ウォーキングがてら池田まで歩いた。
Googleで最短コースを検索したので、前より20分早く、1時間30分ほど。
8kmぐらいか。
長屋門が記念館の入り口で、これは能勢の庄屋から移築されたと書かれているが、
旧邸との位地関係が小林一三が住んでいた当時のままかどうかわからない。
なんとなく、あまりいい風景ではないので位置が変わっているのかと。
いつもなら聞くのだが、係員が忙しそうなのでやめた。
長屋門の横でチケットを買い中に入ると
小林一三の旧邸である洋館「雅俗山荘」がある。
玄関正面を見ると、一階と二階がアンバランスな感じだ。
和洋折衷?というより、
一階の重厚な石造りの上に瓦屋根の庇、
そして二階は和というより洋風の山荘風の建物がくっついている感じだ。
石造りの立派な玄関。中に入ると自画像が見える。
立派な応接間
奥が「邸宅レストラン」の入り口になっている。
二階には小林一三の家族、歴史が展示されている。
慶應義塾開校直後の3期生だったんだ。
いま、NHKの朝の連続ドラマ「あさがきた」の主人公、
実在のモデル、広岡浅子(三井浅子)の実家、
三井家の三井銀行に勤めていたようだ。
三井銀行をやめて大阪で起業する明治35年頃は
私が調べたところでは「あさ」が50歳過ぎ。
あっていたかもしれない。
その前のNHKの朝の連続ドラマ「花子とアン」の主人公
村岡花子とは実際に「東京婦人会館」設立で関係があったようだ。
人のつながりが歴史への興味を更に高めてくれる。
三男が松岡家の養子となりその子孫にテニスの松岡修造が。
次女はサントリーの鳥居家に嫁いでいる。
古い家に行くと水回りを見たがる癖が。
風呂
ピンクのお風呂。ホウロウ?のハンドルデザインがかわいい。
この時代に洋式便器なんだ。
主婦室
セレブであっても和室は質素に見える。
材質の問題だろう。
入り口の横に
庭、和室への道がある。
人我亭
この庭の向こうに白梅館への入り口がある。
多方面で活躍した起業家、小林一三の軌跡がたくさんの資料と共に
紹介されている。
懐かしい写真や資料、熱心に2時間近く見てしまった。
外に出て少し下ると
逸翁美術館、池田文庫がある。
時間がないので逸翁美術館はまたの機会に。
池田文庫
茶室・古彩庵
旧池田師範附属小学校の玄関部分
Googleで最短コースを検索したので、前より20分早く、1時間30分ほど。
8kmぐらいか。
長屋門が記念館の入り口で、これは能勢の庄屋から移築されたと書かれているが、
旧邸との位地関係が小林一三が住んでいた当時のままかどうかわからない。
なんとなく、あまりいい風景ではないので位置が変わっているのかと。
いつもなら聞くのだが、係員が忙しそうなのでやめた。
長屋門の横でチケットを買い中に入ると
小林一三の旧邸である洋館「雅俗山荘」がある。
玄関正面を見ると、一階と二階がアンバランスな感じだ。
和洋折衷?というより、
一階の重厚な石造りの上に瓦屋根の庇、
そして二階は和というより洋風の山荘風の建物がくっついている感じだ。
石造りの立派な玄関。中に入ると自画像が見える。
立派な応接間
奥が「邸宅レストラン」の入り口になっている。
二階には小林一三の家族、歴史が展示されている。
慶應義塾開校直後の3期生だったんだ。
いま、NHKの朝の連続ドラマ「あさがきた」の主人公、
実在のモデル、広岡浅子(三井浅子)の実家、
三井家の三井銀行に勤めていたようだ。
三井銀行をやめて大阪で起業する明治35年頃は
私が調べたところでは「あさ」が50歳過ぎ。
あっていたかもしれない。
その前のNHKの朝の連続ドラマ「花子とアン」の主人公
村岡花子とは実際に「東京婦人会館」設立で関係があったようだ。
人のつながりが歴史への興味を更に高めてくれる。
三男が松岡家の養子となりその子孫にテニスの松岡修造が。
次女はサントリーの鳥居家に嫁いでいる。
古い家に行くと水回りを見たがる癖が。
風呂
ピンクのお風呂。ホウロウ?のハンドルデザインがかわいい。
この時代に洋式便器なんだ。
主婦室
セレブであっても和室は質素に見える。
材質の問題だろう。
入り口の横に
庭、和室への道がある。
人我亭
この庭の向こうに白梅館への入り口がある。
多方面で活躍した起業家、小林一三の軌跡がたくさんの資料と共に
紹介されている。
