日々Change。今日の怒りも、恐れも、悲しみも、明日は夢と希望と喜びに。

少々高くても、日本の商品を買いましょう。力を合わせて日本の復興のために。

藤田利彦さんにコメントが届いた

2012-01-01 00:51:41 | 石巻市の藤田利彦さん
藤田利彦さん宛にコメントが届いたので検索にもかかりやすいように
ここにもアップしておきます。早くよんでくれるとよいが。



Paul Ashton

Your friend...

Toshihiko san...
I have seen you on You Tube a few times, and found you here on the internet.
I just wanted to say, you are doing a great job, and I am thinking about you.

Never give up hope, never think you are alone...

With best regards,

Paul Ashton
Okayama City
paul.in.japan@gmail.com

よろしくお願いします。


国際的になったね。
岡山で何をされているのでしょうか。
日本語が理解出来るのでしょうか。
逆に解りやすい英語で書いてくださって、気遣いを感じます。

僕が唯一役立っていること。世の中に発信すること。役だって嬉しいです。



黄金浜会館掲示板


藤田利彦さんに協力されているボランティアの皆さん、ホントにありがとうございます。

2011-12-26 05:05:58 | 石巻市の藤田利彦さん
藤田利春さんからクリスマスのコメントを頂きました。
そう言う私は、軽い風邪をこじらせて、
気力までなくしてしまうような、鬱のような状態に陥っております。
(情けない、高齢者の更年期障害でしょうか?それにしては遅い)

と言っても、普段の状態でも石巻まで車で行く勇気がない。
妻の介護援助でさえ、年末年始の混雑、普段の何倍も車を運転できない。
結局サラリーマン、人と同じ時にしか行動出来ないのがつらい。
今、会社の状況で有給を取るのは冗談でなく解雇に繋がる。
会社をクビになったら、平日に飛ばしていけるかな。
橋下大阪市長の言う「口だけで行動しない人間」に入ってしまうのがくやしい。

せめて、藤田さんのコメントを少しでも沢山の人に伝えたい。

2011年度クリスマス (藤田利彦)
2011-12-25 22:28:00
24日クリスマスイブ。この日は、この間、黄金浜会館でHard Workを繰り返してきた「歴戦の勇士」であるボランティアさんが、結集しました。僕達は、瓦礫の撤去、ドブ掃除、炊き出し、ちびっ子公園の整備、サッカー場の建設、鹿妻保育所への教育支援、仮設住宅団地のコミュニティー作り、などなど「可能な限り」の活動を行って来ました。実は、僕達は、ほとんど「休み」を取りませんでした。ほぼ連日、なんらかの活動を行なってきたのです。いつの間にか月日は流れ、クリスマスの季節が到来していたのでした。

 「せめてクリスマスくらい、休憩しようか?」と思ったのです。男たちが、次々に会館に集まり始め、特に「思い詰めた」会話をするでもなく、淡々と、時には「オヤジギャグ?」を連発しながら、静かにクリスマスイブは過ぎていったのでした。

 「何も言わなくても分かるさっ」。毎日、復旧を信じて瓦礫の撤去、溝掃除を繰り返してきた「戦友」なのだから。


*****
 そして、25日は、午後2時から地域の子供のためのクリスマス会。め組Japanまで駆けつけ、子供の為に「飲めや歌えや?」のどんちゃん騒ぎとなったのでした。

 3/11の巨大津波に飲み込まれた僕としては、まさか、黄金浜会館にてクリスマス会を、子供たち、そして全国のボランティアさんたちと、祝えるまでに復旧するとは予想もできなかった。ひとえに、世界中の皆さまの支援があればこその、今日のクリスマス会だったと思うのです。


 世界中の皆さま、本当にありがとうございました。



****
さらに、午後5時からは耳の不自由な方をお招きして、クリスマス会を開催することにしました。空中を飛び交う「手話」。みんな楽しそうです。Bingo大会も行われ、次々に「Reach」の声。お気に入りの景品をgetした、みなさんの笑顔が印象的でした。


