることもなかったんだから。
台風が招いた偶然。
島にいる叔父さんに電話をしたら、足が悪くて訪ねて行けないと。
友人も偶然を喜んでくれて、次の日娘を唯一島で知っている
父の弟の家に連れて行ってくれた。

今回亡くなった叔父さんだ。娘はほとんどあったこともなく、喜びもなかったが。

船大工のおじさんはもう船を作っておらず、
昔、僕たち甥に1台ずつ作った小舟を友人にヨットで引いて、
もって帰りなさいと言ったらしい。

友人は問い合わせてきたが、もらって帰っても繋いでおく所もなく
使うこともないので断った。
そうなんです。この船大工の叔父さん、
当時、大阪の兄の子供4人に(5人兄弟だけどその時は4人)
1台づつ一人乗りの小さな船を作ってくれたんです。
夏休み、田舎に帰った時乗った記憶があります。
少しの波でバランスを取るのが難しく、
みんなあまり乗らなかったと思う。
今でいうカヌーぐらいの大きさ。和船のシーカヌーと言えるかな。

子供2人を僕は田舎に連れて帰ったことがなかった。
だから、神さんが娘を連れて行ったのかもしれない。
この偶然の話。僕はとっても気に入っている。

桃旗、ただ今妻の実家に帰省中。その2、大崎上島。

2011-12-30 20:51:41 | その他
2011.12.30

いよいよ、32年振りの故郷だ。と言っても、
物心ついて1年以上も住んでいればもっと感慨深いだろうが。



漁師の船に乗せてもらって島に渡っていた時、
おじいちゃんが昔は海賊が出てよく襲われたと言っていた。
そのために船でおかゆを炊いておき、
近づいたらそのおかゆを海賊にかけるんだという。
お湯と違って体にまとわりつくから、おかゆの威力は強いんだ。
という話を聞いたのを思い出した。
小学生前の話だ。よく覚えていたもんだ、印象に残ったんだろう。

船べりに座り、手を海につけて波を切っていると、
サメに手を食われるよ、と脅かされたことも思い出す。
怖がりの僕はあわてて手を引っ込めたが、
実際にそのあと、すごい偶然だと思うが小さなサメがいたことがあった。
あれからいつも、サメがいるんじゃないかと思うようになり、
底の見えない深い海が怖くてしょうがない。


四国に渡るには3つの橋のルートがある。
明石大橋、なると大橋の淡路島ルート。
昔の宇高連絡船に近い瀬戸大橋ルート。
そして、広島、愛媛の瀬戸内海の小島をつないだ
しまなみ海道ルート。

私の故郷は一つ西にずれてしまって、ルートに入らなかった。
海賊の島とおじいちゃんに聞いた、お隣の大三島がルートに入った。
この辺りは無人島が多く、大きくなったら自分の島を持ちたいな。
なんて思っていたものだ。乗せてもらった船で無人島が見えると、
あの島には小さな砂浜があるから、あれがいい。
あの岩の端に家を建てて、浜まで階段をつけてなんて空想したものだ。
実際あの頃、俳優の森重久弥が瀬戸内海の無人島を買っていると聞き
あこがれたものだ。



港が見えたが面影もない。しかし、気持ちは感慨で一杯だ。
島に着いたが全く分からない、フェリー乗り場のおばさんに
お年寄りなんで知ってるかと叔父さんの名前を言った。
やっぱり想像通り知っていた。
わりと大きな島だが、名前を言えばわかると思った。



らしきあたりまで車で行ったが、わからない。
できるだけ古いお家の数人に聞いて何とかたどり着いた。

何度呼んでもおばさんは出てこず、テレビの音が聞こえるので
遠慮なく家の中に入るとおばさんはこたつの中にいた。
「お茶も出せないよ」というおばさん。
日本中にこんな一人暮らしのお年寄りがいっぱいいるのだろう。
お正月まで子供さんは帰ってこないようだ。



実はこの叔父さんの家の前まで、入江、海だったんだよね。
32年前に来た時、ちょうど埋め立てられつつあったけど、
まだ、昔のままの姿だった。
叔父さんは数少ない船大工で、ちょうど最後の船だと言って
ほぼ完成間近の船を作っているところだった。

それが今では入江の中に、広い道が走り、きれいな家が建っている。
わずかに面影がある、家の前の水路。
そう、僕は小さい頃ここに落ちたんだ。
そういえば僕は良く船から落ちたりしていたな。
今でも海にブクブクと沈んで行っている自分をおぼえている。