懐かしい写真や資料、熱心に2時間近く見てしまった。
外に出て少し下ると
逸翁美術館、池田文庫がある。
時間がないので逸翁美術館はまたの機会に。
池田文庫
茶室・古彩庵
旧池田師範附属小学校の玄関部分
私が六甲山に登るのは好きな芦屋川からが多い。
登山口までの芦屋川沿いにレトロで帝国ホテル風の建物が見える。
ずっと気になっており、何年も前に訪ねてみたが閉館時間になっていた。
登山を終えて下りた頃には間に合わない。
今日は足に違和感があり、大事をとって早めに下りてきたので寄ってみた。
10年越し?(((^_^;)。なんでこんなに日が経ったのか。
旧山邑家住宅(ヨドコウ迎賓館)
建物を見てもわかるが、設計はフランク・ロイド・ライト。
入り口に近づくともう細やかな装飾にワクワクしてくる。
玄関
車寄せの前の待合 玄関と向かい合わせになっている
玄関の中は人が多くて撮影を控えました。
で、いきなりの
レトロ建築は階段が素敵だ
2階応接間
ロイドが設計すると和室がこうなります
別にある二間続きの和室は
今日は雛人形の展示が行われており、撮影禁止でした。
雛人形はこの建物の建築主
灘の酒造家・8代目山邑太左衛門が長女の誕生を祝って、
明治33年、京都の老舗・丸平大木人形店に依頼したものとか。
古民家を訪れるとよく雛人形の展示に出会いますが、
こんなに豪華なものを見たのは初めてです。
明治天皇らしい雛の「花観人形」と
いわゆる「雛人形」が展示されていました。
それぞれ和室二間いっぱいの超豪華なものでした。
主な部屋には天井近くにこの小さな扉がびっしり付いています。
換気のものでしょうか。こだわりのデザインです。
4階食堂 天井の十字が美しい部屋です。
ロイドが好きな大谷石が壁だけではなく、
暖炉にも使われています。
主な部屋には子供部屋も含め、このデザインの暖炉がありました。
暖炉
引きがないのでこれが限界。美しい天井。
食堂の横の厨房 4階にあるというのも面白い
バルコニーへの出口
バルコニー
バルコニーからは芦屋川が注ぐ神戸の海を望め、
周りの六甲山山手の山麓の景色が一望できる屋敷です。
僕も高台に住みたい。
先日、テレビで紹介されたらしく、人が多かったです。
2.21.2016
登山口までの芦屋川沿いにレトロで帝国ホテル風の建物が見える。
ずっと気になっており、何年も前に訪ねてみたが閉館時間になっていた。
登山を終えて下りた頃には間に合わない。
今日は足に違和感があり、大事をとって早めに下りてきたので寄ってみた。
10年越し?(((^_^;)。なんでこんなに日が経ったのか。
旧山邑家住宅(ヨドコウ迎賓館)
建物を見てもわかるが、設計はフランク・ロイド・ライト。
入り口に近づくともう細やかな装飾にワクワクしてくる。
玄関
車寄せの前の待合 玄関と向かい合わせになっている
玄関の中は人が多くて撮影を控えました。
で、いきなりの
レトロ建築は階段が素敵だ
2階応接間
ロイドが設計すると和室がこうなります
別にある二間続きの和室は
今日は雛人形の展示が行われており、撮影禁止でした。
雛人形はこの建物の建築主
灘の酒造家・8代目山邑太左衛門が長女の誕生を祝って、
明治33年、京都の老舗・丸平大木人形店に依頼したものとか。
古民家を訪れるとよく雛人形の展示に出会いますが、
こんなに豪華なものを見たのは初めてです。
明治天皇らしい雛の「花観人形」と
いわゆる「雛人形」が展示されていました。
それぞれ和室二間いっぱいの超豪華なものでした。
主な部屋には天井近くにこの小さな扉がびっしり付いています。
換気のものでしょうか。こだわりのデザインです。
4階食堂 天井の十字が美しい部屋です。
ロイドが好きな大谷石が壁だけではなく、
暖炉にも使われています。
主な部屋には子供部屋も含め、このデザインの暖炉がありました。
暖炉
引きがないのでこれが限界。美しい天井。
食堂の横の厨房 4階にあるというのも面白い
バルコニーへの出口
バルコニー
バルコニーからは芦屋川が注ぐ神戸の海を望め、
周りの六甲山山手の山麓の景色が一望できる屋敷です。
僕も高台に住みたい。
先日、テレビで紹介されたらしく、人が多かったです。
2.21.2016
久しぶりの地下鉄梅田。阪神側から改札に入ると・・・。
何これ、ホームの上を2階建てにしてるの?