 結局、まったくBingoできなかったのは、僕だけだったというオチまでついて。


*****
皆さまの、ご支援のおかげで、なんとかクリスマス会をひらくことができました。


ありがとうございました。
石巻市
藤田


黄金浜会館掲示板

見ていただいてありがとうございます。
桃旗、今日はなんとか会社に出かけます。
たまたま、帰ってきた妻に介護をしてもらってしまった、
昔から病気によわい桃旗なんでつい弱気になる。
高知でも大阪でも頑張る妻に感謝です。
妻も藤田さんも助けることも出来ない自分に「喝」です。

選挙は人格を見抜く賭けではない。議員を選び直せる制度を作るべきだ。

2011-12-16 01:22:43 | 石巻市の藤田利彦さん
久し振りに藤田利彦さんからコメントが入っていた。

久し振りと、そんな懐かしそうな言葉は適当ではない。
藤田さんは1日も切れる事なく震災から毎日戦っておられるのだから。

(原文)
11月15日に、石巻市長など市の大幹部が列席した「復興計画案の原案」提示がありました。叩き台の提示ですね。しかし、その「中身」といえば、住民を救済できるような水準のものではなくて、被災者の心の傷に、さらに塩を擦り込むような結果になりました。

深刻な問題は、日常「石巻の市議とは、住民の代弁者だ」を標榜している石巻市市議会の議員が、1名を除いて出席しなかったことです。この「復興計画の原案」というのは、実は、すでに市議たちは「内容を、市から提示されており、知っていた」可能性が極めて高い。同意とまでは言わないが、「与党」を構成している市議にすれば「事前の同意」を与えていた可能性すらある。もし、市からの原案提示内容に不満があれば、この「住民説明会」にも、当然出席をし、住民の、この原案への反応を「己の眼にて」見ておくべきでした。


会場は「大炎上」したのでした。この、市の提示した「復興計画原案」は、ほぼ「否決」されたと判断してよいと思います。さらに言えば、石巻日日新聞社の平井記者が署名入り記事で、この説明会に出席しなかったグウタラ石巻市議に対して、激しい糾弾をしていたことも、付記しておきたいと思います。

石巻市の次回の市議選挙は、平成26年度なのです。だから、市議の大先生たちは「余裕」なんです。4月になっても、黄金浜、栄田、鹿妻、伊勢町など、沢山の被災者は、お風呂に入ることができなかった。その現状を視察した市議は皆無であり、結局、自衛隊と交渉し、自衛隊設営のお風呂に導くシャトルバス計画を練り、実現させたのは、私だったのです。黄金浜には、4月1日になってから、ようやく公的支援物資としてのオニギリ、ペットボトル水が配布されるようになりましたが、これも、市議ではなくて、私が石巻市と交渉した結果でした。炊き出しも皆無であり、peace boatに交渉をし、3月末に黄金浜地域に暖かい食事をもたらしたのも、私でした。


この間、一体、石巻市の市議は「何をしていたのか?」


現在でも、家を失い路頭に迷う被災者が多数に登る。高齢者の場合には、銀行に新築ローンを頼んでみたところで、拒否される始末。しかし、市議が、地域を隈なく調査して、市に提案をするなどするかといえば、「一切無い」のです。


石巻の市民よ!
この市議の「出来損ない」の程度を注意深く見ておくべきだ。そして、26年度の市議選挙でも、同じ愚かな市議を再選するのであれば、石巻の未来は「無い」と断言しておく。


そして、市長は、論評に値しない。



日本では何かあると「文化人」が出て慎重論が聞かれる。
もっと慎重に論議する必要がある。じっくり国民の総意を得て…、あほらしい。

普天間の事を見れば論議して解決する?
時間ばかりが過ぎるだけでしょう。
国民の総意、民主主義ってこと?国民の皆が何を考えてるの。
結果がバカな議員を当選させているだけでしょ。