叔父さんのお参りをして、叔母さんと話をして、
夏休みに帰っていつも泳いでいたなつかしい外浜海岸に行って見た。
昔は沖合に飛び込み台があったな。
この海は藻が生えていてその中に入ると藻が体にあたって気持ち悪かった。





叔父さんの家の前の入江では、今では天然記念物の兜ガニがたくさんいたな。
気持ち悪いカニだった。



四国に渡るのに島の南、木江港に向かった。
ここはみかんの島、僕の小さい頃はたくさん送ってくれて
毎日のように1日20個ぐらい食べた記憶がある。
お蔭で今でも、指で触っただけでおいしいミカンがわかる。
スーパーでばら売りだとおいしいミカンだけを10個ぐらい選べるので便利だ。
中々バラ売りがないのがねぇ。

  





海賊を撃退したという弓張岩や
途中、クマさんこと篠原勝之さんの鉄のオブジェがあった。
ふれあい郷土館は船の形をした建物だ。




木江港に着くと四国の今治に渡るフェリーは18:45の出航だ。
あまりにも遅いし、今治まで1時間以上かかる。
そこから実家まで山道を3時間ほどかかる。
15:20出航の大三島、宮浦港行のフェリーがある
高くつくが大三島からしまなみ海道大橋に入って行こう。

そういえば朝から何も食べていない。
釣りをしているオジサンに開いてるかわからないけど1件だけある
食堂を教えてもらった。

 

 木造4階建て、めずらしいよね。

帰ってくるとオジサン、入れ食いで連れていた。
売るほど晩のおかずが連れてしまった。
そういえば32年前、叔父さんに釣った魚をすぐさばいてもらって
食べたけどおいしかったよな。



故郷、さようなら。さあ、ぶっとばして妻の実家へ。

桃旗、ただ今妻の実家に帰省中。その1、広島・安芸津港。

2011-12-30 20:39:10 | その他
30日朝より、妻のいる高知に車で帰省することにした。

そして、少し前に亡くなられ、お通夜にもお葬式にも出られなかった、僕の故郷の叔父さんのお参りと叔母さんへのお悔やみに、瀬戸内海の島に寄ってから四国に渡ることにした。

07:13 出発
ナビによると安芸津港に11:37着と出ている。
長く乗らなくなった車で長時間運転、腰は大丈夫か。
1時間ごとにストレッチをしながら、よし、休憩を入れて11:30までに着くぞ。
中国道 池田IC in
~山陽道 白鳥PA 吉備SA 小谷SA 高屋IC out
到着なんと11:10 安芸津港。
実は桃旗非常にスピード狂なのです。各休憩15分程とったにもかかわらず
ナビの予想到着時間はどんどん短くなっていくのです。(キャーほとんど120km、嫁さんに内緒)


着いたよ、長かった。
           

こちらJR安芸津駅、記憶にはないなぁ。



酒蔵のようなチケット売り場。        


そう、こんな小さな漁港だった。


フェリーが 12:00発なので小さな港をぶらぶらする。
帆立ての貝殻をいくつも重ねたものがたくさん置いてある。
牡蠣かなと思うものの、同じ貝殻に?沖から帰ってきた小さな漁船の猟師に聞いてみた。
帆立ての貝殻に牡蠣の卵を植え付けて何とかかんとか。
「あんたらが思うよりも牡蠣は手間がかかるんじゃけん」を何度も。
余程、楽そうに言われて来たのか。私はこれからは大変何だと思いながら有り難くいただきますよ。


この帆立の貝殻に牡蠣の卵を植え付けるとか 

 
フェリーのない頃こんな小さな漁船に乗せてもらって島に渡った。


32年前、結婚してすぐ奥さんが僕の生まれた島が見たいと言うのできた。
その時は車を僅か4台しか乗せられないフェリーがかわいらしく珍しがった。
そのもっと前の小学校低学年の記憶では確か、フェリーもなく、小さな漁船に乗せてもらって島に渡っていた記憶がある。

永い年月がたったのだ。



昔の4台しか乗らないフェリーに比べれば大きい。安芸津港バイバイ。

僕が生まれてすぐ0才の時に両親が大阪に出たので、
今渡る、この島での生活の記憶はない。ここでの僕の記憶は田舎に帰省した夏休みの思い出の記憶だ。

僕はほとんど大阪生まれと同じだからな。

やったー、橋下市長がんばれ!労組なんてつぶせ!