この歴史ある(安っぽいけど)ドーム型の天井仕切って
天井の上を通路にするのか。
今までしてこなくて、これから人工が減るって段になって、
するかな。
改札入って、あの不細工やけど蛍光灯で作ったシャンデリア?。
ホームが一望できて素敵やったのに。
もっと昔はずっとホームの向こうまで見渡せて。
何これは。どうしてこんな事するかな。
仕事で遅くなって、
飲みにいって遅くなって、
いろんな思いで、何十年、
この高いドームの天井の階段を降りてきたか。
そう、失恋したのもこのホームやった。
(俺の青春返せ!ちょっと意味不明かw)
あのね、この反対の登りホームを上がった改札。
朝の通勤時間の一番込む、
人があふれて通る改札が足らない程なのに、
係員のいるボックス近くの1台の改札機が、
切符しか通れないってどうなんや。
一度、駅員に言ったのに話にならん。
いつも見てればわかるだろうに、
カードの人が知らずに来て通れず、
階段下までずっと並んでいる人の列で仕方なく横入りする事になる。
ますます通れる改札機の所が混乱する。
どうして、カードも切符も通れる改札機にしないんだ。
これこそ客のサービスじゃないのか。
いまさらこんな所、お金かけて2階にせずに、
他に使う事あるやろうに。
うーん、狭苦しい。
何これ、ホームの上を2階建てにしてるの?
この歴史ある(安っぽいけど)ドーム型の天井仕切って
天井の上を通路にするのか。
今までしてこなくて、これから人工が減るって段になって、
するかな。
改札入って、あの不細工やけど蛍光灯で作ったシャンデリア?。
ホームが一望できて素敵やったのに。
もっと昔はずっとホームの向こうまで見渡せて。
何これは。どうしてこんな事するかな。
仕事で遅くなって、
飲みにいって遅くなって、
いろんな思いで、何十年、
この高いドームの天井の階段を降りてきたか。
そう、失恋したのもこのホームやった。
(俺の青春返せ!ちょっと意味不明かw)
あのね、この反対の登りホームを上がった改札。
朝の通勤時間の一番込む、
人があふれて通る改札が足らない程なのに、
係員のいるボックス近くの1台の改札機が、
切符しか通れないってどうなんや。
一度、駅員に言ったのに話にならん。
いつも見てればわかるだろうに、
カードの人が知らずに来て通れず、
階段下までずっと並んでいる人の列で仕方なく横入りする事になる。
ますます通れる改札機の所が混乱する。
どうして、カードも切符も通れる改札機にしないんだ。
これこそ客のサービスじゃないのか。
いまさらこんな所、お金かけて2階にせずに、
他に使う事あるやろうに。
うーん、狭苦しい。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが、
ほぼ同じ規模のテーマパークを関西以外に新設する方針を固め、
候補地の国内外の4~5カ所を現地の提携先と最終的な交渉をしている。
今の敷地がこれ以上、大きなアトラクションを建てる余地がなくなったことから、
事業拡大をめざして新天地を開拓するという。
どうして大阪はこうも計画性がないのか、
発展すれば拡張するべき土地を考えておくべきだろうに。
今、噂されているカジノよりもあらゆる面でいいだろうに。
方針を固め、最終的な交渉と言う事は既に遅いのかも知れない。
国内は東北、九州、沖縄だとか。
小さい日本国内に2つも出来ればつぶし合いになり、
そのうち出来るであろう海外との競争で、共倒れになるだろう。
現行の地でも西南西にあるコンテナ基地など、
高速道の内側にある土地を提供してもらえば広げられると思うが。
せっかく大阪に誘致してきた物の発展が止まってしまうのは
リニアがこないのと同じで大阪のマイナス要素しかない。
ほぼ同じ規模のテーマパークを関西以外に新設する方針を固め、
候補地の国内外の4~5カ所を現地の提携先と最終的な交渉をしている。
今の敷地がこれ以上、大きなアトラクションを建てる余地がなくなったことから、
事業拡大をめざして新天地を開拓するという。