あきらかに良い事だと解っていても手順を踏まないと何も代えられない。
もっとシンプルにすばやく行政が実行できるように出来ないのか。
じゃあ、別の正否の微妙な問題はどうする。
決定も行動も出来ないのは明確な答えがないからでしょう。
こんなものにさんざん議論をして、慎重に何もしないで時間を費やす。
臆して慎重になるより,時間の方が大事でしょ。
国民みんな短い人生送ってるんだから。

微妙な問題はやってみるべきだ。やってみないと誰にも解らない。
やってみて間違っていれば、間違ってました。右ではなく左でした。
って、シンプルにやり直せるしくみにすればどうなんだ。

物でも、考えでも、右に左に、また右に、左にって、
ブレながら少しずつ修正されて、より正しくなって行くものでしょう。

議員だって、ノー天気な平和な時代に、
身近に付き合ったこともない人間の裁量なり、志が解るわけない。
付き合った事も酒を飲みかわした事もない人間を
選挙の一期間に判断する。何のための選挙だ、解るわけない。

選挙の投票って何なんだ。他人を一目で見抜く賭けなのか。

だったら、コイツは無能だって解れば、数十万人の国民が選んでいようが
総理、知事、市長が選んだ人と同じように
簡単に解任できるシステムを作るべきだろう。

そうすれば、有能な人だけが残って行く。
現役だって緊張感が出て,選挙のためじゃなく
世のため人のために働くだろう。
選挙で国民が選んだことがそんなに価値のあるものか?

今の選挙は平和で豊かな時代に、一部の私利私欲に走る人のみ熱心に選挙に関わり、
大勢の人はどうせ何の役にも立たないと、無投票か、無関心で選んでしまって、
この必要とされる時になると初めて何の役にも立たない人だとわかり騒ぎだす。




僕の考えから言うと、間違いは誰でもする、解れば正せば良い。
だから失敗を恐れず思い切ってやれ、だけど。
選挙の議員だけはどうにもならない。
選んだ側からすればこんな人、すぐにでも代えたい。
税金で養いたくない。
国民から何十万票取ったからと何処に意味がある。
もっと迅速に国民の実になる政治を作れないのか。

藤田さんの言葉に、つくづく選挙の大切さを思います。
と同時に、間違ってればすぐに正せる新しい選挙制度を作るべきだと思う。
そしたら、鳩、管みたいな政治家を作らないだろう。

黄金浜会館掲示板


黄金浜会館掲示板_まだまだボランティアの方、被災者の方こんなに頑張っておられます。

2011-10-21 01:10:03 | 石巻市の藤田利彦さん
先日、神戸の布引の滝(トゥエンティクロス)をハイキングした時。
川沿いをずっと歩いていくのですが、
当たり前のことですが、川の流れの音がずっと聞こえているのです。

ひとりで黙々と歩くと、いろんな物に目が行き、
いろんなことを考え、時には傾斜がきつく無心で登っている時もあります。

ふと我にかえると言うか、そんな時、またうるさいほどに水の音が聞こえるのです。
常に聞こえているはずの、この大きな音が、聞こえなくなる人の仕組みは不思議です。

他のものに目が行き、考えに浸っている時には
まるで遠慮するように聞こえていません。
他に意識がいき、物が見えなくなる、聞こえなくなるって言う事なんですね。

つまり、考えてみると常に聞こえている川の横を歩いているからこそ、
意識した時に、自分にかえった時に聞こえるのです。

僕も何も出来ていないけど、せめてこの川の音のように
忘れ去りそうになる世間が、我にかえった時に聞こえるように
ずっと、被災地のことは気にかけてもらえるように、意識してもらえるように
声を出し続けないといけないと思います。
藤田利彦さん、忘れていませんよ。