2011-12-27 12:15:53 | 大阪を橋下氏を応援する
橋下市長、労組に庁舎退去要求、ヤミ専従調査。

今までやってこなかった市長がおかしんでしょう。
仕事もしないで組合活動で給料とって、
出勤さえしていない。
企業だったら信じられん。
それをテレビで報道されても、
何もしてこなかった。
平松さん、そんなにしてまで
市長の椅子にしがみついたんかいな。
労組に選挙で当選させてもろても、
あかんもんはあかん、不正は不正やろ。
もしかして府政不正と理解してた?
誰かの台本もろて読むだけのアナウンサーやったんやろ。
台本ぐらい自分の考えで自分で書け。
いまさら、平松批判をしてもしょうがないか。
それにしても橋下市長になったら、
大阪がつぶれるって、良く真面目な顔で言ったね。
府政じゃなくて不正がつぶれると思てた?
それなら解るわ。
そう言う姿勢やから市制がろくでもないんや。

大阪交通労働組合なんて
営業所の中のバスの整理、誘導するだけで
年収1千万を越える収入取ってるんや、
今までの給料、労働に見合わない分返せ!
って言いたいわ。
税金返せ!
全員解雇して、
母子家庭で頑張ってるお母さんを高給で雇え!
お前達の半分以下の給料で
重たい自転車こいでヤクルト配って頑張ってるんや。

営業所のバスの誘導なんて
昔のバスガイドのできる仕事や。
女性で十分や。

金が欲しけりゃ、重たい自転車こいで
ヤクルト配れ!
その前に今までの給料返せよ。

まだ、まだ橋下さんこれからやけど。
頑張ってや。
鬱な桃旗もこれだけ書いたらすっきりしたわ。


藤田利彦さんに協力されているボランティアの皆さん、ホントにありがとうございます。

2011-12-26 05:05:58 | 石巻市の藤田利彦さん
藤田利春さんからクリスマスのコメントを頂きました。
そう言う私は、軽い風邪をこじらせて、
気力までなくしてしまうような、鬱のような状態に陥っております。
(情けない、高齢者の更年期障害でしょうか?それにしては遅い)

と言っても、普段の状態でも石巻まで車で行く勇気がない。
妻の介護援助でさえ、年末年始の混雑、普段の何倍も車を運転できない。
結局サラリーマン、人と同じ時にしか行動出来ないのがつらい。
今、会社の状況で有給を取るのは冗談でなく解雇に繋がる。
会社をクビになったら、平日に飛ばしていけるかな。
橋下大阪市長の言う「口だけで行動しない人間」に入ってしまうのがくやしい。

せめて、藤田さんのコメントを少しでも沢山の人に伝えたい。

2011年度クリスマス (藤田利彦)
2011-12-25 22:28:00
24日クリスマスイブ。この日は、この間、黄金浜会館でHard Workを繰り返してきた「歴戦の勇士」であるボランティアさんが、結集しました。僕達は、瓦礫の撤去、ドブ掃除、炊き出し、ちびっ子公園の整備、サッカー場の建設、鹿妻保育所への教育支援、仮設住宅団地のコミュニティー作り、などなど「可能な限り」の活動を行って来ました。実は、僕達は、ほとんど「休み」を取りませんでした。ほぼ連日、なんらかの活動を行なってきたのです。いつの間にか月日は流れ、クリスマスの季節が到来していたのでした。

 「せめてクリスマスくらい、休憩しようか?」と思ったのです。男たちが、次々に会館に集まり始め、特に「思い詰めた」会話をするでもなく、淡々と、時には「オヤジギャグ?」を連発しながら、静かにクリスマスイブは過ぎていったのでした。

 「何も言わなくても分かるさっ」。毎日、復旧を信じて瓦礫の撤去、溝掃除を繰り返してきた「戦友」なのだから。


*****
 そして、25日は、午後2時から地域の子供のためのクリスマス会。め組Japanまで駆けつけ、子供の為に「飲めや歌えや?」のどんちゃん騒ぎとなったのでした。

 3/11の巨大津波に飲み込まれた僕としては、まさか、黄金浜会館にてクリスマス会を、子供たち、そして全国のボランティアさんたちと、祝えるまでに復旧するとは予想もできなかった。ひとえに、世界中の皆さまの支援があればこその、今日のクリスマス会だったと思うのです。


 世界中の皆さま、本当にありがとうございました。



****
さらに、午後5時からは耳の不自由な方をお招きして、クリスマス会を開催することにしました。空中を飛び交う「手話」。みんな楽しそうです。Bingo大会も行われ、次々に「Reach」の声。お気に入りの景品をgetした、みなさんの笑顔が印象的でした。


 結局、まったくBingoできなかったのは、僕だけだったというオチまでついて。


*****
皆さまの、ご支援のおかげで、なんとかクリスマス会をひらくことができました。


ありがとうございました。
石巻市
藤田


黄金浜会館掲示板

見ていただいてありがとうございます。
桃旗、今日はなんとか会社に出かけます。
たまたま、帰ってきた妻に介護をしてもらってしまった、
昔から病気によわい桃旗なんでつい弱気になる。
高知でも大阪でも頑張る妻に感謝です。
妻も藤田さんも助けることも出来ない自分に「喝」です。

ハッピー?クリスマス。from桃旗

2011-12-24 13:00:00 | 日記



そう、今日はクリスマス

そして何を君はした?