どうして大阪はこうも計画性がないのか、
発展すれば拡張するべき土地を考えておくべきだろうに。
今、噂されているカジノよりもあらゆる面でいいだろうに。
方針を固め、最終的な交渉と言う事は既に遅いのかも知れない。
国内は東北、九州、沖縄だとか。
小さい日本国内に2つも出来ればつぶし合いになり、
そのうち出来るであろう海外との競争で、共倒れになるだろう。
現行の地でも西南西にあるコンテナ基地など、
高速道の内側にある土地を提供してもらえば広げられると思うが。
せっかく大阪に誘致してきた物の発展が止まってしまうのは
リニアがこないのと同じで大阪のマイナス要素しかない。
大阪レトロビル
藤原ビル(天神橋1)
昔僕の事務所がこの近くにありずっと気に留めていたビルだ。
う~ん、なんだかゴミゴミ。
なんの力もない僕がこういうことを言うのはつらいが。
どうして日本ではこういう素敵な建物を
センス良く残すことができないのかなぁ。
きたない。……。
訴えているのだろうけど、ビラ、看板。
配線も…ね。
個人の所有なんで、それなりに頑張っておられるんだろうが。
出来れば、十分道楽で維持できる財力のある個人の方か、
企業が地方貢献の一環で資料館的な器として残してくれれば。
大阪にはそんなお金持ちも、
企業もなくなったよね。
建物と言うのはその地域の象徴的なもので、
大切にすれば人を集客する力もあるんだけど。
後から思って造っても、薄っぺらなまがい物しか造れない。
時代を感じるものは造れない。
壊されるのがおちで、
まだ残っているだけでも所有者の努力ですね。
とりあえず頑張って残してください。
藤原ビル(天神橋1)
昔僕の事務所がこの近くにありずっと気に留めていたビルだ。
う~ん、なんだかゴミゴミ。
なんの力もない僕がこういうことを言うのはつらいが。
どうして日本ではこういう素敵な建物を
センス良く残すことができないのかなぁ。
きたない。……。
訴えているのだろうけど、ビラ、看板。
配線も…ね。
個人の所有なんで、それなりに頑張っておられるんだろうが。
出来れば、十分道楽で維持できる財力のある個人の方か、
企業が地方貢献の一環で資料館的な器として残してくれれば。
大阪にはそんなお金持ちも、
企業もなくなったよね。
建物と言うのはその地域の象徴的なもので、
大切にすれば人を集客する力もあるんだけど。
後から思って造っても、薄っぺらなまがい物しか造れない。
時代を感じるものは造れない。
壊されるのがおちで、
まだ残っているだけでも所有者の努力ですね。
とりあえず頑張って残してください。
新島旧邸はずっと以前にドラマが始まると混雑するので早く見に行こうと
問い合わせをし、予約をしていたが行けなくなった。
それが今回やっと実現した。
ちょうどゴッホ展もあり、おこずかい不足の私には助かる。
友人と待ち合わせをして、丸太町の駅を降りた。
この烏丸丸太町と言う地は京都で僕が一番思い出深い地だ。
30歳前に、そこそこデザイナーとして頑張っていたが、
京都出身のデザイナーの独特な感性に興味をもって、
今までの経験を全部捨てて、全く知らない京都のデザイン会社に飛び込んだ。
当時、京都で一番有名なデザイン会社だった。
それがこの交差点の奥にあった。今はそのビルもない。
そんな感傷にふけながら、御所の南側を東に歩いた。
新島旧邸
同志社英学校を開校した地、同志社発祥の地だ。
その後新島が自宅を建てたのがこの新島旧邸。
建物外観は引きが悪く、また大きな木が邪魔をして写真に収めづらい。
コロニアル様式風と言う、和洋折衷の建物だ。
私は和洋折衷様式の多い大正建築(専門的な言葉か知らない)が一番好きなのだが、
この館は和風の家に様式の便利さを取り入れている感が強い。
今まで見たこの類の建物から見ると、
井戸が板の間に有ったり、厨房が土間ではないこと、
トイレの男性用トイレが陶器でできていたり、
女性用トイレは江戸時代からある穴空き式のまたぐトイレを
そのまま、座位でできるように高くしてある形で面白い。