             ■

黄金浜会館掲示板

悪質業者in石巻市

ぜひのぞいてみてください。

それにしても「Sキスイ Hウス」ってひどい業者やな。


お~い、言うだけただの名無しさん。

2011-07-26 13:03:06 | 石巻市の藤田利彦さん
今週月曜日に、初めて私のブログに嫌がらせのコメントが入っていました。

石巻市の藤田さんへの記事の中に書かれていたので、偽善者ぶった僕の言葉に向かってのものだと思う。たしかにあらためて読むと、ただなんとかできる事はないのかという思いが、オオバーな言葉になっているかも、と思ったり。そして、いつまでも何も出来ない事がもどかしく、優しいおじさんを全面に出して、他の人から見ればキモイ言葉になっているかも知れない。
でも、表現、言葉はどうであれ、僕の素直な気持ちを書き込んだだけだ。

僕はこんなものヘッチャラだが、藤田さんに嫌な思いをさせたくないのですぐ削除した。通りがかりで、何百万とあるブログの中の1ブログ者に嫌がらせの一言を言いたくなる人の気持ちが僕には解らないが。見なければいいわけで。

僕を知っている人間かも知れない。生きていると僕を嫌っている人も何人かはいると思う。わざわざ訪問してハンドルネームさえ書かず、言いたい事も言わず、ただ嫌がらせの言葉を発して逃げる。解らなければ何でもやってしまうような人なんだろう。あとで、自己嫌悪しないのか、自分が情けなくならないのか。そんな人だから、もし面識のある人なら、僕とは仲良くなっていないと思う。

藤田さんにもネットで色々書いている人がいる。そんな人を相手にしてもしょうがないけど、気分の悪いのはしばらく尾を引くだろう。そんな事が狙いだとしたら、悲しい人だ。もっと楽しい事はないのか。楽しく語らい合う人はいないのか。つまらない生き方をしている人だね。

僕は楽しくってしょうがないよ、毎日が。そして藤田さんを見つけたように僕の周りには好ましい人が沢山いるよ。君には悪いけど。

ブログってすごい。石巻市の藤田利彦さん_2

2011-06-13 14:47:23 | 石巻市の藤田利彦さん
3月の東日本震災の後、あまりに政府の不甲斐なさに、ついつい不満が鬱積して思いを言いたくてたまらずブログを初めた。
いち個人が社会に向かって物がを言えるインターネットのすごさだ。もしかしたら誰かが聞いてくれるかも知れない。同じ考えの人が大きな波になって社会に訴えられたら。
正直、自分が先頭に立って、身を粉にして社会の役に立とうとすると言うのではなく、あわよくば自分の言葉で社会に役に立てば。そんな虫のいい、気ままな発信しかできていなかった。見る人はそんなことお見通しでコメント一つこない。一方通行でも日記なんだから、日頃の不満も何もかも言えば気持ちもすっきりする。そんな、軽い気持ちで言いたいことを書き綴っていた。
そんな中で石巻市の藤田さんの窮状を知る。僕にはない、こんな向上心を持った人をなんとかしてあげたい。思わず3月31日この人に向いてメッセージを入れた。これなら僕にも支援できると。ひと月以上経ち、この沢山のブログの中で相手に伝わるはずもないといつものように気にもしなくなった。
そして、藤田さんからのコメントが入っているのを、ひと月以上経った昨日知ることになった。想像以上に大変な状況の中で、僕への連絡を取っていてくれた。むしろブログをしたことで藤田さんに期待を持たせ、失望させてしまったかも知れない。被災した人を傷つけ、大変なことをしたのかも知れないと、落ち込んでしまった。ただ藤春さんという方がこのブログを通して藤田さんにメッセージを送っておられ、実際に支援の行動をされたことがほんとに救いです。こんな形で相手に伝わること初めて知った。ブログの機能が僕にはよくわかっていなかった。

ほんとに社会とつながっているこのすごさに、自分の発言の責任の重さを痛感することとなりました。藤春さんありがとうございます。藤田さんすみませんでした。是非状況が良くなってお医者さんになって欲しいです。小さなことで恥ずかしいですが、参考書なり何か役に立つ物があれば言ってください。もちろん、あなたが気を使うことのない僕の身の丈にあった援助しかできません。とりあえず言っていただいたらうれしいです。