一年が終わり
そして新しい年が今、始まった

そして今日はクリスマス

楽しんでるといいな

身近にいる人も敬愛する人も

老いた人も若い人も皆
心からメリー・クリスマス

そしてハッピー・ニュー・イヤー

願おうよ 良い年である事を

不安なんてない年をさ
そして今日はクリスマス(War is over)

弱い人も強い人も(If you want it)

金持ちも貧しき人も(War is over)


世界はとても間違ってる(Now)

そして今日はクリスマス(War is over)

黒い人も白い人も(If you want it)

黄色い人も赤い人も(War is over)

やめようよ あらゆる争いを(Now)
心からメリー・クリスマス

そしてハッピー・ニュー・イヤー


願おうよ 良い年である事を

不安なんてない年をさ

そう、今日はクリスマス(War is over)

そして何を僕らはした?(If you want it)

一年が終わり(War is over)

そして新しい年が今、始まった(Now)

そしてハッピー・クリスマス(War is over)


楽しんでるといいな(If you want it)

身近な人も敬愛する人も(War is over)

老いた人も若い人も皆(Now)
心からメリー・クリスマス

そしてハッピー・ニュー・イヤー


願おうよ 良い年である事を
不安なんてない年をさ
戦争は終わるさ
みんなが望むと

戦争は終わるさ
もう
(Happy Xmas!)
 


HAPPY XMAS (War is Over)
John Lennon



So this is Christmas
And what have you done

Another year over
And a new one just begun

Ans so this is Christmas
I hope you have fun

The near and the dear ones
The old and the young


A very merry Christmas
And a happy New Year

Let's hope it's a good one Without any fear

And so this is Christmas (War is over)

For weak and for strong (If you want it)

For rich and the poor ones (War is over)

The world is so wrong (Now)
And so happy Christmas (War is over)

For black and for white (If you want it)

For yellow and red ones (War is over)

Let's stop all the fight (Now)


And so this is Christmas (War is over)

And what have we done (If you want it)

Another year over (War is over)

And a new one just begun (Now)

Ans so happy Christmas (War is over)

I hope you have fun (If you want it)

The near and the dear one (War is over)

The old and the young (Now)


War is over
If you want it

War is over

Now


風邪をひいてしまいました。北鮮の3金よ菌になるなよ。

2011-12-22 08:15:35 | 日記
会社には出勤してますが、
ブログを書く元気はないです。

桃旗は気持ちで生きてる人間なので
たいしたことのない?(本人は結構しんどい)風邪でも
もう、しんどい。あかん。のです。

会社で忙しくなると、しんどいのも忘れて
夢中でするのですが。

それが、せっかくの明日からの3連休。
今日仕事の頑張りで、
風邪が明日ピークになって寝ることになりそう。

やれやれ(ちょっと村上春樹風)


実はこの風邪、昨年末だったか、今年の初めだったか
ひいたのと同じ症状なのです。思い当たる節が。

今年初めて着た薄手のダウンコートのポケットに
マスクが入っていたのです。
随分乾燥するので、唇がカサカサ。こりゃ良いわと
マスクを付けると息が丁度良い湿り気に。

そこに菌が生き延びとったんやね。
後で気がつくなんとかで。
お久しぶりと言って良いもんか、
この菌のようにしぶとく生きて行かんとね。

そう言えば、しぶとく生きてた
もう一方の金はついに死にました。
3代目の金よ、前の菌のように、いや金のように
恐怖政治をするなよ。

喫煙者! 吸ったら吐くな! 吐くなら吸うな! 

2011-12-20 08:20:50 | 自分が思う事、言いたい事!
何故か朝のバスで座れた、あれ、今日は土曜日?
僕は通勤では後ろに空席があっても出来るだけ前方に立つ。

今日その前方の席が空いていた。とりあえず座ったが、
次の停留所で、沢山の人が乗ってきた。
と、よりによって僕の前に立った人、ものすごいタバコの煙。
僕が座っているもんだから、鼻の角度がピタンコ。
鼻息に乗って僕の顔に降り注いでくる。

おそらく、乗車するギリギリまでケチ臭く吸い込んだんだろう。
そして乗るなり気持ちよく、ふ~~~って。><!