台所にしろ、男性トイレが陶器と言うのは
使い勝手や掃除のしやすさを感じて、
なんだか女性目線の作りだと感じたのは僕だけだろうか。
和風の家に西洋の便利さを取り入れた、
当時ではから李変わったものではなかったろうか。
ドラマのきれいな女優さんのイメージでモダンガールの意識があるが、
田舎のおばさんと言った八重さんの風貌を見ると、
見た目の中に、古い会津女の育ちを感じつつ、
考え方は現代女性の高率さを持った、モダンな女性を感じる。
新島襄の西洋かぶれの雰囲気と対照的に
活動的な八重さんの着物の着こなしの雑さと
西洋風帽子、帯にネックレス風のものをぶら下げた
こだわらない西洋感覚の取入れの様な感覚に
とても面白さを感じる。
建物の中にもそういう八重さんのこだわらない
西洋の便利さ良さをいろいろ取り入れている設計がみられる。
やはり、あの時代に女性で銃を構えただけの性格がある。
新島旧邸を出て東に歩いたところで
お好み焼き屋さんに入った。
雰囲気で飛び込んだ店だが
オムライスはちょっと変わっていておいしかった。
京都らしい、小鉢が3つもついていてこれが美味しい。
さらにオムライスはふわふわたまごで真ん丸に作られていて
真ん中に小さなまるで半熟状態の卵が。
画像を取り忘れて残念だ。
問い合わせをし、予約をしていたが行けなくなった。
それが今回やっと実現した。
ちょうどゴッホ展もあり、おこずかい不足の私には助かる。
友人と待ち合わせをして、丸太町の駅を降りた。
この烏丸丸太町と言う地は京都で僕が一番思い出深い地だ。
30歳前に、そこそこデザイナーとして頑張っていたが、
京都出身のデザイナーの独特な感性に興味をもって、
今までの経験を全部捨てて、全く知らない京都のデザイン会社に飛び込んだ。
当時、京都で一番有名なデザイン会社だった。
それがこの交差点の奥にあった。今はそのビルもない。
そんな感傷にふけながら、御所の南側を東に歩いた。
新島旧邸
同志社英学校を開校した地、同志社発祥の地だ。
その後新島が自宅を建てたのがこの新島旧邸。
建物外観は引きが悪く、また大きな木が邪魔をして写真に収めづらい。
コロニアル様式風と言う、和洋折衷の建物だ。
私は和洋折衷様式の多い大正建築(専門的な言葉か知らない)が一番好きなのだが、
この館は和風の家に様式の便利さを取り入れている感が強い。
今まで見たこの類の建物から見ると、
井戸が板の間に有ったり、厨房が土間ではないこと、
トイレの男性用トイレが陶器でできていたり、
女性用トイレは江戸時代からある穴空き式のまたぐトイレを
そのまま、座位でできるように高くしてある形で面白い。
台所にしろ、男性トイレが陶器と言うのは
使い勝手や掃除のしやすさを感じて、
なんだか女性目線の作りだと感じたのは僕だけだろうか。
和風の家に西洋の便利さを取り入れた、
当時ではから李変わったものではなかったろうか。
ドラマのきれいな女優さんのイメージでモダンガールの意識があるが、
田舎のおばさんと言った八重さんの風貌を見ると、
見た目の中に、古い会津女の育ちを感じつつ、
考え方は現代女性の高率さを持った、モダンな女性を感じる。
新島襄の西洋かぶれの雰囲気と対照的に
活動的な八重さんの着物の着こなしの雑さと
西洋風帽子、帯にネックレス風のものをぶら下げた
こだわらない西洋感覚の取入れの様な感覚に
とても面白さを感じる。
建物の中にもそういう八重さんのこだわらない
西洋の便利さ良さをいろいろ取り入れている設計がみられる。
やはり、あの時代に女性で銃を構えただけの性格がある。
新島旧邸を出て東に歩いたところで
お好み焼き屋さんに入った。
雰囲気で飛び込んだ店だが
オムライスはちょっと変わっていておいしかった。
京都らしい、小鉢が3つもついていてこれが美味しい。
さらにオムライスはふわふわたまごで真ん丸に作られていて
真ん中に小さなまるで半熟状態の卵が。
画像を取り忘れて残念だ。
大阪ウオークの帰り、ふと前方を見ると櫓の中に人が入って行く??