石巻市の藤田利彦さん連絡ください

2011-03-31 16:39:23 | 石巻市の藤田利彦さん
石巻市の藤田利彦さん、是非お医者さんになってください。
私に、微力ながら、協力させてください。
沢山の人の力にはなれないけど、
あなた一人のすべての力になれないけど、
あなたの少しのお役には立てると思います。
使えなくなった参考書、教えてください。送ります。
他にも必要なものあれば言ってください。
目に見えない義援よりも
被災者のあなたの力になれればどんなに有意義か。
是非、連絡をしてください。

         ■

毎日JPより抜粋
東日本大震災:津波が奪った母の夢 息子「医者になる」
「今日は2冊」。がれきの中から自分の参考書を見つけた藤田利彦さん=宮城県石巻市で、2011年3月30日
 母は苦手な分数の計算に手を焼くと、よく助けを求めてきた。「にいちゃん、算数、教えてよ」。宮城県石巻市の藤田利彦さん(48)は、そんな少女のようなひたむきな顔を思い出す。家計が苦しく中学までしか行けなかった母蓉子(ようこ)さん(72)は「高校で学びたい」と言い出し、医師を目指す藤田さんと一緒に机に向かった。母の夢。そして命。津波はすべてを流し去った。【水戸健一】
 藤田さんは高校時代に父親を亡くし、卒業後は地元の水産工場で働いた。20歳の冬、蓉子さんに「勉強したいのなら大学に行っていいよ」と言われ、まだ願書が間に合い学費も安かった東京の私立大経済学部に入学した。その後は仙台市の予備校などに勤務したが、本当は「医者になりたい」とずっと思っていた。
 蓉子さんが高校受験を目指すようになったのは古希を迎えてからだ。藤田さんはそのころ、予備校の講師を辞めて石巻の実家に帰っていた。医師への希望をどうしても捨てきれず、医学部に入り直す勉強をするためだった。そんな息子を見て「母も触発されたのかもしれない」と藤田さんは言う。
 母と二人。夢を語り合いながら机に向かった。庭の桜の木を眺めながら「どちらが先に花を咲かせられるかな」と笑いながら話したのが、今は遠い昔のようだ。
 あの地震の直後、藤田さんと蓉子さんは一度は自宅の2階に避難した。しかし津波が迫った時、様子を見に来ていたおばの阿部拓子(ひろこ)さん(67)が逃げ遅れた。妹を救おうと階段を駆け下りる蓉子さんの背中に藤田さんは叫んだ。「無理だ、やめろ!」。しかし蓉子さんは聞かず、拓子さんとともに濁流の中に消えてしまった。日没までの数時間。藤田さんは泥水に潜って捜したが、見つけられなかった。数日後、2人は遺体となって収容された。あの庭の桜の木も流された。
 太平洋戦争中、朝鮮半島で暮らした蓉子さんは、日本の敗戦の色が濃くなると小さな船で日本海を渡り、命からがら帰国した。蓉子さんは藤田さんに「水が怖い。暗い色の海は二度とごめんだ」とよく話していた。母親が迫り来る津波を前に、どんな思いで階下に足を踏み下ろしたのか。それを想像すると胸が痛む。
 2階だけが残った自宅を片付けていると、勉強道具が次々と出てきた。水をかぶって壊れてしまったが、電卓もその一つだ。藤田さんが計算の苦手だった母親のために買った。「教えてよ」。問題が解けなくても楽しそうだった母。あの声は二度と聞けない。
 藤田さんは今、市内の親戚の家に身を寄せている。自宅で参考書を見つけると持って帰るが、泥水で汚れていてほとんど使い物にならない。市内の書店はまだ閉まっていて、新品を買うこともできない。しかし、何としても受験勉強を続ける覚悟だ。「生き残った自分まで津波に負けたら、母に申し訳ない」。いつか合格の桜を母に手向けたい。