なんで、わざわざ、僕の前に立つの!
殺意すら湧いてくる。
いつか、殺人事件を起こすぞ!
あるいわ、文句を言って僕が殺されるか。

警察屋さん、そんな事件を防ぎたかったら
公共の乗り物の駅、100m周辺禁煙にしてくれ!

JT! タバコなんか売るな! 

喫煙者!吸った煙は飲み込め、消化しろ!


選挙は人格を見抜く賭けではない。議員を選び直せる制度を作るべきだ。

2011-12-16 01:22:43 | 石巻市の藤田利彦さん
久し振りに藤田利彦さんからコメントが入っていた。

久し振りと、そんな懐かしそうな言葉は適当ではない。
藤田さんは1日も切れる事なく震災から毎日戦っておられるのだから。

(原文)
11月15日に、石巻市長など市の大幹部が列席した「復興計画案の原案」提示がありました。叩き台の提示ですね。しかし、その「中身」といえば、住民を救済できるような水準のものではなくて、被災者の心の傷に、さらに塩を擦り込むような結果になりました。

深刻な問題は、日常「石巻の市議とは、住民の代弁者だ」を標榜している石巻市市議会の議員が、1名を除いて出席しなかったことです。この「復興計画の原案」というのは、実は、すでに市議たちは「内容を、市から提示されており、知っていた」可能性が極めて高い。同意とまでは言わないが、「与党」を構成している市議にすれば「事前の同意」を与えていた可能性すらある。もし、市からの原案提示内容に不満があれば、この「住民説明会」にも、当然出席をし、住民の、この原案への反応を「己の眼にて」見ておくべきでした。


会場は「大炎上」したのでした。この、市の提示した「復興計画原案」は、ほぼ「否決」されたと判断してよいと思います。さらに言えば、石巻日日新聞社の平井記者が署名入り記事で、この説明会に出席しなかったグウタラ石巻市議に対して、激しい糾弾をしていたことも、付記しておきたいと思います。

石巻市の次回の市議選挙は、平成26年度なのです。だから、市議の大先生たちは「余裕」なんです。4月になっても、黄金浜、栄田、鹿妻、伊勢町など、沢山の被災者は、お風呂に入ることができなかった。その現状を視察した市議は皆無であり、結局、自衛隊と交渉し、自衛隊設営のお風呂に導くシャトルバス計画を練り、実現させたのは、私だったのです。黄金浜には、4月1日になってから、ようやく公的支援物資としてのオニギリ、ペットボトル水が配布されるようになりましたが、これも、市議ではなくて、私が石巻市と交渉した結果でした。炊き出しも皆無であり、peace boatに交渉をし、3月末に黄金浜地域に暖かい食事をもたらしたのも、私でした。


この間、一体、石巻市の市議は「何をしていたのか?」


現在でも、家を失い路頭に迷う被災者が多数に登る。高齢者の場合には、銀行に新築ローンを頼んでみたところで、拒否される始末。しかし、市議が、地域を隈なく調査して、市に提案をするなどするかといえば、「一切無い」のです。


石巻の市民よ!
この市議の「出来損ない」の程度を注意深く見ておくべきだ。そして、26年度の市議選挙でも、同じ愚かな市議を再選するのであれば、石巻の未来は「無い」と断言しておく。


そして、市長は、論評に値しない。



日本では何かあると「文化人」が出て慎重論が聞かれる。
もっと慎重に論議する必要がある。じっくり国民の総意を得て…、あほらしい。

普天間の事を見れば論議して解決する?
時間ばかりが過ぎるだけでしょう。
国民の総意、民主主義ってこと?国民の皆が何を考えてるの。
結果がバカな議員を当選させているだけでしょ。

あきらかに良い事だと解っていても手順を踏まないと何も代えられない。
もっとシンプルにすばやく行政が実行できるように出来ないのか。
じゃあ、別の正否の微妙な問題はどうする。
決定も行動も出来ないのは明確な答えがないからでしょう。
こんなものにさんざん議論をして、慎重に何もしないで時間を費やす。
臆して慎重になるより,時間の方が大事でしょ。
国民みんな短い人生送ってるんだから。

微妙な問題はやってみるべきだ。やってみないと誰にも解らない。
やってみて間違っていれば、間違ってました。右ではなく左でした。
って、シンプルにやり直せるしくみにすればどうなんだ。