あそこに入れるの?そうか、紫ののぼりはあの公開のものか。
これは絶対見たい。20km歩いた体にムチ打って、側のチケット売り場に。
金蔵に向かって、再び城内深く、天守閣への道を登って行った。
大阪城公園内の重要文化財「千貫櫓(せんがんやぐら)・多聞櫓(たもんやぐら)・金蔵(きんぞう)」を特別公開
金蔵(きんぞう)
手前にある四角い箱が千両箱
2室の奥の部屋は床に石を敷き詰め、すべての窓は厳重な鉄格子。
江戸幕府は御金蔵(ごきんぞう)とよばれる御用金保管庫を江戸城と大阪城に置いていた。他に小規模なものは二条城など3か所にあった。現在、金蔵として現存するのはこの大坂城の1棟のみだと言う。
維新の大坂城大火に焼け残り、移築、解体、破損から、昭和34年の解体修理によって天保8年(1837)改築時の状態にもどされ現代に至っている。
江戸幕府の西日本中央金庫として、元禄16年(1703)の記録によると、大判48枚、金13万7,488両3分3朱、銀4,436貫432匁1分5厘7毛、銭754貫893文、現在の金額で500~800億円ぐらいのお金が収められていた。
「御金蔵破り事件」「明治維新の大坂城幕府御用金、持ち出し18万両の行方」と言う2つのエピソードも紹介されています。
ちなみに1両は今の25万円。よく時代劇の庶民の中で使われている1朱は1万5千円と意外と高額だ。1両は4分、1分は4朱と4進法になっている。
大手口に戻って、
多聞櫓
多聞櫓を南側から入る
長い廊下には銃眼や槍落しが設けられ、右手には兵が駐屯できる部屋が続いている。
右手は槍落し、この隙間から石垣を登る敵兵を槍で射る
多聞櫓に続く城壁
多聞櫓と千貫櫓の間にはたくさんの銃眼が
千貫櫓の入り口
2階は非公開で、1回の中は太い柱で頑丈な作りになっている。
櫓の窓の太い格子の間から大手口土橋が望める
秀吉も多聞櫓の窓から、
今僕が見ているように大手門の人の出入りを見ていたと言う。
太い格子で切り取られた大手口桝形の風景は
桃山の時代と人の服装こそ違えど、タイムスリップしたようだ。
千貫櫓と多聞櫓
あそこに入れるの?そうか、紫ののぼりはあの公開のものか。
これは絶対見たい。20km歩いた体にムチ打って、側のチケット売り場に。
金蔵に向かって、再び城内深く、天守閣への道を登って行った。
大阪城公園内の重要文化財「千貫櫓(せんがんやぐら)・多聞櫓(たもんやぐら)・金蔵(きんぞう)」を特別公開
金蔵(きんぞう)
手前にある四角い箱が千両箱
2室の奥の部屋は床に石を敷き詰め、すべての窓は厳重な鉄格子。
江戸幕府は御金蔵(ごきんぞう)とよばれる御用金保管庫を江戸城と大阪城に置いていた。他に小規模なものは二条城など3か所にあった。現在、金蔵として現存するのはこの大坂城の1棟のみだと言う。
維新の大坂城大火に焼け残り、移築、解体、破損から、昭和34年の解体修理によって天保8年(1837)改築時の状態にもどされ現代に至っている。
江戸幕府の西日本中央金庫として、元禄16年(1703)の記録によると、大判48枚、金13万7,488両3分3朱、銀4,436貫432匁1分5厘7毛、銭754貫893文、現在の金額で500~800億円ぐらいのお金が収められていた。
「御金蔵破り事件」「明治維新の大坂城幕府御用金、持ち出し18万両の行方」と言う2つのエピソードも紹介されています。
ちなみに1両は今の25万円。よく時代劇の庶民の中で使われている1朱は1万5千円と意外と高額だ。1両は4分、1分は4朱と4進法になっている。
大手口に戻って、
多聞櫓
多聞櫓を南側から入る
長い廊下には銃眼や槍落しが設けられ、右手には兵が駐屯できる部屋が続いている。
右手は槍落し、この隙間から石垣を登る敵兵を槍で射る
多聞櫓に続く城壁
多聞櫓と千貫櫓の間にはたくさんの銃眼が
千貫櫓の入り口
2階は非公開で、1回の中は太い柱で頑丈な作りになっている。
櫓の窓の太い格子の間から大手口土橋が望める
秀吉も多聞櫓の窓から、
今僕が見ているように大手門の人の出入りを見ていたと言う。
太い格子で切り取られた大手口桝形の風景は
桃山の時代と人の服装こそ違えど、タイムスリップしたようだ。
千貫櫓と多聞櫓
大阪倶楽部の
帰りに、気分直しに「適塾」に行った。
気分直しというのは純な志という意味だけど。
昔、義理の姉が受付をしていた。
その時は行ったことはなかったけど。
司馬遼太郎の「花神」を読んでいると
この適塾の当時の様子が目に浮かぶようだ。
大村益次郎が階段を駆け下りてくるような。
ゾーフ辞書を読み老けている姿が目に浮かぶようだ。
建物は昔のまま、便器だけ最新。こういうものは新しいものがね。いいね、この雰囲気。
クラシックカーに最新のハイブリッドエンジン載せたいよね。
英語だったらね、少しはわかって面白いのにね。オランダ語はさっぱり。
この2回の部屋で益次郎が寝起きしてたんだね。もう一度,花神を読みたくなった.
帰りに、気分直しに「適塾」に行った。
気分直しというのは純な志という意味だけど。
昔、義理の姉が受付をしていた。
その時は行ったことはなかったけど。
司馬遼太郎の「花神」を読んでいると
この適塾の当時の様子が目に浮かぶようだ。
大村益次郎が階段を駆け下りてくるような。
ゾーフ辞書を読み老けている姿が目に浮かぶようだ。
建物は昔のまま、便器だけ最新。こういうものは新しいものがね。いいね、この雰囲気。
クラシックカーに最新のハイブリッドエンジン載せたいよね。
英語だったらね、少しはわかって面白いのにね。オランダ語はさっぱり。
この2回の部屋で益次郎が寝起きしてたんだね。もう一度,花神を読みたくなった.
昼から、身障者の義理の弟と「横倉山自然の森博物館」に行った。
僕が安藤忠男の建築が好きで、あちこちと彼の建物を見に行くのを知っているので、そう言えばこの近くに安藤忠男の設計した博物館があるから見てきたらと薦めてくれた。偶然にも、こんな田舎の山奥に彼の設計した博物館があるとは全く知らなかった。
弟の案内で早速出かけた。
途中の蛇行する仁淀川にかかる三つの橋は川の上流下流がわからなくなる、珍しい地形らしい。道は立派な2車線のきれいな道かと思えば、対向車が来れば、パニクッてしまう、すれ違えない崖の細い道が混在する。四国は急峻な山が多く、山道はどこも狭くカーブが多く大変な道が多い。昔、名もない山を登るのに登山口を目指したが、車がスタンダードな乗用車で轍がきつく、底を擦りまくり夜が更けた上に対向車が怖くて断念したことがある。
義弟頑張って山を登る
博物館を通り過ぎて先に横手山に登れるところまで行くことにした。義弟にとっては大変な道のりのようだが何か決意と言うか、挑戦する喜びのようなものが伝わり私も何かうれしい山行に思えた。
15分ほどで杉原神社に着いた。ちょっとジブリの宮崎駿のような世界で、巨大な杉に囲まれ建物が箱庭のような世界に感じる。神社はすばらしい彫刻が施され非常に神々しさを感じさせた。二人で巨杉の前でセルフタイマーで撮った画像は小人の世界に紛れこんだようだった。
大杉神社
もう少し「安徳水」のところまで登ることにした。安徳水とは湧水で安徳天皇とのエピソードがあるようだ。山小屋に着き、そのわき道をしばらく下ると安徳水である。杖をつく義弟が躊躇するので、一人先に行って道の状態と距離を調べることにした。
安徳水を目にした所で何か得体のしれない獣に出会い、ホントに驚いた。黒い顔と目が私を凝視したのだ。
迷彩服で体中を隠し、更に隠れている小型テントから持ち物、巨大ズームレンズのカメラまですべて迷彩模様だった。それで一瞬私は不気味なギョロ目の顔だけが目に入り驚いたのである。ホントにもう少しで女子のように大声を出しそうだった。「ほんとにびっくりしましたよ」と抗議したくなったものの、カメラマンにすればその都度大声で言うわけにもいかないよな。
義弟のところに戻り、彼の後ろに着き再び同じ場所に。ちょっといたずら心で黙っていたら、僕と同じように彼の背中が大きく驚いた。転倒してはいけないので、すかさず僕が鳥を写しに来たカメラマンだよ。と説明した。安徳水は上から流れ落ちるものではなく、溜まった所に湧きだしているので、たまった水を飲むのは少し躊躇した。湧水にしては冷たさもいまいちで、味も美味しくもなかった。