物でも、考えでも、右に左に、また右に、左にって、
ブレながら少しずつ修正されて、より正しくなって行くものでしょう。

議員だって、ノー天気な平和な時代に、
身近に付き合ったこともない人間の裁量なり、志が解るわけない。
付き合った事も酒を飲みかわした事もない人間を
選挙の一期間に判断する。何のための選挙だ、解るわけない。

選挙の投票って何なんだ。他人を一目で見抜く賭けなのか。

だったら、コイツは無能だって解れば、数十万人の国民が選んでいようが
総理、知事、市長が選んだ人と同じように
簡単に解任できるシステムを作るべきだろう。

そうすれば、有能な人だけが残って行く。
現役だって緊張感が出て,選挙のためじゃなく
世のため人のために働くだろう。
選挙で国民が選んだことがそんなに価値のあるものか?

今の選挙は平和で豊かな時代に、一部の私利私欲に走る人のみ熱心に選挙に関わり、
大勢の人はどうせ何の役にも立たないと、無投票か、無関心で選んでしまって、
この必要とされる時になると初めて何の役にも立たない人だとわかり騒ぎだす。




僕の考えから言うと、間違いは誰でもする、解れば正せば良い。
だから失敗を恐れず思い切ってやれ、だけど。
選挙の議員だけはどうにもならない。
選んだ側からすればこんな人、すぐにでも代えたい。
税金で養いたくない。
国民から何十万票取ったからと何処に意味がある。
もっと迅速に国民の実になる政治を作れないのか。

藤田さんの言葉に、つくづく選挙の大切さを思います。
と同時に、間違ってればすぐに正せる新しい選挙制度を作るべきだと思う。
そしたら、鳩、管みたいな政治家を作らないだろう。

黄金浜会館掲示板


A Hard Day's Night でも音楽があれば

2011-12-15 19:08:58 | 読書・映画・テレビ
僕は昔から最高の職業って何だろうって聞かれたら
即答で、ミュージシャンと答える。
音楽で一生が過ごせたらどんなに幸せだろうと思う。

もちろん仕事になれば、少し違うかもしれないけど
それはどんなものでも仕事になれば同じ。

じゃ何故,仕事にしなかったかと言えば
僕には音楽向けの脳みそが足りなかったと思う。

音楽を楽しむ脳があっても
音楽を楽しませる脳がなかったんだ。

音楽は僕を救ってくれる、僕を楽しましてくれる

生まれて初めて訳詩に挑戦したよ。
自分の聴いてる曲がどんな事を歌ってるのか
訳詩を見た事はあるけど、
自分で詩を訳すとその人が作ったときの心情が
少し解りかけたような気がする。
自分の訳した詩を目で追いながら曲を聴くと、
まるで自分が思っている事が音楽になっているようだ

パソコンのお陰で僕だって訳詩が出来るんだね。

第一弾は、思い出の曲
YouTubeで聞きながら読んでくれたら嬉しい。


A Hard Day's Night
words and music by Lennon/McCartney


とても忙しかった一日が終わった
犬のようにに働きずくめさ
とても忙しかった一日だったよ
疲れ果ててもう丸太みたいに眠るだろう

だけど君の待つ家に帰れば
いろいろしてくれている君を見て
疲れなんてふっとんじゃうのさ

何であくせく働いてるかわかる?
いっぱい稼いで何かを買ってやりたいんだ
だって君の僕への思いがわかるから
そのせいで、いつだってがんばれるから

だから、いつもわくわくして帰るんだ
ほんとに君は僕だけのものだって
わかるだろ、僕の気分は最高さ

家に帰れば
いつだって最高の気分だよ
家に帰れば
君は飛びついてくる、夢中で、わぉ

とても忙しかった一日が終わった
犬のようにに働きずくめさ
とても忙しかった一日だったよ
疲れ果ててもう丸太みたいに眠るだろう

だけど君の待つ家に帰れば
いろいろしてくれている君を見て
疲れなんてふっとんじゃうんだ

だから、いつもわくわくして帰るんだ
ほんとに君は僕だけのものだって
わかるだろ、気分は最高さ

家に帰れば
いつだって最高の気分だよ
家に帰れば
君は飛びついてくる、夢中で。ヤッホー

あぁ、とても忙しかった一日が終わった
犬のようにに働きずくめさ
とても忙しかった一日だったよ
疲れ果ててもう丸太みたいに眠るだろう

だけど君の待つ家に帰れば
いろいろしてくれている君を見て
疲れなんてふっとんじゃうのさ
わかるだろ、僕の気分は最高さ
わかるだろ、僕の気分は最高さ



It's been a hard day's night
And I've been working like a dog
It's been a hard day's night
I should be sleeping like a log

But when I get home to you
I find the things that you do
Will make me feel all right

You know I work all day
To get you money to buy you things
And it's worth it just to hear you say
You're gonna give me everything

So why I love to come home
'cause when I get you alone
You know I feel okay

When I'm home
everything seems to be all right
when I'm home
feeling you holding me tight, tight, yeah

it's been a hard day's night
And I've been working like a dog
It's been a hard day's night
I should be sleeping like a log

But when I get home to you
I find the things that you do
Will make me feel all right, Oh!

So why I love to come home
'cause when I get you alone
You know I feel okay

When I'm home
Everything seems to be all right
when I'm home
feeling you holding me tight, tight, yeah

Nnn, it's been a hard day's night
And I've been working like a dog
It's been a hard day's night
I should be sleeping like a log

But when I get home to you
I find the things that you do
Will make me feel all right
You know I feel all right
You know I feel all right

光のルネッサンス、大阪市もルネッサンス。

2011-12-14 01:36:35 | 大阪を橋下氏を応援する
精神的に不安定だとブログもまともに書けない。
って、いっちょまえに私は作家か?
プロであろうがアマであろうが、
純文学であろうが日記であろうが、気持ちは大事やね。

下手はより下手になる訳やから、作家と同じ気持ちでも良いよね。

って訳で、今一番無心になれる時。
帰宅、ナイトウオーキング。

市庁前、今「光のルネッサンス」というのをやっとります。
橋下さんの未来よ、輝け!







私のデジカメはこれが限度、急いでるし寒いし、
もうちょっと設定ちゃんとしたら少しましかな。
私の心と同じで、ぶれてぼけております。

デジカメは心のカメラ。

ついでに、造幣局も。






立売堀、顛末の記。自信はあっても、地震はなくなれ。

2011-12-12 19:14:46 | 日記
前日のブログ。
島田商店の後、6時からすぐ移動して、鍋忘年会が出来るように
近くのお店「ととろ」を企画したのだが、予約が多くて、7時しかとれなかった。
1時間も間があれば梅田でも心斎橋でも良かったのだが、
どうも、食いしんぼの直感で、このお店捨てがたく、
皆さんに7時まで時間をつぶしてもらうことにした。

せっかくだから、この辺りの知ってることを喋って、
時間つぶしをすることにした。

まずこの立売堀(いたちぼり)。
この辺りに伊達藩(だてはん)の屋敷があり、堀を伊達堀(だてぼり)と呼んでいた。
大阪人は大阪以外の地方人をちょっと小馬鹿にしてしまうところがあり、
まともに読まずに伊達を漢字の別の読みで(いだち)と茶化して呼んでいた。
その伊達堀(いだちぼり)がのちに立て売りの米会所とその地がなって、
立売堀となったが、読みはそのまま残り、立売堀(いたちぼり)となった。


立売堀川跡の碑(西区立売堀_花王大阪事業場)

実はこのお話、20代の頃、会社の同僚の歴史に詳しいコピーライターに
教えてもらったのだけど、それ以来40年ずっとこのまま、
知ったかぶりで、話しておりました。

実はこの話をした昨日、帰ってウィキペディアで調べると
少し違っていましたね。hahaha、今まで聞いた方々ごめんなさい。

藩屋敷ではなく、冬の陣夏の陣の伊達が陣地を作った堀だったのですね。
米会所はもっと北の堂島(そう言えば堂島だ)で、
この辺りは材木の立て売りだったんですね。

まあ、読み方の由来は違っていないので許して。
それから、島田商店の少し東に阿波座南公園がある。
この一角に「大阪商業講習所跡の碑」がある。
後の大阪市立大学。私の尊敬する五代友厚がおっ立てた塾みたいなもので。


大阪商業講習所跡の碑(阿波座南公園)

でも「大阪の恩人」と言われる五代友厚のこと
以外と皆さん知らないので、大阪大好き人間の私はがっかりするのです。
詳細はウィキペディア見てちょうだい。
うろ覚えで書いたら、また、とんでもないこと言いそう。

だいいち、この「うろ覚え」が、「うるおぼえ」と思って
打っても変換しないのでおかしいなと調べたら、「うろ覚え」でした。

アーもう、自信なくなった。

【グルメ】あんこう肝鍋 新鮮処 ととろ(西大橋)

2011-12-11 12:06:19 | グルメ
島田商店の近くにあんこう鍋の店を見つけた。

新鮮処 ととろ



こんなかわいい名前の由来を聞き忘れたが、
魚の「とろ」の語彙が感じられるがその変かな。

島田商店の近くでということで偶然見つけたが
予約も詰まって結構人気店のようだ。

鮟鱇(あんこう)は茨城産が有名で直送してもらっているので
予約が必要と言われた。
食べたことなく、唯一食べたことのあるメンバーの一人も
はっきりせず、HPで調べるとふぐに近いらしい?