ここで引き返し、登山口に戻り車で通り過ぎた「横倉山自然の森博物館」に行った。やはり打ちっぱなしのコンクリートと水と大きなガラスの壁面の安藤建築だった。安藤忠雄の美術館や博物館は見学者を飽きさせない展示をみせる動線とインテリアだ。
この地域日本最古の化石が発見されたとか、数百年の樹齢の大杉とか原生林、たくさんの珍しい植物。世界的な植物学者、牧野富太郎の研究の山として有名らしい。植物に興味のない僕も飽きずに見ることができた。
僕が安藤忠男の建築が好きで、あちこちと彼の建物を見に行くのを知っているので、そう言えばこの近くに安藤忠男の設計した博物館があるから見てきたらと薦めてくれた。偶然にも、こんな田舎の山奥に彼の設計した博物館があるとは全く知らなかった。
弟の案内で早速出かけた。
途中の蛇行する仁淀川にかかる三つの橋は川の上流下流がわからなくなる、珍しい地形らしい。道は立派な2車線のきれいな道かと思えば、対向車が来れば、パニクッてしまう、すれ違えない崖の細い道が混在する。四国は急峻な山が多く、山道はどこも狭くカーブが多く大変な道が多い。昔、名もない山を登るのに登山口を目指したが、車がスタンダードな乗用車で轍がきつく、底を擦りまくり夜が更けた上に対向車が怖くて断念したことがある。
義弟頑張って山を登る
博物館を通り過ぎて先に横手山に登れるところまで行くことにした。義弟にとっては大変な道のりのようだが何か決意と言うか、挑戦する喜びのようなものが伝わり私も何かうれしい山行に思えた。
15分ほどで杉原神社に着いた。ちょっとジブリの宮崎駿のような世界で、巨大な杉に囲まれ建物が箱庭のような世界に感じる。神社はすばらしい彫刻が施され非常に神々しさを感じさせた。二人で巨杉の前でセルフタイマーで撮った画像は小人の世界に紛れこんだようだった。
大杉神社
もう少し「安徳水」のところまで登ることにした。安徳水とは湧水で安徳天皇とのエピソードがあるようだ。山小屋に着き、そのわき道をしばらく下ると安徳水である。杖をつく義弟が躊躇するので、一人先に行って道の状態と距離を調べることにした。
安徳水を目にした所で何か得体のしれない獣に出会い、ホントに驚いた。黒い顔と目が私を凝視したのだ。
迷彩服で体中を隠し、更に隠れている小型テントから持ち物、巨大ズームレンズのカメラまですべて迷彩模様だった。それで一瞬私は不気味なギョロ目の顔だけが目に入り驚いたのである。ホントにもう少しで女子のように大声を出しそうだった。「ほんとにびっくりしましたよ」と抗議したくなったものの、カメラマンにすればその都度大声で言うわけにもいかないよな。
義弟のところに戻り、彼の後ろに着き再び同じ場所に。ちょっといたずら心で黙っていたら、僕と同じように彼の背中が大きく驚いた。転倒してはいけないので、すかさず僕が鳥を写しに来たカメラマンだよ。と説明した。安徳水は上から流れ落ちるものではなく、溜まった所に湧きだしているので、たまった水を飲むのは少し躊躇した。湧水にしては冷たさもいまいちで、味も美味しくもなかった。
ここで引き返し、登山口に戻り車で通り過ぎた「横倉山自然の森博物館」に行った。やはり打ちっぱなしのコンクリートと水と大きなガラスの壁面の安藤建築だった。安藤忠雄の美術館や博物館は見学者を飽きさせない展示をみせる動線とインテリアだ。
この地域日本最古の化石が発見されたとか、数百年の樹齢の大杉とか原生林、たくさんの珍しい植物。世界的な植物学者、牧野富太郎の研究の山として有名らしい。植物に興味のない僕も飽きずに見ることができた。