プリップリのあんこうを、特製の超濃厚な肝出汁で頂く。



鮟鱇を入れる前にみんなで出汁の味見。
「おいひー」これホントおいしいです。
大阪ではポン酢で頂くのがほとんど、
肝の出汁で頂けるのはここだけとか。値打ちあります。

 
写真を撮り忘れ残ったものをそれなりに
鮟鱇入れて煮立ったら、野菜を。

 出来ました。頂きましよう。

そうですね、ちょっとふぐに近いです。
骨の多いところはコラーゲン?たっぷりの部位がたくさんあります。
女性たち頑張って食べてます。

このお店、季節限定の地酒がたくさんあり、
旬の魚介類や、自慢の熊本馬肉・宮崎地鶏がおすすめ。
と言っても私たち島田商店でお酒を頂いたので
お酒に注文ありません。カルーく生とか、焼酎で。

そして、牡蠣。


 

鍋ができるまで、生ガキ(ポン酢)と牡蠣わさ
初めてですが、板わさの牡蠣版?わさびと合いますね。

 僕は馬刺し初めてです。

島田商店の後、お酒はあまり頂きませんでしたが。
看板どおり魚介類おいしいです。
メニューを見るとまだまだ食べたいものがたっぷり。

牡蠣しゃぶ、牡蠣ベーコン巻、馬タン塩焼き、赤み刺し
地鶏たたき、タコ天、もう限りない。

また行きたい。お店です。

●桃シュラン ランク 桃3つ

【グルメ】西区 島田商店。酒飲みでなくても嬉しくなる酒屋さん。

2011-12-11 09:40:25 | グルメ
グルメ仲間が日本酒を注文するのを見て、
日本酒が好きなら、すごいお店に行って見る?
と声をかけたら、全員行きたいというので
ずっとご無沙汰している島田商店に15年振りに行った。

今まで周りに日本酒が好きな人が少なく、
僕もすすんで行くこともなかったのでこんなにご無沙汰になった。

寒い中、人通りの少ない昔の工具の街、
ドラマ山下猛造(記憶曖昧?)で有名な山善近く。
そして、大阪の歴史「立売堀」を歩く
あたりに似つかわしくない、酒屋さんが。





一応は街中の少し大きな酒屋さんだが、
レベルの 高い古酒・熟成酒を揃える酒販店ということ。
全国の蔵元約1600ある酒蔵の中から、メーカ ー・銘柄を厳選し、
見つけだした“心酔わせるいいお酒”をいい状態で、
そしていい雰囲気でテイスティングできて、
好みのお酒を選べるという酒屋さん。

 地下セラー入口

なんと言ってもその特徴は
地下セラーでの試飲。
地下セラーへの入口
ちょっと、わくわくする。

  

たくさんの日本中の蔵元から店主が選んだお酒が、
そして奥には大きな冷蔵庫があり、なかに古酒、塾成酒が並ぶ。
ほとんどのお酒が試飲できるのだが
冷蔵庫の中の古酒も栓が開けられたものなら飲める。

 

私を含めメンバーすべて、
飲み屋で目にする有名な銘柄しかわからず、
そういうのはここで飲みたくないので、
お店の人に好みの味を言って4本選んでもらった。

  
グラスの中は左から 花洛(伏見) かすみつる(兵庫) 日下無双(山口) 香露(熊本) さらに追加で 枯山水(山形)

試飲はグラスに一杯210円、お酒ごとに新しいグラスを使い
その数で1階のお店で自己申告の精算。
量からいうと高いようだが、1杯でも開けてしまうので
その瓶は売り物にならなくなるし適当なんだろう。
古酒など高い酒を飲むと、一律210円なので安いものも。

  
       味噌           酒粕漬けのクリームチーズ 

昔、酒屋さんであくまでも試飲。
好意で味噌を置いていた印象でした。
だから、お味噌は無料だったと思う。
今は味噌だけでなく、こんなおいしいクリームチーズが。


おいしかったので酒粕とクリームチーズを買いました

今回メンバーの好みで古酒は頂きませんでした。
古酒は紹興酒の味に近く、ちょっと苦手な方ばかりでした。

で、このツアーを企画した時に酒屋なので店はすぐ閉まるし、
お腹もすくので忘年鍋をしようと決定。
これから鍋を食べにこの近くを南下します。

●桃シュラン ランク 桃3つ